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ジョック・ステイン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/12/22 15:29 UTC 版)

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ジョック・ステイン
1971年のステイン
名前
本名 ジョン・ステイン
John Stein
ラテン文字 Jock Stein
基本情報
国籍 スコットランド
生年月日 1922年10月5日
出身地 サウス・ラナークシャー
没年月日 (1985-09-10) 1985年9月10日(62歳没)
選手情報
ポジション DF
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1942-1950 アルビオン・ローヴァーズ 94 (4)
1950-1951 ラネリAFC 44 (5)
1951-1956 セルティック 106 (2)
監督歴
1960-1964 ダンファームリン
1964-1965 ハイバーニアン
1965 スコットランド
1965-1978 セルティック
1978 リーズ・ユナイテッド
1978-1985 スコットランド
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ジョン “ジョック”・ステインJohn 'Jock' Stein CBE, 1922年10月5日 - 1985年9月10日)は、スコットランドサッカー選手および監督。元スコットランド代表監督、元セルティックFC監督(1965年 - 1978年)である。

経歴

現役時代はセンターバックとして活躍し、1956年に足首のケガで引退。セルティックでは通算148試合に出場し、2得点を記録した。

1960年ダンファームリン・アスレティックFCで監督歴をスタートし、1965年にセルティックの監督に就任。1965-1966シーズンから1973-1974シーズンにかけてリーグ記録の9連覇を達成。特に1966-1967シーズンには、イギリス勢初となるUEFAチャンピオンズカップ(現UEFAチャンピオンズリーグ)優勝を果たすと共に、リーグ戦とスコティッシュカップも優勝しトレブルを果たすと、スコティッシュリーグカップも優勝し4冠を達成した。1970年大英帝国勲章を受勲した。

1978年にスコットランド代表監督に就任し、1982 FIFAワールドカップ出場を果たした。しかし1986 FIFAワールドカップヨーロッパ予選の最終戦、勝てばオーストラリア代表との大陸間プレーオフ進出が決まるアウェーでのウェールズ戦で、決勝のPKを獲得したときに心臓発作に襲われ、急死した。その後、アシスタントコーチだったアレックス・ファーガソンが監督を引き継いだ。また当時のスコットランド代表の10番が、後のセルティック監督でスコットランド代表監督を務めたゴードン・ストラカンであった。

セルティックFCのホームスタジアム、セルティック・パークの西側スタンドは「ジョック・ステイン・スタンド」と名付けられている。

獲得タイトル

指導者時代

ダンファームリン・アスレティック
セルティック
先代:
ヨーロッパトレブル
セルティック
1966年 - 1967年
次代:
シュテファン・コヴァチ
アヤックス
先代:
イアン・マッコール
アリー・マクラウド
スコットランド代表監督
1965年 - 1966年
1978年 - 1985年
次代:
ジョン・プレンティス
アレックス・ファーガソン



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