サッカーソビエト連邦代表とは? わかりやすく解説

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サッカーソビエト連邦代表

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/04 00:40 UTC 版)

サッカーソビエト連邦代表
国または地域 ソビエト連邦
協会 ソビエト社会主義共和国連邦サッカー連盟
愛称 Красная Армия(クラースナヤ アールミヤ、赤軍)
最多出場選手 オレグ・ブロヒン(112試合)
最多得点選手 オレグ・ブロヒン(42得点)
ホームカラー
アウェイカラー
初の国際試合 1924年11月16日トルコ
3-0
最大差勝利試合 1955年9月16日インド
11-1
最大差敗戦試合 1958年10月22日イングランド
0-5
FIFAワールドカップ
出場回数 7回(初出場は1958
最高成績 4位(1966
UEFA欧州選手権
出場回数 6回
最高成績 優勝(1960)

サッカーソビエト社会主義共和国連邦代表(サッカーソビエトれんぽうだいひょう、サッカーソ連代表)(: Сборная СССР по футболу)は、ソビエト社会主義共和国連邦サッカー連盟によって編成されたサッカーのナショナルチーム。現在はソビエト社会主義共和国連邦の崩壊により、チームが編成されていない。

概要

基本的なデータ

ソ連代表の最初の試合は1924年11月16日にモスクワで行われた対トルコ戦で、3-0でソ連代表が勝利している。

ただしこの前年の1923年9月16日ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国代表がエストニアタリンエストニア)で試合を行っており、4-2でロシア・ソビエト連邦社会主義共和国代表が勝利している。

ソ連としての最後の試合は1991年11月13日に行われた、1992年欧州選手権・スウェーデン大会予選の試合で、キプロスラルナカで行われたアウェーゲームで、キプロスを3-0で下している。同日、同組2位のイタリアノルウェーの試合が1-1の引き分けで終わったため、ソ連は翌1992年の本大会への出場権を獲得した。

その後1991年12月25日をもってソビエト連邦が崩壊したため、欧州選手権本大会には独立国家共同体(CIS)代表として出場した。同じ1992年のバルセロナオリンピックに出場したU-21チームはEUN代表(Équipe Unifiée 旧ソビエト連邦代表チーム)として出場したが、日本語においてはCIS代表として言及される事が多い。

CIS代表の最後の試合は、1992年6月18日に行われたグループリーグ最終戦のスコットランド戦で0-3で敗北している。CIS代表の詳細はサッカーCIS代表を参照。

ソビエト社会主義共和国連邦代表を継承するナショナルチーム

1991年12月25日のソ連崩壊により、ソ連代表は15のナショナルチームに分裂した。ただし、バルト三国ラトビアリトアニアエストニアはこれ以前にソ連からの独立を宣言しており、またCIS代表にも参加していない。地域的に欧州サッカー連盟(UEFA)に加盟したチームとアジアサッカー連盟(AFC)に加盟したチームに大別される。

欧州サッカー連盟に加盟したナショナルチーム

アジアサッカー連盟に加盟したナショナルチーム

歴史

誕生

1924年のソビエト社会主義共和国連邦代表

帝政ロシアにおいてもサッカーのナショナルチームが編成されており、サッカーロシア帝国代表が1912年から1914年にかけて活動していた。1914年以降は第一次世界大戦ロシア革命内戦による極度の混乱から長らくナショナルチームは結成されなかった。

旧ロシア帝国の領域からナショナルチームが輩出されるのは1923年になってからでロシア・ソビエト連邦社会主義共和国が結成されるまで待たなくてはならなかった。

翌1924年には初めてソビエト連邦代表が結成される。

黄金期

第二次世界大戦後の1950年代から1960年代にかけてがソビエト社会主義共和国連邦代表の黄金期であった。

第一にはオリンピックでの活躍が挙げられる。第二次世界大戦以降のオリンピックでのサッカー競技は、ステート・アマを採用した東側諸国の台頭が著しかったが、ソ連もその例に漏れなかった。1956年メルボルンで金メダル、1972年ミュンヘン1976年モントリオール1980年モスクワでは銅メダルを獲得した。1988年ソウルはプロ解禁が行われた後であったが、金メダルを獲得しソ連代表の有終の美を飾った。

