ディーター・ヘーネス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/16 00:34 UTC 版)
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| 名前 | ||||||
| ラテン文字 | Dieter Hoeneß | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 | |
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| 生年月日 | 1953年1月7日(72歳) | |||||
| 出身地 | ウルム | |||||
| 選手情報 | ||||||
| ポジション | FW | |||||
| クラブ1 | ||||||
| 年 | クラブ | 出場 (得点) | ||||
| 1975-1979 1979-1987 |
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104 (44) 224 (102) |
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| 代表歴 | ||||||
| 1979-1986 | |
6 (4) | ||||
| 1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
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ディーター・ヘーネス(Dieter Hoeneß, 1953年1月7日 - )は、ドイツ出身の元サッカー選手。ポジションはFW。元ドイツ代表。
同じく元ドイツ代表のウリ・ヘーネスは実兄。サッカー指導者のセバスティアン・ヘーネスは息子にあたる。
経歴
プロ選手としてのキャリアを始める以前にVfBウルムとSSVウルム1846でアマチュア選手としてプレーをした。そして1975年にVfBシュトゥットガルトとプロ契約を結び、1979年からはバイエルン・ミュンヘンへ移籍した。バイエルン時代には最も成功した時間を過ごし、5度のブンデスリーガ(1980、1981、1985、1986、1987)と3度のDFBポカール(1982、1984、1986)制覇に貢献した。また強烈なヘディングシュートが持ち味で、1987年に現役を退くまでブンデスリーガ通算258試合出場127得点を記録した。
西ドイツ代表としては1979年から1986年の間に国際Aマッチ6試合出場4得点を記録し、1986年のFIFAワールドカップ・メキシコ大会にも出場し準優勝に貢献した。また33歳と173日の年齢で同大会の決勝戦にも出場した。
現役引退後はバイエルン・ミュンヘンの主要なスポンサーであったコンピューターメーカーのコモドール社の広報担当を務めた。1990年からはVfBシュトゥットガルトのゼネラルマネージャーに就任。1996年から2009年まではヘルタ・ベルリンの副会長を務めていた。2010年よりVfLヴォルフスブルクのゼネラルマネージャーに就任した。
外部リンク
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