オットマー・ヒッツフェルトとは? わかりやすく解説

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オットマー・ヒッツフェルト

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/18 13:53 UTC 版)

オットマー・ヒッツフェルト
名前
ラテン文字 Ottmar Hitzfeld
基本情報
国籍 ドイツ
生年月日 (1949-01-12) 1949年1月12日(75歳)
出身地 レラッハ
選手情報
ポジション FW
代表歴
1972 西ドイツ アマチュア 8 (5)
1972 西ドイツ B 1 (1)
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

オットマー・ヒッツフェルトOttmar Hitzfeld1949年1月12日 - )は、ドイツバーデン=ヴュルテンベルク州レラッハ出身の元サッカー選手サッカー指導者

経歴

現役時代はアマチュア、及びプロ選手としてスイス西ドイツでプレー。現役時代のポジションはFW。スイスで大学にも通い、数学教師のライセンスを持っている。選手生活を退いた後に指導者としての道をスイスでスタート。 SCツーク、FCアーラウグラスホッパー・チューリヒの監督としてスイス・カップスイス・スーパーリーグで優勝を果たした。1991年ドイツ・ブンデスリーガで低迷していたボルシア・ドルトムントの監督に就任。対戦相手を徹底的に分析するとともに戦術に長け、ドイツ・ブンデスリーガ優勝2回、UEFAチャンピオンズリーグ優勝1回を果たした。

ボルシア・ドルトムントでの実績が評価され、1998年FCバイエルン・ミュンヘンの監督に就任。リーグ優勝4回、ドイツカップ優勝2回、UEFAチャンピオンズリーグ優勝1回、さらにトヨタカップを制覇するなど、同クラブの黄金時代に貢献した。その間、国外のクラブから度々監督就任の声が挙がったが、ドイツ語による選手との意志の疎通を信条としてその都度オファーを断った。

2004年にバイエルン・ミュンヘン監督を辞任。同年のEURO2004終了後に解任されたルディ・フェラードイツ代表監督の後任にも挙がったが、本人は固辞した。

他にもレアル・マドリードなど数多くのビッグクラブから監督就任のオファーがあったがそれを全て断り、ドイツ有料テレビ「PREMIERE」でサッカー・コメンテーターとして活躍。

しかしバイエルン・ミュンヘンのGMウリ・ヘーネスの説得もあり、2007年1月31日、不調にあえぐバイエルン・ミュンヘン監督に再就任した。

ドイツ出身だがスイスでの生活が長い。現在も住居はスイスのエンゲルベルクにあり、妻はスイス人。家ではスイス方言(スイスドイツ語)を話している。そのためスイス人であるとよく間違えられ、ドイツでも当初は「スイス人監督がドイツにやってきた」と報道された。1991年ボルシア・ドルトムントの監督に就任した際、スイス方言のサッカー用語しか知らず、標準ドイツ語のサッカー用語を学びなおさなくてはならなかった。

現在でもスイス国際放送のインタビューなどでは全てスイス方言で答えており、多くのスイス人はヒッツフェルトのことを「ドイツに出稼ぎに行っている自分達の国の監督」と考えている。スイスサッカー協会も長年何度もスイス代表監督として打診するもののなかなか実現できずにいたが、2008年EURO2008終了後から2年間就任することが契約された。2010 FIFAワールドカップでは優勝したスペイン代表を倒す番狂わせを演出したがグループリーグで敗退した。その後契約を2014年まで延長。

2014 FIFAワールドカップ本大会後に監督キャリアに終止符を打った。

所属クラブ

指導歴

獲得タイトル

  • 世界最優秀監督賞受賞:2回 (1997, 2001)

外部リンク

先代
ホルスト・ケッペル
ボルシア・ドルトムント監督
1991-1997
次代
ネヴィオ・スカラ
先代
ヤコブ・クーン
スイス代表監督
2008-2014
次代
ヴラディミル・ペトコヴィッチ




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