1980年モスクワオリンピック のサッカー 競技 (1980ねんモスクワオリンピックのサッカーきょうぎ)は7月20日 に開幕、8月2日 に決勝戦が行われチェコスロバキア が金メダルを獲得した。
概要
東側諸国 では、報酬を国家から貰い、競技に専念できる環境が整えられながらも、身分は国家公務員=アマチュア として維持できるステート・アマ と言う形態が常態化しており、プロを送り込めず「アマチュア選抜」で臨む西側諸国 に対し、ほぼA代表に等しい編成で代表チームを参加させることができた。こうして東側諸国が1952年 から1980年 まで、8つの金メダルを独占した。この期間それ以外のメダルも、デンマークの銀が1回、銅メダルはスウェーデンと日本が1回ずつと、ほぼ全てのメダルを東側が独占的に手に入れる時代に突入した。東側諸国に有利なこの状況を打破する為、国際サッカー連盟(FIFA) は今大会のモスクワ五輪からワールドカップ(W杯) 予選もしくはW杯本大会に出場した欧州と南米の選手は、五輪に出場できないことにしたが[ 1] 、今大会の前年1979年 に起こったソ連 のアフガニスタン侵攻 に反発した西側諸国がモスクワ五輪をボイコットしたため、東側諸国の優位が続いた。結果的に各国のオリンピック代表チームは非常に若い年代で構成されたチーム編成となり、後の年代別代表の一環としてのオリンピック代表の原型が形作られた。
サッカー競技 では、アルゼンチン 、エジプト 、ガーナ 、イラン 、マレーシア 、ノルウェー 、アメリカ合衆国 がボイコット。これに代わって、ベネズエラ 、ザンビア 、ナイジェリア 、イラク 、シリア 、フィンランド 、キューバ がエントリした。
参加国の交代はあったものの、参加国数自体は変化しなかったため、参加16各国を4つのグループに分けてグループリーグを行い、上位2カ国がトーナメントに進出するという方式がとられた。
参加国
試合結果
グループA
位
国
勝
分
負
得
失
差
点
1.
ソビエト連邦
3
0
0
15
1
+14
6
2.
キューバ
2
0
1
3
9
-6
4
3.
ベネズエラ
1
0
2
3
7
-4
2
4.
ザンビア
0
0
3
2
6
-4
0
7月20日
ソビエト連邦
4
-
0
ベネズエラ
7月20日
キューバ
1
-
0
ザンビア
7月22日
ソビエト連邦
3
-
1
ザンビア
7月22日
キューバ
2
-
1
ベネズエラ
7月24日
ソビエト連邦
8
-
0
キューバ
7月24日
ベネズエラ
2
-
1
ザンビア
グループB
位
国
勝
分
負
得
失
差
点
1.
チェコスロバキア
1
2
0
4
1
+3
4
2.
クウェート
1
2
0
4
2
+2
4
3.
コロンビア
1
1
1
2
4
-2
3
4.
ナイジェリア
0
1
2
2
5
-3
1
7月21日
クウェート
3
-
1
ナイジェリア
7月21日
チェコスロバキア
3
-
0
コロンビア
7月23日
コロンビア
1
-
1
クウェート
7月23日
チェコスロバキア
1
-
1
ナイジェリア
7月25日
コロンビア
1
-
0
ナイジェリア
7月25日
チェコスロバキア
0
-
0
クウェート
グループC
位
国
勝
分
負
得
失
差
点
1.
東ドイツ
2
1
0
7
1
+6
5
2.
アルジェリア
1
1
1
4
2
+2
3
3.
スペイン
0
3
0
2
2
0
3
4.
シリア
0
1
2
0
8
-8
1
7月20日
東ドイツ
1
-
1
スペイン
7月20日
アルジェリア
3
-
0
シリア
7月22日
東ドイツ
1
-
0
アルジェリア
7月22日
スペイン
0
-
0
シリア
7月24日
東ドイツ
5
-
0
シリア
7月24日
スペイン
1
-
1
アルジェリア
グループD
位
国
勝
分
負
得
失
差
点
1.
ユーゴスラビア
2
1
0
6
3
+3
5
2.
イラク
1
2
0
4
1
+3
4
3.
フィンランド
1
1
1
3
2
+1
3
4.
コスタリカ
0
0
3
2
9
-7
0
7月21日
イラク
3
-
0
コスタリカ
7月21日
ユーゴスラビア
2
-
0
フィンランド
7月23日
フィンランド
0
-
0
イラク
7月23日
ユーゴスラビア
3
-
2
コスタリカ
7月25日
フィンランド
3
-
0
コスタリカ
7月25日
ユーゴスラビア
1
-
1
イラク
ノックアウトステージ
トーナメント表
準々決勝
準決勝
3位決定戦
決勝
最終結果
各国メダル数
関連項目
脚注
^ 国吉好弘『サッカーマルチ大事典改訂版』2006年4月14日発行
外部リンク