ホセ・アンヘル・イリバルとは? わかりやすく解説

ホセ・アンヘル・イリバル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/24 04:17 UTC 版)

ホセ・アンヘル・イリバル
名前
本名 ホセ・アンヘル・イリバル・コルタハレナ
José Ángel Iribar
愛称 エル・チョポ (El Chopo)
ラテン文字 José Iribar
基本情報
国籍 スペイン
生年月日 (1943-03-01) 1943年3月1日(80歳)
出身地 サラウツ
身長 181cm
選手情報
ポジション GK
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1961-1962 バスコニア 24 (0)
1962-1980 アスレティック・ビルバオ 466 (0)
通算 490 (0)
代表歴
1964-1976 スペイン 49 (0)
監督歴
1983-1986 ビルバオ・アスレティック
1986-1987 アスレティック・ビルバオ
1987 ビルバオ・アスレティック
1988 バスク
1993-2010 バスク
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ホセ・アンヘル・イリバル・コルタハレナ(José Ángel Iribar Cortajarena、1943年3月1日 - )は、スペインサラウツ出身の元同国代表サッカー選手、元サッカー指導者。ポジションはGKだった。アスレティック・ビルバオ一筋でキャリアを終えた。

経歴

アスレティック・ビルバオのCチームであるCDバスコニアを経て、1962年にアスレティックのトップチームでデビューを飾る。アスレティックの一員として、1969年と1973年にコパ・デル・ヘネラリシモに優勝し、1977年にはUEFAカップの決勝に進出した。1970年にはサモラ賞を受賞した。ラ・リーガ通算では466試合に出場した。1970-71シーズンには、ホームゲームでの10試合連続完封、1018分無失点という記録を樹立し、いまだ破られていない[1]

スペイン代表には1964年にデビューして通算49試合に出場した。1966年ワールドカップでは3試合に出場した。彼は1964年欧州選手権に優勝したスペイン代表のメンバーでもあった。

1975年12月5日には、レアル・ソシエダの主将イグナシオ・コルタバリアとともに、試合前のセンターサークルにバスクの旗イクリニャを広げた。これはフランコの死後、公の場で最初の国旗掲揚だった。その後、彼はバスクの地元政治に関わるようになり、分離独立主義連合エリ・バタスナの創立会員だった。

1980年に現役を退き、アスレティックのコーチングスタッフに加わった。1983-84シーズンにはリザーブチームのビルバオ・アスレティックの監督としてチームを歴代最高順位のセグンダ・ディビシオン2位に導いた。1986-87シーズンにはトップチームを率いた。1988年からはバスク代表で監督を務める。

タイトル

アスレティック・ビルバオ

スペイン

個人賞

関連項目

出典

  1. ^ Diego López Misses Out On Record” (英語). GOAL.com (2008年10月6日). 2009年3月25日閲覧。

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