ルイ・アグアス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/12/21 00:31 UTC 版)
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この名前は、ポルトガル語圏の人名慣習に従っています。第一姓(母方の姓)はロペス、第二姓(父方の姓)はアグアスです。 |
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名前 | ||||||
本名 |
ジョゼ・ルイ・ロペス・アグアス José Rui Lopes Águas | |||||
ラテン文字 | Rui Águas | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 |
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生年月日 | 1960年4月28日(58歳) | |||||
出身地 | リスボン | |||||
身長 | 179cm | |||||
体重 | 74kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1981-1982 |
![]() | - | (-) | |||
1982-1983 |
![]() | - | (-) | |||
1983-1985 |
![]() | 46 | (10) | |||
1985-1988 |
![]() | 74 | (35) | |||
1988-1990 |
![]() | 64 | (30) | |||
1990-1994 |
![]() | 99 | (42) | |||
1994 |
![]() | 9 | (4) | |||
1995 |
![]() | 12 | (0) | |||
代表歴 | ||||||
1985-1993 |
![]() | 31 | (10) | |||
監督歴 | ||||||
1999-2001 |
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2003-2006 |
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2014- |
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1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ジョゼ・ルイ・ロペス・アグアス(José Rui Lopes Águas, 1960年4月28日 - )は、ポルトガルの首都・リスボン出身の元ポルトガル代表のサッカー選手。ポジションはFW。
経歴
ポルトガルのリスボンで生まれ、地元のGDセジンブラでキャリアをスタートさせ、翌年はアトレチコCPでプレーした。
1985年にSLベンフィカに移籍すると1年目に12ゴールを決めるなどチームの3冠に貢献した。1988年にはUEFAチャンピオンズカップ決勝まで勝ち進んだが決勝でPSVアイントホーフェンに敗れた。
1988年の夏に、FCポルトに移籍し2年目には17得点を決めた。わずか2年でベンフィカに戻り25得点を決め得点王を獲得した。その後CFエストレラ・アマドーラに移籍。1995年1月にイタリアのレッジャーナに移籍し、そのシーズンの後に現役を引退した。
引退後の2000年にヴィトーリアFCの監督に就任し、2003年にはSCブラガのアシスタントコーチを務めた。
代表歴
ポルトガル代表として、1985年4月3日にイタリア代表戦でデビューを果たした。その後1986 FIFAワールドカップメンバーにも選ばれた。1993年11月17日の1994 FIFAワールドカップ予選イタリア代表戦が最後の代表戦となった。
人物
父親は1950年代から60年代にかけてのSLベンフィカやポルトガル代表でプレーしたストライカーのジョゼ・アグアスがいる。また姉のレーナ・ダグアはポルトガル最初の女性ロック歌手で、「日本帝国」というヒット曲がある。いとこにはサッカーの選手及び監督経験のあるラウル・アグアスがいる。
タイトル
クラブ
- SLベンフィカ
- スーペル・リーガ : 1986-87, 1990-91, 1993-94
- タッサ・デ・ポルトガル : 1985-86, 1986-87, 1992-93
- スーペルタッサ・カンディド・デ・オリベイラ : 1985
- FCポルト
- スーペル・リーガ : 1989-90
個人
- スーペル・リーガ得点王 : 1990-91
外部リンク
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固有名詞の分類
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