ユップ・ハインケスとは? わかりやすく解説

ユップ・ハインケス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/28 08:15 UTC 版)

ユップ・ハインケス
名前
本名 ヨーゼフ・ハインケス
Josef Heynckes
愛称 ユップ
ラテン文字 Jupp Heynckes
基本情報
国籍 ドイツ
生年月日 (1945-05-09) 1945年5月9日(78歳)
出身地 メンヒェングラートバッハ
身長 180cm
体重 77kg
選手情報
ポジション FW
利き足 右足
ユース
1962-1964 ボルシア・メンヒェングラートバッハ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1963-1967 ボルシア・メンヒェングラートバッハ 82 (50)
1967-1970 ハノーファー96 112 (41)
1970-1978 ボルシア・メンヒェングラートバッハ 226 (168)
通算 420 (259)
代表歴
1966-1967  西ドイツ U-23 3 (1)
1967-1976 西ドイツ 39 (14)
監督歴
1979 ボルシア・メンヒェングラートバッハ
1979-1987 ボルシア・メンヒェングラートバッハ
1987-1991 バイエルン・ミュンヘン
1992-1994 アスレティック・ビルバオ
1994-1995 アイントラハト・フランクフルト
1995-1997 テネリフェ
1997-1998 レアル・マドリード
1999-2000 ベンフィカ
2001-2003 アスレティック・ビルバオ
2003-2004 シャルケ04
2006-2007 ボルシア・メンヒェングラートバッハ
2009 バイエルン・ミュンヘン監督代行
2009-2011 バイエル・レバークーゼン
2011-2013 バイエルン・ミュンヘン
2017-2018 バイエルン・ミュンヘン
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ユップ・ハインケスJosef "Jupp" Heynckes1945年5月9日 - )は、ドイツメンヒェングラートバッハ出身の元サッカー選手、サッカー指導者。元西ドイツ代表。現役時代のポジションはフォワード

経歴

選手時代

ボルシア・メンヒェングラートバッハのエースストライカーとして活躍。クラブのブンデスリーガ三連覇(通算では4度の優勝)等、数々の栄光に関わると共に、ブンデスリーガ通算385試合出場220得点を記録した。得点記録はブンデスリーガ歴代3位の成績である。またヨーロッパのカップ戦では64試合に出場し51得点(1試合平均0.80得点)を上げた。これはゲルト・ミュラーエウゼビオに次ぐ3位の成績であり、UEFA3大タイトル(UEFAチャンピオンズカップUEFAカップUEFAカップウィナーズカップ)の全てで得点王になっている。1974-75年シーズン、UEFAカップ決勝FCトゥウェンテとの第2戦で3得点を挙げて勝利に貢献した。1976-77年シーズン、UEFAチャンピオンズカップ決勝に進出したが、リヴァプールFCに敗れ準優勝。

西ドイツ代表としてユーロ72西ドイツW杯でそれぞれ優勝を経験、西ドイツW杯では2試合に出場した。同時期にゲルト・ミュラーが代表でプレーしていたこともあり[1]、通算39試合の出場に留まった。

監督時代

引退後は指導者の道へ進み、アシスタントコーチから古巣のボルシアMGで監督を8年間務めた後、バイエルン・ミュンヘンの監督に就任。2度のリーグ優勝を果たした。1990年代にはスペインのクラブを指揮するようになり、アスレティック・ビルバオCDテネリフェの監督を務めた。この実績が認められ1997年にはレアル・マドリードの監督に就任し、レアル・マドリードにとって32年ぶりとなるUEFAチャンピオンズリーグ制覇に導いた。しかしリーグ戦では4位と結果を残せず1シーズンで退任した。

2009年4月27日、成績不振によりバイエルン・ミュンヘンの監督を解任されたユルゲン・クリンスマンの後任として残り5試合を暫定的に指揮を執った。2009-10シーズンからバイエル・レバークーゼンの監督となったが、2011年夏から再びバイエルン・ミュンヘンの監督に就任することが決まった。2011-12シーズンは国内リーグ2位、DFBポカール準優勝、UEFAチャンピオンズリーグ準優勝という準3冠という成績になった。2012-13シーズン、リーグではブンデスリーガ最速優勝を決めると、UEFAチャンピオンズリーグでもバイエルンを12シーズンぶりのヨーロッパ制覇に導き、史上4人目となる複数のクラブでのCL制覇を達成した[2]。さらに、DFBポカールでも3年ぶりに優勝し、ドイツのクラブとしても監督としても史上初の3冠(トレブル)をもたらした[3]。2013年6月16日、監督業からの引退を発表。

