サビノ・バリナガとは? わかりやすく解説

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サビノ・バリナガ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/05/13 01:11 UTC 版)

この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の)はバリナガ第二姓(母方の)はアルベルディです。
サビノ・バリナガ
名前
ラテン文字 Sabino Barinaga Alberdi
基本情報
国籍 スペイン
生年月日 (1922-08-15) 1922年8月15日
出身地 ドゥランゴ
没年月日 (1988-03-19) 1988年3月19日(65歳没)
身長 180cm
体重 78kg
選手情報
ポジション FW
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

サビノ・バリナガ・アルベルディSabino Barinaga Alberdi, 1922年8月15日 - 1988年3月19日)は、スペインビスカヤ県ドゥランゴ出身の元サッカー選手。ポジションはFW

経歴

バスク地方ビスカヤ県出身のバリナガは、スペイン内戦が始まった直後にイングランドへと移った。そこでサッカーを始め、1938年にサウサンプトンFCのユースチームに加入。リザーブチームでは、1シーズンで62得点を挙げた。

スペインに戻ったバリナガは、バスクに本拠地を置くアスレティック・ビルバオの入団テストに合格する。しかし、オファー内容に納得のいかなかったバリナガはレアル・マドリードへ移籍した。レアル・バリャドリードへのレンタル移籍を挟んで1950年までプレー。1947年12月14日、CFベレネンセス戦にてエスタディオ・サンティアゴ・ベルナベウでのクラブ初得点を記録した。

その後、レアル・ソシエダへ移籍。1954年にレアル・ベティスで引退した。

引退後は指導者としての道を歩み、引退翌年にはベティスの監督に就任。その後もスペインなどのクラブで指揮を執ったほか、1968年から1969年、1971年から1972年にはそれぞれナイジェリア代表モロッコ代表の監督を務めた。

1988年3月19日、心臓病のためマドリードにて死去。

所属クラブ

獲得タイトル

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