クラウディオ・ラニエリとは? わかりやすく解説

クラウディオ・ラニエリ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/08 03:31 UTC 版)

クラウディオ・ラニエリ
カリアリ監督時代のラニエリ (2023年)
名前
愛称 アッジュスタトーレ (修理屋[1])
ラテン文字 Claudio RANIERI
基本情報
国籍 イタリア
生年月日 (1951-10-20) 1951年10月20日(73歳)
出身地 ローマ
選手情報
ポジション DF
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1973-1974 ローマ 6 (0)
1974-1982 カタンザーロ 225 (8)
1982-1984 カターニア 92 (1)
1984-1986 パレルモ 40 (0)
通算 363 (9)
監督歴
1986-1987 ラメーツィア
1987-1988 カンパニア州
1988 カンパニア
1988-1991 カリアリ
1991-1993 ナポリ
1993-1997 フィオレンティーナ
1997-1999 バレンシア
1999-2000 アトレティコ・マドリード
2000-2004 チェルシー
2004-2005 バレンシア
2007 パルマ
2007-2009 ユヴェントス
2009-2011 ローマ
2011-2012 インテル
2012-2014 モナコ
2014 ギリシャ代表
2015-2017 レスター・シティFC
2017-2018 ナント
2018-2019 フラム
2019 ローマ
2019-2021 サンプドリア
2021-2022 ワトフォード
2022-2024 カリアリ
2024-2025 ローマ
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

クラウディオ・ラニエリClaudio Ranieri1951年10月20日 - )は、イタリアローマ出身の元サッカー選手および指導者。現役時代のポジションはディフェンダー

選手経歴

ローマ時代のラニエリ(1973年のパニーニ・ステッカーより)

1973年にASローマでプロデビュー。しかし、出場機会に恵まれず、2シーズンで6試合に出場したのみで移籍。その後はカタンザーロカターニアパレルモと渡り歩き、主にDFとしてプレー。1985-86シーズンを最後に引退した。

監督経歴

キャリア初期

1986年より監督としてのキャリアを開始。イタリア下部のチームを率いた後、1988年にカリアリの監督に就任した。同クラブをセリエC1からセリエAまで引き上げる。この実績が認められ、1991年にはナポリの監督に就任[2]。就任2年目に成績不振で解任されたが、衰えの見えていたディエゴ・マラドーナに代わり、若手だったジャンフランコ・ゾラの才能を見出した。1993年よりフィオレンティーナの指揮官に就任すると、セリエAへの昇格に成功。1996年にはコッパ・イタリア優勝に導いた[2]

バレンシア (第1期)

1997年にはスペインに新天地を求め、バレンシアの監督に就任[2]カウンターアタックによる攻撃スタイルを確立し、2シーズンの間にバレンシアを上位争いに食い込むチームへと成長させた。また、人材の育成や獲得にも手腕を発揮。下部組織出身のガイスカ・メンディエタミゲル・アンヘル・アングロを育て、レアル・マドリードからサンティアゴ・カニサレスを獲得し正GKに据えた。

アトレティコ・マドリード

1999年、アトレティコ・マドリードの監督に就任。しかし、勝ち点を伸ばすことができず、17位まで低迷した翌年3月に解任された[2]

チェルシー

アトレティコ・マドリードの監督を経て、2000年にイングランドチェルシーFCの監督に就任[2]。ナポリ監督時代の教え子ゾラを中軸に据えつつ、フランク・ランパードウィリアム・ギャラスを獲得し、未来のキャプテンであるジョン・テリーを抜擢する一方で、ベテランのデニス・ワイズを放出するなどチームの改革に成功した。2003年夏にロマン・アブラモヴィッチが新オーナーになると、1億5,000万ユーロを投じる空前の大型補強が行われる。期待が高まる中で迎えた2003-04シーズンは、無敗で優勝したアーセナルに次ぐ国内リーグ2位、UEFAチャンピオンズリーグではアーセナルを破ってのベスト4と一定の結果を出したが、求められていたタイトル獲得はならず。ラニエリはシーズン終了と同時に解任され[2]ジョゼ・モウリーニョがその後釜に座ることになった。

バレンシア (第2期)

