レアル・オビエド
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/25 00:01 UTC 版)
レアル・オビエド | ||||
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原語表記 | Real Oviedo S.A.D. | |||
愛称 | Carbayones, Los Azules (The Blues), El Rey de Asturias (The King of Asturias), Los Godos (The Goths),[1] Oviedistas |
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クラブカラー | 青・ 白 | |||
創設年 | 1926年 | |||
所属リーグ | リーガ・エスパニョーラ | |||
所属ディビジョン | ラ・リーガ | |||
ホームタウン | ![]() |
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ホームスタジアム | ![]() カルロス・タルティエレ |
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収容人数 | 30,500人[2] | |||
運営法人 | ![]() ![]() その他 (29%)[3] |
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代表者 | ![]() |
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監督 | ![]() |
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公式サイト | 公式サイト | |||
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■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ |
レアル・オビエド S.A.D.(Real Oviedo S.A.D.)は、スペイン・アストゥリアス州オビエドに本拠地を置くサッカークラブチーム。2025-26シーズンはリーガ・エスパニョーラのラ・リーガ(1部リーグ)に在籍している。
1926年3月26日創立。30,500人収容のエスタディオ・カルロス・タルティエレをホームスタジアムとしている。ホームでは青色のシャツと白色のソックスを着用する。ラ・リーガ通算順位表では18位に位置する。スペインでも有数の、忠誠心と熱烈さを備えるサポーターを有することで知られている[4]。
歴史
1926年、スタディウム・オベテンセ(Stadium Ovetense)と合併してレアル・オビエド・クルブ・デ・フットボル(Real Oviedo Club de Fútbol)が設立され、7年後の1933年に初めてプリメーラ・ディビシオン(1部)に到達した。当時としては画期的な、鋭いパスやワンタッチパスなどを用いて試合の主導権を握る戦術を採用し、1933-34シーズンからの3シーズンはリーグ戦上位に入る成功を収めた。攻撃陣はエミリン、ガレ、エドゥアルド・エレーラ・ブエノ、イシドロ・ランガラの4選手(いずれもスペイン代表であった)で構成され、他にはカスコやリカルド・ガリャルトらがいた。イングランド人のフレッド・ペントランド(Fred Pentland)監督時代に初めてハードな練習や体調管理などが行われ、1930年代から1940年代の攻撃陣はデランテラス・エレクトリカス(Delanteras Eléctricas、電撃フォワード)と呼ばれた。ランガラはスペイン内戦でリーグ戦が中断する前に3シーズン連続でリーグ得点王(ピチーチ賞)のタイトルを獲得。クラブはこの3シーズンの計62試合で174得点を挙げ、あらゆる得点記録を塗り替えた。しかしその後、クラブと選手が衝突してチームは崩壊。ランガラは南米に渡り、エレーラとエミリンはFCバルセロナに、ガレはラシン・サンタンデールに、ガリャルトはラシン・フェロルに移籍した。1936年に勃発したスペイン内戦中にはグラウンドはプレーできない状態とみなされ、フランシスコ・フランコの軍隊はスタジアムを軍用廃棄場として使用した。1939年4月に内戦が終結し、同年にリーグ戦が再開されたが、1939-40シーズンはリーグ戦に参加しなかった。
1962-63シーズンには過去最高位タイの3位に食い込み、UEFAカップ出場権を獲得。1978-79シーズンには1シーズンだけであるがセグンダ・ディビシオンB(3部)まで落ち込んだ。スペインで開催される1982 FIFAワールドカップに向けて、クラブの本拠地であるエスタディオ・カルロス・タルティエレが全面改修され、チリ代表を招いて行われたお披露目試合は0-0で引き分けた。1984-85シーズンのコパ・デ・ラ・リーガ(現存せず)ではUDサラマンカ、ビルバオ・アスレティック、CFロルカ・デポルティーバ、CEサバデル、アトレティコ・マドリレーニョを破って優勝した。セグンダ・ディビシオンでプレーした1987-88シーズンには昇格プレーオフに出場し、RCDマジョルカを2試合合計2-1で下してトップリーグに返り咲いた。1988-89シーズンから1990年代前半にはリーグ中位に定着し、1990-91シーズンには6位となってUEFAカップ出場権を獲得。1991-91シーズンのUEFAカップでは1回戦でジェノアCFC(イタリア)と対戦し、2試合合計2-3で敗れて大会から去った。