ワールドカップでは、オリンピックほどの目立った活躍はないものの、1966 FIFAワールドカップではベスト4に進出するなど、しばしば上位に進出する強豪の一角として知られていた。またソ連代表の伝説的な選手であり、史上最高のゴールキーパーとされるレフ・ヤシンは世界年間最優秀ゴールキーパーに与えられる賞であるヤシン・トロフィーにその名を残しており往時の強さを偲ばせている。

欧州選手権での活躍も目覚ましく、1960年の第1回大会で優勝。その後も1964年、1972年、1988年で準優勝になっている。1988年の準優勝は同年のオリンピック金メダルと並んで、ソ連代表の有終の美を飾った。

崩壊

1980年代後半の東欧革命は、ソ連にも連邦制の不安定化として跳ね返ってきた。1990年にはバルト三国で独立運動が起こり、翌1991年の8月クーデターで、ソ連の崩壊は決定的になった。この時点でサッカーソ連代表は翌1992年の欧州選手権に向けて予選を戦っていたが、本戦の出場が確定した後の1991年12月25日にソビエト連邦が崩壊した。

このため、旧ソ連はCIS代表として本戦に出場する事になった。ただしソ連崩壊以前に独立していたバルト三国はこれに含まれていない。選手に関してはナショナルチームを選択する自由が与えられ、相当の猶予期間が設定されたため、この間に別のナショナルチームで活躍する選手もいた。

成績

FIFAワールドカップ

開催国 / 年 成績
1930 不参加
1934
1938
1950
1954
1958 ベスト8 5 2 1 2 5 6
1962 4 2 1 1 9 7
1966 4位 6 4 0 2 10 6
1970 ベスト8 4 2 1 1 6 2
1974 不参加
1978 予選敗退
1982 2次リーグ敗退 5 2 2 1 7 4
1986 ベスト16 4 2 1 1 12 5
1990 グループリーグ敗退 3 1 0 2 2 4
合計 出場7回 31 15 6 10 51 34

UEFA欧州選手権

開催国 / 年 成績
1960 優勝 2 2 0 0 5 1
1964 準優勝 2 1 0 1 4 2
1968 4位 2 0 1 1 0 2
1972 準優勝 2 1 0 1 4 3
1976 予選敗退
1980
1984
1988 準優勝 5 3 1 1 7 4
1992 グループリーグ敗退 3 0 2 1 1 4
合計 出場7回/優勝1回 16 7 4 5 18 16

※予選はソビエト連邦代表として出場したものの、本大会には「独立国家共同体(CIS)代表」として出場

選手

キャップ

名前 キャップ数 期間
1 オレグ・ブロヒン 112 1972-1988
2 リナト・ダサエフ 91 1979-1990
3 アリベルト・シェステルニョフ 90 1961-1971
4 アナトリー・デミヤネンコ 80 1981-1989
5 ウラジーミル・ベスソノフ 79 1977-1990
6 セルゲイ・アレイニコフ 77 1984-1991
7 レフ・ヤシン 74 1954-1967
8 ムルタズ・フルツィラワ 69 1965-1973
9 オレグ・プロタソフ 68 1984-1992
10 ヴァレリー・ヴォロニン 66 1960-1968

得点

名前 得点数 期間
1 オレグ・ブロヒン 42 1972-1988
2 オレグ・プロタソフ 29 1984-1992
3 ワレンチン・イワノフ 26 1955-1965
4 エドゥアルド・ストレリツォフ 25 1955-1968
5 ヴィクトル・コロトフ 22 1970-1978
6 イーゴリ・チスレンコ 20 1959-1968
ヴィクトル・ポネデルニク 1960-1966
8 アナトリー・バニシェフスキー 19 1965-1972
9 アナトリ・イーリン 16 1952-1959
10 アナトリー・ブイショヴェツ 15 1966-1972
ゲンナジー・リトフチェンコ 1984-1990

関連項目

外部リンク




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