カルロス・ロアとは? わかりやすく解説

カルロス・ロア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/20 02:27 UTC 版)

カルロス・ロア
名前
本名 カルロス・アンヘル・ロア
Carlos Ángel Roa
愛称 Lechuga (レタス)
ラテン文字 Carlos ROA
基本情報
国籍 アルゼンチン
生年月日 (1969-08-15) 1969年8月15日(55歳)
出身地 サンタフェ州サンタフェ
身長 191cm
選手情報
ポジション GK
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1988-1993 ラシン・クラブ 109 (0)
1994-1997 ラヌース 107 (0)
1997-2002 マヨルカ 75 (0)
2002-2004 アルバセテ 53 (0)
2005-2006 オリンポスペイン語版 27 (0)
通算 371 (0)
代表歴
1997-1999 アルゼンチン 16 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

カルロス・アンヘル・ロア(Carlos Ángel Roa, 1969年8月15日)は、アルゼンチンサンタフェ出身の元サッカー選手。元アルゼンチン代表である。ポジションはゴールキーパー

経歴

1988年にラシン・クラブでキャリアをスタートさせ、1994年にはCAラヌースに移籍した。1996年にはコパCONMEBOLを制覇した。1997年にスペインのRCDマヨルカに移籍した。

アルゼンチン代表としては1997年のコパ・アメリカ、1998年のフランスW杯に出場した。決勝トーナメント1回戦ではPK戦の末イングランド代表に勝利し、ヒーローになった。

1998-99シーズン、35試合に出場、29失点に抑えクラブの3位に貢献し、サモラ賞を受賞する。

1999年夏にはマンチェスター・ユナイテッドへの移籍話が合意間近となっていたが、セブンスデー・アドベンチスト教会ハルマゲドンを信じ、移籍を拒絶した。結果としてロアは宗教上の理由により、現役引退を表明。資産をほぼ手放し、コルドバの山村で家族とともに最後の時を待っていた。[1]

9ヵ月後の2000年4月に復帰するも、レオ・フランコがレギュラーポジションに君臨していた。

2002年夏にアルバセテに移籍するが、2004年に精巣がんを患っていることが明らかになり、引退を表明。治療後母国のクラブオリンポスペイン語版に加入、2006年に引退した。

2011年にはマティアス・アルメイダに誘われる形でリーベル・プレートのコーチとなった。現在はアルメイダとともにメキシコのCDグアダラハラで指導者を続けている。[1]

エピソード

代表歴

出場大会

試合数

  • 国際Aマッチ 16試合 0得点(1997年-1999年)[3]


アルゼンチン代表 国際Aマッチ
出場 得点
1997 9 0
1998 6 0
1999 1 0
通算 16 0

タイトル

CAラヌース
RCDマヨルカ

出典

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