1990年代後半はプリメーラ・ディビシオン残留がやっとのシーズンが続き、2000-01シーズンに18位となってセグンダ・ディビシオンに降格。2002-03シーズンはセグンダ・ディビシオンで21位となってセグンダ・ディビシオンBに降格し、クラブは深刻な財政難に陥った。オビエド市からの支援が不足し、選手への給料支払い不能という事態を招いた。2003年には強制的にテルセーラ・ディビシオン(4部)降格処分を下された。この時点でクラブは潰れかけていたが、結局更生して再編成された。2シーズン続けてテルセーラ・ディビシオンで優勝し、2005年にセグンダ・ディビシオンB昇格を決めた。2007年には再びテルセーラ・ディビシオンに降格したが、再び2シーズン連続で優勝し、2008-09シーズンの昇格プレーオフでRCDマジョルカBにPK戦の末に勝利してセグンダ・ディビシオンB(3部)昇格を決めた。しかし、財政難の状況は変わらず[5]、2012-13シーズンにはクラブ存続の危機に陥ったため、サンティ・カソルラ(下部組織に在籍)、フアン・マヌエル・マタ(下部組織に在籍)、ミチュ(2003-04シーズンにトップチームデビュー)などを輩出したクラブであることをアピールして世界各国のサッカーファンに株式の購入を呼び掛けた[6]。
2015年5月31日、プレーオフでカディスCFに対して2-1で勝利したことで16年ぶりのセグンダ・ディビシオン(2部)復帰を決めた。
2022年7月12日、CFパチューカを擁するメキシコのグルポ・パチューカおよびグルポ・カルソと資本業務提携を結ぶことが発表された。これによりグルポ・パチューカが51%の株式を、グルポ・カルソが20%の株式をそれぞれ保有することになり、グルポ・パチューカがレアル・オビエドの経営権を取得することとなった[3]。
2025年6月21日、昇格プレーオフ決勝戦2ndレグでCDミランデス相手に逆転勝利を収め、プリメーラ・ディビシオン昇格を決めた。1部リーグへの復帰は実に24年ぶりとなる[7][8]。
- リザーブチーム
リザーブチームはレアル・オビエド・ベトゥスタと名乗っているが、1990年代初頭にスペインサッカー連盟(RSFF)が奇抜なチーム名を禁止し、レアル・オビエドBに変更された。2021年にレアル・オビエド・ベトゥスタという名称が復活し、2023-24シーズンはセグンダ・フェデラシオン(4部相当)に在籍している[9]。
ライバル
同じアストゥリアス州内のスポルティング・デ・ヒホンとライバル関係にあり[10]、両クラブの対戦はアストゥリアス・ダービーと呼ばれる。2012-13シーズン開幕時点で117回のダービーが行われ、オビエドが49勝、ヒホンが38勝、引き分けが30試合である。
1926年12月6日に地域リーグの試合で初のダービーが行われ、オビエドは1-2で敗れた。プリメーラ・ディビシオンでの初のダービーは1944-45シーズンに行われ、ホームのオビエドが2-1で勝利した。このシーズンにアウェーのエスタディオ・エル・モリノンで行われた試合には0-6で大敗を喫している[11]。1998-99シーズン以降は両クラブが異なるディビジョンに在籍しているため、ダービーが行われていない。1998年3月15日に行われた最後のダービーは、オビエドがホームのエスタディオ・カルロス・タルティエレで2-1の勝利を収めた。このシーズン終了後、ヒホンは20位でセグンダ・ディビシオン(2部)降格となった。
スポンサーとサプライヤー
期間 | ユニフォームサプライヤー | 胸スポンサー |
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1990–1991 | KELME | CLAS |
1991–1993 | Cajastur | |
1993–1998 | Joluvi | |
1998–2000 | Erima | — |
2000–2001 | PUMA | |
2001–2003 | アストゥリアス州政府 | |
2003–2008 | Joluvi | |
2008–2012 | NIKE | |
2012–2014 | Joma | - |
2014–2015 | ASAC Comunicaciones[12] | |
2015–2016 | Hummel | GAM |
2016–2017 | Adidas | Procoin |
2017–2018 | ファーウェイ | |
2018–2019 | ||
2019–2020 | オビエド | |
2020–2021 | NMRナチュラル・コミットメント | |
2021–2022 | DIGIモバイル | |
2022–2023 | ||
2023-2024 | ||
2024-2025 |
タイトル
クラブタイトル
- セグンダ・ディビシオン : 5回
- 1932–33, 1951–52, 1957–58, 1971–72, 1974–75
- セグンダ・ディビシオンB : 1回
- 2014-15
- テルセーラ・ディビシオン : 4回
- 2003–04, 2004–05, 2007–08, 2008–09
- コパ・デ・ラ・リーガ :1回
- 1984-85
個人タイトル
ピチーチ賞
- イシドロ・ランガラ : 1932–33
- エドゥアルド・ゴメス : 1957–58
- ガラン : 1971–72
- カルロス・ムニョス・コボ : 1987–88
- ディエゴ・セルベーロ : 2004–05, 2007–08, 2008–09
サモラ賞
- オスカル・アルバレス : 1931–32, 1932–33
- ロンバルディア : 1971–72
- ラファエル・ポンソ : 2003–04
- オイナッツ・アウレスティア : 2008–09
過去の成績
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- 38シーズン - プリメーラ・ディビシオン(1部)
- 42シーズン - セグンダ・ディビシオン(2部)
- 9シーズン - セグンダ・ディビシオンB(3部相当)
- 4シーズン - テルセーラ・ディビシオン(現4部相当、1977年以前は3部相当)
現所属メンバー
- 2025年2月15日現在[13]
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
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リザーブチーム
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
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ローン移籍
- in
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
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- out
