アレックス・ファーガソンとは? わかりやすく解説

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アレックス・ファーガソン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/23 18:28 UTC 版)

アレックス・ファーガソン
2009年のファーガソン
名前
本名 アレクサンダー・チャップマン・ファーガソン
Alexander Chapman Ferguson
ラテン文字 Alex Ferguson
基本情報
国籍 スコットランド
生年月日 (1941-12-31) 1941年12月31日(83歳)
出身地 グラスゴー
選手情報
ポジション FW
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1957-1960 クイーンズ・パークFC 32 (11)
1960-1964 セント・ジョンストン 37 (19)
1964-1967 ダンファームリン 88 (66)
1967-1969 レンジャーズ 41 (25)
1969-1973 フォルカーク 106 (37)
1973-1974 エア・ユナイテッド英語版 24 (9)
監督歴
1974 イーストスターリングシャー英語版
1974-1978 セント・ミレン
1978-1986 アバディーン
1985-1986 スコットランド代表
1986-2013 マンチェスター・ユナイテッド
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

サー・アレクサンダー・チャップマン・ファーガソン CBESir Alexander Chapman "Alex" Ferguson CBE1941年12月31日 - )は、スコットランドグラスゴー出身の元サッカー指導者、元サッカー選手

概要

サッカー史上最高の監督の1人であり、1986年から27年間、マンチェスター・ユナイテッドの監督を務め、13度のプレミアリーグ優勝、2度のUEFAチャンピオンズリーグ優勝に導いた[1]

愛称は「ファギー」。2000年にナイト[2]を叙勲されたため「サー」の敬称をつけて呼ばれることもある。試合中は気が短く顔を紅潮させて激怒する姿がしばしば見られ「ヘアードライヤー」なる異名もある。顔を近づけて怒鳴るため選手の髪の毛がふわふわと揺れるからである[3]。また、試合中は常にガムを噛んでいた。

経歴

選手時代

16歳でクイーンズ・パークFCとアマチュア契約を結んだ。アマチュア選手だったため他にも仕事をして生計をたてていた。その後セント・ジョンストンFCに移籍したが完全なレギュラー確保には至らなかった上に、試合中に頬骨、鼻骨を骨折して1カ月間の離脱を強いられ、復帰後の3試合でチームは1-8、0-7、2-9と大敗。この結果、サッカー選手を諦めカナダに行こうとしていた。しかし、強豪レンジャーズFCとの試合でハットトリックを決め、チームに大金星をもたらす活躍を見せる。レンジャーズのホームスタジアムであるアイブロックス・スタジアムでレンジャーズ相手にハットトリックを達成したのはファーガソンが初めてであった。その後、ファーガソンはダンファームリン・アスレティックFCとプロ契約を交わし、正式にプロサッカー選手となった。ダンファームリン・アスレティックではスコティッシュ・フットボールリーグの1部リーグで得点王となっている。レンジャーズFC等でプレーし1974年に引退。現役時代からサッカーのコーチングスクールに通う等、指導者となる準備をしていた。

指導者の道へ

現役引退後、スコットランド3部イーストスターリングシャーFCで指導者としてのキャリアをスタートした。週給40ポンドのパートであったが、当時登録選手がわずか8名で専門のゴールキーパーすら持たなかった「英国最悪のクラブ(ファーガソン自身の言葉)」をわずか117日間でリーグ首位に押し上げると、当時2部リーグに所属していたセント・ミレンFCに引き抜かれ本格的に指導者としての道を歩み始める。セント・ミレンでは1976-77シーズンに2部リーグを優勝し、1部リーグに昇格させた。しかし、1978年に解雇された。

アバディーンFC

アバディーンFCの監督に就任。当時スコットランド国内を席巻していたセルティックFCレンジャーズFCを抑え、リーグ優勝3回、国内カップ優勝4回、リーグカップ優勝1回の成績を残し、1983年にはUEFAカップウィナーズカップを優勝した。1983-84シーズンにはダブルを達成したが、スコットランドにおいてはセルティックとレンジャーズの2強以外では、現在までファーガソンが率いたアバディーンが達成したのみである。

スコットランド代表

アバディーンの監督を務めながら、スコットランド代表のアシスタントコーチも兼任した。ジョック・ステイン監督と共に1986 FIFAワールドカップ出場を目指したが、ヨーロッパ予選のプレーオフ出場をかけた試合中にジョック・ステイン監督が倒れ、プレーオフ進出を決めたものの後に死去。代役としてファーガソンが監督となり、ワールドカップ出場をかけたプレーオフを見事に勝利し、本大会出場を決めた。1986 FIFAワールドカップではグループリーグで敗退している。