2004年夏、バレンシアの監督に復帰[2]。開幕前にマルコ・ディ・ヴァイオステファノ・フィオーレエミリアーノ・モレッティといったイタリア人の戦力を集め話題になる。しかし、成績は振るわずシーズン途中の2005年2月に解任された[2]

パルマ

パルマ時代

2年の空白期間を経て、2007年2月にパルマFCの監督に就任。冬の移籍市場で加入したジュゼッペ・ロッシの大活躍にも助けられ、就任時に18位だったチームを立て直し、最終的に12位まで順位を上げてセリエA残留に成功した[2]

ユヴェントス

パルマとは契約を延長せず、翌2007-08シーズンよりセリエAに復帰するユヴェントスの指揮官に3年契約で迎えられる[3]。昇格直後のチームを率いてリーグ戦を3位で終え、UEFAチャンピオンズリーグ出場権を獲得した。

就任2年目の2008-09シーズンは、チャンピオンズリーグのグループステージでレアル・マドリードに連勝したものの、決勝トーナメント一回戦でチェルシーFCに敗北。国内リーグでも勝ちきれない試合が続き、2009年5月18日に解任された[4]

ローマ(第1期)

2009年9月2日、開幕直後に辞任したルチアーノ・スパレッティの後任として、古巣であり出身地のクラブでもあるASローマの監督に就任[5]。実利優先の堅実なサッカーを導入し、チームを上昇気流に乗せることに成功[6]。優勝したインテルと勝ち点2差の2位でシーズンを終え、UEFAチャンピオンズリーグ出場権を得た。しかし、翌シーズンは一転して不振に陥り、シーズン途中の2011年2月20日に辞任した[2]

インテル

2011年9月22日、ジャン・ピエロ・ガスペリーニの後を受けてインテルの監督に就任した[2]。契約期間は2013年6月30日までの2年間。7連勝を挙げるなど一時は好調だったが、1月末から9戦勝ちなし、UEFAチャンピオンズリーグもベスト16で敗退と低迷。ユヴェントスに0-2で敗れた後、解任された[7]

ASモナコ

2012年5月、リーグ・ドゥASモナコの監督に就任。2012-13シーズンは1部昇格に導き、大量補強をした2013-14シーズンは2位に導きチャンピオンズリーグ出場権を得るものの、2014年5月に解任[2]

ギリシャ代表

2014年のワールドカップ終了後にギリシャ代表監督に就任するが、成績不振により同年11月に解任[8]。公式戦の戦績は4試合で3敗1分け。UEFA EURO 2016予選は最下位に低迷していた。

レスター・シティ

シーズン開幕前に電撃解任されたナイジェル・ピアソンの後を受け、2015-16シーズンから指揮をとった。ラニエリは監督就任すると真っ先に守備を整備し、シンプルなフォーメーション 442の堅守速攻[9]へと舵を切り、先発メンバーを固定し、基本と堅守を徹底し難しい戦術などは切り捨てた。プレミアリーグ新となる11戦連続ゴールを記録し[10]、叩き上げのFW ジェイミー・ヴァーディを活かすカウンターで手堅く勝ち点を積み重ね常勝していった。

ヴァーディはチームでの活躍を評価されナショナルチーム初招集を受けた。ダニー・ドリンクウォーターエンゴロ・カンテはこのシーズンのPFA年間最優秀選手賞を受賞した。リヤド・マフレズなどの進境著しい選手を率い、残留争いを演じていた前シーズンとは一転、シーズン前半から首位争いを演じた。シーズンを折り返した後も2位につけていた優勝争いの常連、マンチェスター・シティを敵地エティハド・スタジアムで破り[11]首位を守るなど好調を維持。2016年5月2日に優勝が確定、レスター・シティにクラブ創設133年目にして初のトップリーグタイトルをもたらす[12]とともに、自身も長年欧州各国の強豪チームの監督を務めたにもかかわらず無縁だったリーグタイトルを、初めて手にすることになった[13]

翌シーズンは、UEFAチャンピオンズリーグではグループステージを首位突破したものの、リーグ戦では降格圏に低迷。2017年2月23日、成績不振による解任が発表された[14]

ナント

2017年6月12日、FCナントの監督に就任。シーズン終盤までは好調だったが、その後は勝ち星を得られず、最終試合を前に今シーズン限りでの退任を発表した[2]

フラム

2018年11月14日、フラムFCの監督に就任した[15]。しかし、シーズン通じての悪い流れを変えることは出来ず、2019年2月28日に解任された[16]