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
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歴代監督
フレッド・ペントランド 1926-1927
ドメネク・バルマーニャ 1954-1955
ルイス・パサリン 1955-1956, 1959
サビノ・バリナガ 1960-1961
フランシスコ・アントゥネス 1965-1966
サビノ・バリナガ 1973-1974
ビセンテ・ミエラ 1974-1976
マヌエル・ルイス・ソサ 1977-1978
サビノ・バリナガ 1978
ビセンテ・ミエラ 1987-1989
ハビエル・イルレタ 1989-1993
ラドミル・アンティッチ 1993-1995
フアン・マヌエル・リージョ 1996-1997
オスカル・タバレス 1997-1998
フェルナンド・バスケス 1998-1999
ルイス・アラゴネス 1999-2000
ラドミル・アンティッチ 2000-2001
ミゲル・サンチェス 2003
ロボ・カラスコ 2007-2008
フェルミン・アルバレス 2008
フェルミン・アルバレス 2009
ピチ・ルーカス 2009-2010
パチェタ 2011-2012
セルヒオ・エヘア 2014-2016
フェルナンド・イエロ 2016-2017
フアン・アントニオ・アンケラ 2017-2019
セルヒオ・エヘア 2019
ハビ・ロサダ 2019-2020
ホセ・アンヘル・シガンダ 2020-2022
アルバロ・セルベラ 2022-2023
ルイス・カリオン 2023-2024
ハビエル・カジェハ 2024-2025
ヴェリコ・パウノヴィッチ 2025-
歴代所属選手
GK
DF
フランシスコ・ウリア 1968-1974, 1983-1984
クリストバル・パラーロ 1988-1989, 1992-1995
ニコラ・イェルカン 1990-1996
アルマンド・アルバレス 1992-1996
ビクトル・オノプコ 1995-2002
フェルナンド・ガンボア 1996-1999
MF
パキート 1957-1963
ロベルト・プロシネチキ 1994-1995
フアン・ホセ・ボレッリ 1996-1997
ロベルト・ポンペイ 1997-2000
ゲルト・クラーセンス 1999-2000
FW
サンチェス・ラヘ 1958-1963
ヤンコ・ヤンコヴィッチ 1990-1995
オリ 1993-1997, 2000-2003
ピーター・メラー 1998-2001
スタン・コリモア 2001
アドリアン・ロペス 2005-2006
脚注
- ^ Jägerskiöld Nilsson, Leonard (2018年11月15日). World Football Club Crests: The Design, Meaning and Symbolism of World Football's Most Famous Club Badges. Bloomsbury Publishing. p. 80. ISBN 9781472954251
- ^ “Real Oviedo”. RTVE. 2020年1月18日閲覧。
- ^ a b (スペイン語)『Comunicado oficial: Declaración oficial de Grupo Carso』(プレスリリース)レアル・オビエド、2022年7月13日 。2025年7月13日閲覧。
- ^ “Spanish stars join Real Oviedo fight”. ESPN. 2012年11月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年11月10日閲覧。
- ^ “Real Oviedo – The people’s club”. FFO. 2013年11月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年11月3日閲覧。
- ^ “スペイン3部のオビエドが財政難…ツイッターで全世界に救いの手を求める”. サッカーキング (2012年11月9日). 2012年11月16日閲覧。
- ^ “Real Oviedo secure a historic promotion”. ラ・リーガ (2025年6月24日). 2025年7月13日閲覧。
- ^ “オビエドが24年ぶりにラ・リーガ復帰! 延長戦でミランデス下す…40歳MFカソルラは追撃のPK弾”. サッカーキング (2025年6月22日). 2025年7月13日閲覧。
- ^ “El Real Oviedo B recupera la denominación de "Vetusta"” (スペイン語). La Voz de Asturias. 2021年8月1日閲覧。
- ^ “Real Oviedo, Real who?”. SpanishFootball.info. 2011年10月24日閲覧。
- ^ El Derbi Asturiano: Sporting and Oviedo on course to resume old acquaintances El Centrocampista、2012年4月3日
- ^ ASAC Comunicaciones, nuevo patrocinador del Real Oviedo (ASAC Comunicaciones, new sponsor of Real Oviedo); RTPA, 2014年9月25日閲覧
- ^ https://www.realoviedo.es/real-oviedo
外部リンク
- 公式ウェブサイト
- レアル・オビエド (RealOviedo) - Facebook
- レアル・オビエド (@RealOviedo) - X(旧Twitter)
- レアル・オビエド (@realoviedo) - Instagram
- レアル・オビエド (@realoviedo) - TikTok
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- 公式クラブブログ
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