2017年10月6日、成績不振により解任されたカルロ・アンチェロッティの後任として三たびバイエルン・ミュンヘンの監督に就任することが決まり[4]、チームをブンデスリーガ優勝に導いたが、UEFAチャンピオンズリーグでは準決勝でレアル・マドリードに2戦合計で1ゴール差で敗れ、決勝進出はならなかった。またDFBポカール決勝ではフランクフルトに敗れた。再び監督業から引退した。

監督成績

クラブ 就任 退任 記録
試合 得点 失点 得失点 勝率 %
ボルシア・メンヒェングラートバッハ 1979年7月1日 1987年6月30日 343 169 77 97 731 509 +222 049.27
バイエルン・ミュンヘン 1987年7月1日 1991年10月8日 198 114 46 38 419 216 +203 057.58
アスレティック・ビルバオ 1992年7月1日 1994年6月30日 90 39 21 30 136 113 +23 043.33
アイントラハト・フランクフルト 1994年7月1日 1995年4月2日 34 12 9 13 47 49 −2 035.29
CDテネリフェ 1995年7月1日 1997年6月26日 54 20 13 21 86 73 +13 037.04
レアル・マドリード 1997年6月26日 1998年5月28日 53 26 15 12 92 55 +37 049.06
SLベンフィカ 1999年7月1日 2000年9月20日 48 27 8 13 83 58 +25 056.25
アスレティック・ビルバオ 2001年7月1日 2003年6月17日 86 36 22 28 135 139 −4 041.86
シャルケ04 2003年6月17日 2004年9月15日 51 24 12 15 82 63 +19 047.06
ボルシア・メンヒェングラートバッハ 2006年7月1日 2007年1月31日 21 5 4 12 19 29 −10 023.81
バイエルン・ミュンヘン 2009年4月28日 2009年6月5日 5 4 1 0 12 5 +7 080.00
バイエル・レバークーゼン 2009年6月5日 2011年6月30日 84 44 26 14 166 94 +72 052.38
バイエルン・ミュンヘン 2011年7月1日 2013年6月26日 109 83 12 14 272 73 +199 076.15
バイエルン・ミュンヘン 2017年10月9日 2018年6月30日 42 33 4 5 115 37 +78 078.57
合計 1,218 636 270 312 2,395 1,513 +882 052.22

タイトル

選手時代

個人

監督時代

バイエルン・ミュンヘン
レアル・マドリード
シャルケ04

脚注

  1. ^ How do today’s Borussia Mönchengladbach compare to their 1970s heyday?” (英語). ブンデスリーガ. 2022年4月16日閲覧。
  2. ^ ハインケス監督が欧州CL制覇で史上4人目の偉業達成”. フランス通信社 (2013年5月26日). 2018年5月26日閲覧。
  3. ^ Jupp Heynckes: The records behind a Bundesliga legend with Bayern Munich and Borussia Mönchengladbach” (英語). ブンデスリーガ. 2022年4月16日閲覧。
  4. ^ バイエルン、ユップ・ハインケス監督就任決定。4度目の再任は今季終了まで”. FootballTribe (2017年10月7日). 2017年10月7日閲覧。

外部リンク

先代
ジョゼ・モウリーニョ
インテル・ミラノ
ヨーロッパトレブル
バイエルン・ミュンヘン
2012-2013
次代
ルイス・エンリケ
バルセロナ

ユップ・ハインケス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/14 23:01 UTC 版)

UEFAチャンピオンズリーグ 2011-12 決勝」の記事における「ユップ・ハインケス」の解説

試合内容について 予想通り最近チャンピオンズリーグ試合と同じ戦い方をしてきた相手対し、非常に素晴らし試合をした。数多く得点機を生かせなかったことを悔やまなけれならない83分に得点したからには、そのリードを守る必要があった。そして、延長戦ではPK得た多くチャンス恵まれたなら、それを生かさねばならない今日はそれができなかったのが、敗因だ。過去からもわかるように、PK戦くじ引きのようなものだ。 チェルシーについて チェルシー自分たちが最もよく理解する戦い方をした。彼らのパフォーマンス祝福したい。彼らは闘志示し守備では規律保ちPK戦ではチャンピオンズリーグ優勝するために必要な運に恵まれた

※この「ユップ・ハインケス」の解説は、「UEFAチャンピオンズリーグ 2011-12 決勝」の解説の一部です。
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