1990年代 国内外での躍進
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「CDテネリフェ」の記事における「1990年代 国内外での躍進」の解説
1991年にはアルゼンチン人のホルヘ・バルダーノが監督に就任し、2シーズン連続で古巣レアル・マドリードの戴冠を阻止している。バルダーノ監督就任初年度となった1991-92シーズン最終節では、首位レアル・マドリードに3-2で逆転勝ちし、結果としてFCバルセロナの優勝に貢献することになった。これはテネリフェの奇跡と呼ばれ、テネリフェはかろうじて降格を回避した。1992-93シーズンも首位レアル・マドリード、2位バルセロナという状況で最終節を迎えたが、テネリフェはレアル・マドリードと対戦し、またしても2-0で勝利してバルセロナの優勝に間接的に貢献。このシーズンのテネリフェはクラブ史上最高位の5位でシーズンを終え、UEFAカップ出場権を獲得した。1993-94シーズンのUEFAカップではAJオセール(フランス)とオリンピアコスFC(ギリシャ)に勝利してベスト16となったが、3回戦でユヴェントスFC(イタリア)に2試合合計2-4で敗れた。1995年にドイツ人のユップ・ハインケス監督が就任し、1995-96シーズンは再びクラブ史上最高位(タイ)の5位となった上に、コパ・デル・レイでは準々決勝に進出。1996-97シーズンには再びUEFAカップに出場し、1回戦でマッカビ・テル・アビブFC(イスラエル)、2回戦でSSラツィオ(イタリア)、3回戦でフェイエノールト(オランダ)、準々決勝でブレンビーIF(デンマーク)を破って準決勝に進出した。ブレンビー戦セカンドレグは、ロスタイムにアントニオ・マタが決勝点となる直接フリーキックを決める、劇的な試合となった。準決勝では延長戦の末シャルケ04(ドイツ)に敗れたものの、ベスト4という快挙を成し遂げた。その後は負のスパイラルに巻き込まれ、1999年には何度もの監督交代も空しくセグンダに降格となった。
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