マンチェスター・ユナイテッド

1986年、当時低迷していたマンチェスター・ユナイテッドFCの監督に就任した。最初の3年間はタイトルを獲得出来ずにいたが、規律を重視したチーム作りでクラブを常勝軍団に育て上げ、1989-90シーズンにFAカップを優勝し就任してから初のタイトルを獲得。翌シーズンには自身2度目となるUEFAカップウィナーズカップ優勝を果たし、1992-93シーズンには26年ぶりとなるリーグ優勝を果たした。1993-94シーズンと1995-96シーズンにはダブル、1999年にはイングランド初のプレミアリーグFAカップUEFAチャンピオンズリーグを制覇してのトレブルを成し遂げた他、2度のプレミアリーグ3連覇、2008年の2度目のチャンピオンズリーグ優勝等、25年以上の長期にわたりクラブの指揮を執り続け、20以上の主要タイトルを獲得した。

2011年5月、12度目のプレミアリーグ優勝を果たした。この結果、マンチェスター・ユナイテッドはフットボールリーグ時代の7度の優勝と合わせてイングランドのリーグ戦での優勝回数が19回となり、リーグ優勝18回だったリヴァプールFCを抜いて史上最多となった[4]。2013年4月、2シーズンぶり13度目のプレミアリーグ優勝を果たすとともに、フットボールリーグからの優勝回数が通算20回となった。

2013年5月8日、2012-13シーズンでの退任と監督業からの引退を発表した[5]

人物

戦術やサッカースタイルよりも規律を重んじ、選手育成やチームの基礎固めに手腕を発揮する。攻守共にシンプルで柔軟なサッカーを好んでいる。若手の育成に定評があり、「ファーギーズ・フレッジリングス」(アレックス・ファーガソンの雛鳥)と呼ばれたライアン・ギグスガリー・ネヴィルポール・スコールズデビッド・ベッカムなど代表レベルの選手を多く育ててきた。戦術としてはターンオーバーを積極的に用い、相手のレベルによっては先発11人を全員入れ替えることすらある。

発言がストレートなため、自ら育てたデビッド・ベッカム、絶対的エースであったルート・ファン・ニステルローイレアル・マドリードへ追いやり、ライバルチームであるアーセナルFCアーセン・ベンゲル監督やチェルシーFCの監督のジョゼ・モウリーニョとしばしば舌戦を繰り広げた。しかしながら、モウリーニョがチェルシーを解任された(2007年9月)際には「彼がイングランドを去ったのは、イングランドサッカー界にとって大きな損失だ。彼を超えるチェルシーの監督は現れないだろう」と語った[6][7]

エピソード

オールド・トラッフォードでのファーガソン
  • 2004年に放送された「Father and Son」というBBCのドキュメンタリーの中で、代理人である息子のジェイソンが自らが担当する選手が移籍市場において有利となるよう父の影響力を不当に行使しているとの批判が行われた。ファーガソンはこれを息子に対する人格攻撃であるとして強く反発した。以後「Match of the Day」などBBCが製作するサッカー番組でのインタビューを一切受け付けないようになり、試合後のインタビューはアシスタントコーチが担当することになった。2010-11シーズンからリーグの規約で監督の試合後インタビューが義務付けられたが、ファーガソンはこれに応ぜずクラブは罰金を支払った。2011年8月25日にファーガソンはBBCの重役と会合し、ボイコットを終わらせるとの共同コメントが発表された[8]
  • 2007年9月、ロンドン市内の駅で暴漢に襲われ足に軽いケガを負った[9]
  • 2011年11月、マンチェスター・ユナイテッドFCの本拠地であるオールド・トラッフォードのノーススタンドが「サー・アレックス・ファーガソン・スタンド」と命名された。彼の監督生活25周年を記念し、これまでの功績を称え命名されたものである。

戦術

基本は4‐4‐2と4‐4‐1‐1のシステムを使用していたが、相手チームや選手のコンディションをみて4‐3‐3と4‐2‐3‐1もオプションとして使用。また、ターンオーバーを積極的に採用してエース級の選手でもコンディションが悪ければメンバーを入れ替えた[要出典]