ローマ(第2期)

2019年3月8日、解任されたエウゼビオ・ディ・フランチェスコの後任として、ASローマの監督に就任[17]2018-19シーズン終了まで監督を務めた[2]

サンプドリア

2019年10月12日、UCサンプドリアの監督に就任[18]。2020-21シーズン終了後に退任した[2]

ワトフォード

2021年10月4日、ワトフォードFCの監督に就任した[19]。シーズン途中に就任したが不振に陥り、ノリッジ・シティ戦に0-3で敗れた後、2022年1月25日、解任が発表された[20]

カリアリ(第2期)

2022年12月23日、解任されたファビオ・リベラー二の後任としてセリエBのカリアリ監督に就任、当時セリエC1だった1988年以来32シーズン振りの復帰であった。契約期間は2025年6月まで。

就任当初リーグ14位と低迷していたチームを立て直し、5位でセリエA昇格プレーオフに進出。決勝でSSCバーリに勝利し、1年で再昇格に導いた[21]

2024年に監督業の引退を表明し、2023-24シーズンをもって勇退した[22]

ローマ(第3期)

2024年11月16日、廃業の身であったが低迷していた古巣ローマの立て直しを請われ、解任されたイヴァン・ユリッチの後任として監督に就任した[23]。以降はリーグ戦を16勝6分4敗という驚異的なV字回復で好転させ、UEFAヨーロッパリーグの出場権も手にした。

シーズン終了後にはクラブの上級管理職に就任し、スポーツ面でのオーナーのアドバイザーとなることも併せて発表された[24]

監督成績

2025年5月30日現在
クラブ 就任 退任 記録
勝率
ラメーツィア 1986年5月28日 1987年6月9日 30 21 8 1 44 12 +32 070.00
ポッツオーリ 1987年6月10日 1988年1月25日 24 5 7 12 14 34 −20 020.83
ポッツオーリ 1988年5月9日 1988年6月9日 4 0 1 3 3 11 −8 000.00
カリアリ 1988年6月7日 1991年5月31日 123 48 48 27 126 98 +28 039.02
ナポリ 1991年5月31日 1992年11月22日 55 25 16 14 92 66 +26 045.45
フィオレンティーナ 1993年9月19日 1997年6月3日 174 76 58 40 266 185 +81 043.68
バレンシア 1997年9月19日 1999年6月27日 96 51 18 27 169 106 +63 053.13
アトレティコ・マドリード 1999年6月29日 2000年2月3日 39 16 10 13 63 53 +10 041.03
チェルシー 2000年9月18日 2004年5月31日 199 107 46 46 358 197 +161 053.77
バレンシア (第2期) 2004年6月16日 2005年2月25日 36 15 9 12 48 41 +7 041.67
パルマ 2007年2月13日 2007年5月31日 18 7 6 5 24 19 +5 038.89
ユヴェントス 2007年6月4日 2009年5月18日 93 46 30 17 168 96 +72 049.46
ローマ 2009年9月2日 2011年2月20日 84 47 16 21 140 103 +37 055.95
インテル 2011年9月22日 2012年3月26日 35 17 5 13 46 42 +4 048.57
モナコ 2012年5月30日 2014年5月20日 88 51 26 11 152 77 +75 057.95
ギリシャ代表 2014年7月25日 2014年11月15日 4 0 1 3 1 5 −4 000.00
レスター・シティ 2015年6月15日 2017年2月23日 81 36 22 23 119 105 +14 044.44
ナント 2017年6月15日 2018年6月1日 41 15 10 16 44 48 −4 036.59
フラム 2018年11月14日 2019年2月28日 17 3 3 11 16 34 −18 017.65
ローマ (第2期) 2019年3月8日 2019年5月27日 12 6 4 2 17 12 +5 050.00
サンプドリア 2019年10月12日 2021年6月30日 72 27 13 32 99 108 −9 037.50
ワトフォード 2021年10月4日 2022年1月24日 14 2 1 11 17 34 −17 014.29
カリアリ (第2期) 2023年1月1日 2024年5月23日 65 22 22 21 81 89 −8 033.85
ローマ (第3期) 2024年11月14日 2025年5月 36 22 7 7 61 32 +29 061.11
合計 1,439 665 386 388 2,168 1,607 +561 046.21

