創業者一族
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初代の八神幸助は、愛知県平民・八神三津右衛門の次男として嘉永5年(1852年)に生まれる。明治11年(1878年)に独立して医療機器商を営み屋号を「井筒幸」と称す。長女・きしの夫として同県平民の坂巻竹三郎(1870年生)を迎えて養嫡子とし、二代目八神幸助を継がせ、さらにその長男・浅治郎(1901年生)が昭和5年(1930年)に3代目八神幸助を継ぐ。昭和45年(1970年)に八神良三(歌手八神純子の父)が4代目代表取締役に就任。 また、初代幸助の長男・八神幸七(幸次郎、1877年生)は、初代幸助の妹すま(1858年生)の嫁ぎ先である薬種商「井筒屋」(のち中北薬品)の中北善七(5代目中北伊助、1847年生)の養子となり、明治41年(1908年)に養家の家督を継いで6代目中北伊助となる。すまと5代目中北伊助の長女・ゆき(1902年生)は、3代目八神幸助(浅治郎)と結婚。八神家、中北家は親戚であり、ともに明治時代に薬種商問屋街だった京町 (名古屋市)の隣人で高額納税者だった。
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創業者一族
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初代中北伊助(1701 - 1771)は尾張国大野村十王堂で生まれ、12歳で名古屋伝馬町の井筒屋油店へ奉公にあがり、25歳で伝馬町6丁目(現・名古屋市中区)に油屋を創業、井筒屋伊助と称す。46歳のときに薬種業も始める。 2代目伊助(1722-1807)は愛知郡日置村に生まれ、18歳で初代伊助の養子となり、家督を継いだのち50歳ころに京町で薬種を専業で始める。 3代目伊助(1773 - 1834)は美濃国梶屋村に生まれ、30歳のときに2代目伊助の養子となり、1829年に隠居。 4代目伊助(1808 - 1856)は2代目伊助の養子となり、21歳で襲名、1846年に木曾産薬種売捌人、1851年には御薬園産薬種売捌人の指定を受けるも1855年に失火のため京町に大火を招く。翌年49歳で死去し、以後は妻のきしが切り盛りする。 5代目伊助(善七、1847 - 1920)は美濃国内野村に生まれ、12歳で井筒屋に奉公に上がり、25歳で中北家の養子となり、八神すま(八神製作所創業者である初代八神幸助の妹)と結婚、30歳で伊助を襲名して屋号を中北商店に変え、32歳で町会議員にもなった。隠居後は名を本名の善七に戻し、生まれ故郷の内野村の八幡神社に拝殿1棟を寄進した。 6代目伊助(1877 - 1948)は初代八神幸助の長男・幸次郎として生まれ、2歳で中北家の養子となり、31歳で伊助を襲名。5代目伊助の長女・しけと結婚。37歳のとき店を個人経営から会社組織とし、昭和に入ると従業員の制服を洋服に改め、店も洋風に改装、女子事務員採用、本社新築、工場建設など事業拡大し、62歳で長男・増太郎に家督を譲って引退し、幸七と改名。長女のゆきは八神浅治郎(3代目八神幸助)に嫁ぐ。次男の中北鍬次郎は合資会社旭薬品商会の代表のほか本社取締役相談役を務めた。 7代目伊助(1907 - 1971)は6代目の長男・増太郎として生まれ、32歳で伊助襲名、没後従六位勲五等瑞宝章を賜わる。長女・富子は岡谷鋼機取締役の伊達喜久三と結婚。 8代目社長・中北智久(1931 - )は7代目の長男。 9代目社長・中北馨介(1963 - )は8代目の長男で、北里大学薬学部卒業後、武田薬品に2年務めたのち、中北薬品入社、2004年より代表取締役社長。株式会社葦の会取締役。
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創業者一族
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「ツネイシホールディングス」の記事における「創業者一族」の解説
神原勝太郎 - 創業者 神原秀夫(1916-1977) - 勝太郎の子、常石造船社長などのほか沼隈町初代町長も兼任。町民のパラグアイ移民事業を推進したほか、同町に神勝寺を開くなどした 神原眞人 - 秀夫の子、常石造船社長などを務めた 神原勝成 - 眞人の長男、ツネイシホールディングス社長、常石造船社長などを経て、せとうちホールディングス代表となり、ガンツウの就航やせとうちSEAPLANESの開業などで話題を呼んだが、2019年にツネイシホールディングスに吸収された。神勝寺責任役員 神原宏達 - 眞人の四男、ツネイシホールディングス社長、神原汽船社長、常石造船専務取締役 神原弥奈子 - 眞人の娘
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創業者一族
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非上場の同族会社であるので、しばしば関係者に関心が持たれる。 創業者ウォーレン・ベクテル(en:Warren A. Bechtel、1872年9月12日 – 1933年8月28日)は、オクラホマ州で牧場経営に失敗した後、1898年、急成長中であった鉄道産業の使用人として事業を開始した。それから20年の間、ウエスタンパシフィック鉄道をはじめとして鉄道や高速道路建設を請け負った。1919年以降、共同事業者とともに高速道路・水道トンネル・ダムなどを建設した。 息子のステファンen:Stephen David Bechtel, Sr.(1900年9月24日- 1989年3月14日)、その子ステファン・ジュニアen:Stephen D. Bechtel, Jr.(1925年5月10日 – )を経て、創業者の曾孫ライリー・ベクテルen:Riley P. Bechtel(1953年 – )が現在の最高経営責任者を務めている。 会社の所有と経営はベクテル一族に担われており、ライリーやステファン・ジュニアはいずれも総資産30億ドル(2009年)を有するアメリカを代表する富豪の一人である。
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