監督成績

クラブ 就任 退任 記録
試合 得点 失点 得失点 勝率 %
イースト・スターリングシャーFC 1974年6月1日 1974年10月20日 17 10 3 4 36 27 +9 058.82
セント・ミレン 1974年10月21日 1978年5月31日 151 63 39 49 252 207 +45 041.72
アバディーン 1978年6月1日 1986年11月5日 453 268 105 80 898 364 +534 059.16
スコットランド 1985年9月10日 1986年6月13日 10 3 4 3 8 5 +3 030.00
マンチェスター・ユナイテッド 1986年11月6日 2013年5月19日 1,500 895 338 267 2,769 1,365 +1404 059.67
通算 2,131 1,239 489 403 3,963 1,968 +1995 058.14

タイトル

指導者時代

クラブ

セント・ミレン
  • リーグ(2部): 1回 (1976-77)
アバディーンFC
マンチェスター・ユナイテッド

※1998-99シーズンはリーグ優勝、FAカップ優勝、チャンピオンズリーグ優勝の3冠を達成。

個人

  • プレミアリーグ月間最優秀監督:27回(1993年8月,1994年10月,1996年2月,1996年3月,1997年2月,1997年10月,1999年1月,1999年4月,1999年8月,2000年3月,2000年4月,2001年2月,2003年4月,2003年12月,2005年2月,2006年3月,2006年8月,2006年10月,2007年2月,2008年1月,2008年3月,2009年1月,2009年4月,2009年9月,2011年1月,2011年8月,2012年10月)※2018年12月現在、最多受賞
  • プレミアリーグ年間最優秀監督 : 11回(1993-94, 1995-96, 1996-97, 1998-99, 1999-00, 2002-03, 2006-07, 2007-08, 2008-09, 2010-11, 2012-13)
  • プレミアリーグ殿堂 : 2023年

脚注

  1. ^ 児玉光雄『サッカー名監督 超一流の思考』東邦出版株式会社、2012年、8ページ、ISBN 978-4-8094-1075-8
  2. ^ "No. 55513". The London Gazette (Supplement) (英語). 12 June 1999. p. 2. 2012年5月19日閲覧
  3. ^ “マンUの名将が導き出した勝利の方程式”. ニューズウィーク日本版(2013年6月4日号). 阪急コミュニケーションズ. (2013-05-28). p. 44. 
  4. ^ https://www.afpbb.com/articles/-/2799898?pid=7215455
  5. ^ ファーガソン、今季限りで監督を引退 Goal.com 2013年5月8日付
  6. ^ https://news.livedoor.com/article/detail/3316735/
  7. ^ モウリーニョはインテルレアル・マドリードの監督を歴任した後、2013年にチェルシー監督に復帰。
  8. ^ http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/14664803.stm
  9. ^ https://www.afpbb.com/articles/-/2281456?pid=2132864
  10. ^ http://supportista.jp/2010/02/news25010303.html

関連情報

著書

関連書籍

先代
フース・ヒディンク
PSVアイントホーフェン
ヨーロッパトレブル
マンチェスター・ユナイテッドFC
1998-1999
次代
ジョゼップ・グアルディオラ
FCバルセロナ
先代
ジョック・ステイン
スコットランド代表監督
1985-1986
次代
アンディ・ロクスバーグ

アレックス・ファーガソン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/16 09:34 UTC 版)

UEFAチャンピオンズリーグ 2010-11 決勝」の記事における「アレックス・ファーガソン」の解説

バルセロナについてバルセロナこれまで対戦した中で最高のチームだった。素晴らしチームにはサイクルがあり、バルセロナがそのピーク迎えているのは間違いない。この状態があと何年続き、うまく世代交代できるかどうか誰にも分からないバルセロナサッカーには哲学があるが、常にシャビイニエスタメッシのような選手発掘できるとは限らない。彼らのような選手は滅多に現れないものだ。 試合内容についてマンチェスター・ユナイテッドマンマークで守るチームではなく、なるべく普段通りプレー心がけた。バルセロナ華麗なパスワーク観客魅了するチームで、リオネル・メッシにはほとんど対処することができなかった。 敗戦について今回敗北は、1994年0-4敗れたバルセロナ戦と同じく成長への足掛かりとなるだろう。あの敗戦を境に成長し今でも成長したいという気持ち抱き続けている。

※この「アレックス・ファーガソン」の解説は、「UEFAチャンピオンズリーグ 2010-11 決勝」の解説の一部です。
「アレックス・ファーガソン」を含む「UEFAチャンピオンズリーグ 2010-11 決勝」の記事については、「UEFAチャンピオンズリーグ 2010-11 決勝」の概要を参照ください。

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