タイトル

クラブ

ACFフィオレンティーナ
バレンシアCF
レスター・シティFC

個人

関連書籍

出典

  1. ^ “修理屋”ラニエリでもお手上げ!? インテルが直面する未曾有の危機。1 Number
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o ワトフォードでの初陣は大敗…ラニエリ監督のキャリアを初陣で振り返る”. サッカーキング (2021年10月18日). 2021年10月18日閲覧。
  3. ^ UEFA.com. “ユベントスの選択はラニエリ氏”. UEFA.com. 2016年5月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年6月5日閲覧。
  4. ^ ユヴェントスがラニエリ監督解任を発表”. www.goal.com (2009年5月19日). 2021年10月18日閲覧。
  5. ^ ローマ監督就任を喜ぶラニエリ”. www.goal.com (2009年2月14日). 2021年10月18日閲覧。
  6. ^ ローマを上昇気流に乗せたラニエリの手腕とは[リンク切れ]
  7. ^ インテル、ついに監督交代 ラニエリ退任 | Goal.com”. www.goal.com (2012年3月27日). 2021年10月18日閲覧。
  8. ^ ギリシャのラニエリ監督が解任、連盟が発表
  9. ^ レスターが起こした“反革命”…覆された現代サッカーにおける6つの常識”. soccer-king.jp (2016年5月7日). 2016年5月7日閲覧。
  10. ^ ヴァーディの連続得点記録がストップ…レスター、完封勝利で首位浮上”. サッカーキング (2015年12月6日). 2021年10月18日閲覧。
  11. ^ 試合結果[リンク切れ]
  12. ^ 岡崎レスター、プレミア初制覇!トットナム痛恨ドローで決定”. スポニチAnnex (2016年5月3日). 2016年5月7日閲覧。
  13. ^ ラニエリ監督、自身初のリーグ制覇に「必ず成し遂げられると信じていた」”. sanspo.com (2016年5月3日). 2016年5月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年5月7日閲覧。
  14. ^ “岡崎所属レスターがラニエリ監督を解任…奇跡の優勝から一転、今季は降格迫る低迷”. サッカーキング (サッカーキング SOCCERKING). (2017年2月24日). https://www.soccer-king.jp/news/world/eng/20170224/555122.html?cx_top=topix 2017年2月24日閲覧。 
  15. ^ 最下位フルアムがミラクル・レスターを率いたラニエリ監督を招へい!”. 超ワールドサッカー (2018年11月14日). 2018年11月14日閲覧。
  16. ^ フルアムがラニエリ監督を解任! 暫定監督にコーチのスコット・パーカー氏が就任”. 超ワールドサッカー (2019年3月1日). 2019年3月1日閲覧。
  17. ^ Claudio Ranieri takes charge at AS Roma” (英語). www.asroma.com. 2019年5月31日閲覧。
  18. ^ サンプドリア、ラニエリ氏の新指揮官就任を発表! 初陣は昨季指揮官を務めたローマ戦に”. 超ワールドサッカー (2019年10月13日). 2019年10月13日閲覧。
  19. ^ ワトフォード、名将・ラニエリ氏を新監督に招へい!”. 超ワールドサッカー (2021年10月4日). 2021年10月5日閲覧。
  20. ^ 19位に沈むワトフォード、成績不振でラニエリ監督を解任…約4カ月でわずか2勝に終わる”. 超ワールドサッカー (2022年1月25日). 2022年1月25日閲覧。
  21. ^ カリアリを劇的セリエA復帰に導いたラニエリが感極まる…「サルデーニャの人々の勝利と昇格」”. CWS Brains【超ワールドサッカー】 (2023年6月12日). 2023年6月12日閲覧。
  22. ^ サッカー=ラニエリ監督が引退表明、レスターで岡崎らとプレミア制覇”. ロイター (2024年5月25日). 2024年11月2日閲覧。
  23. ^ Claudio Ranieri è il nuovo responsabile tecnico dell'AS Roma” (イタリア語). AS Roma (2024年11月14日). 2024年11月19日閲覧。
  24. ^ ローマ、“修理屋”ラニエリ監督の指揮官就任を正式発表!「おかえりなさい、ミステル!」”. Soccer-king (2024年11月14日). 2024年11月15日閲覧。

外部リンク


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