フランシスコ・ウリアとは? わかりやすく解説

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フランシスコ・ウリア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/20 18:42 UTC 版)

フランシスコ・ウリア
名前
本名 フランシスコ・ハビエル・アルバレス・ウリア
Francisco Javier Álvarez Uría
ラテン文字 Francisco Uría
基本情報
国籍 スペイン
生年月日 (1950-02-01) 1950年2月1日(74歳)
出身地 ヒホン
身長 174cm
体重 73kg
選手情報
ポジション DF (LB)
利き足 左足
ユース
ベリーニャ
ポルトゥアリオス
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1968-1974 オビエド 182 (17)
1974-1977 レアル・マドリード 39 (1)
1977-1983 スポルティング・ヒホン 172 (7)
1983-1984 オビエド 32 (6)
通算 425 (31)
代表歴
1973  スペイン U-23 1 (0)
1975-1976 スペイン アマチュア 2 (0)
1973-1980 スペイン 14 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

フランシスコ・ハビエル・アルバレス・ウリアFrancisco Javier Álvarez Uría1950年2月1日 - )は、スペインアストゥリアス州ヒホン出身の元同国代表サッカー選手。ポジションはDF

クラブ経歴

1969年、レアル・オビエドでプロデビュー。1971-72シーズン、セグンダ・ディビシオンでリーグ優勝したことで、翌シーズンは自身初のラ・リーガ挑戦となったが、リーグ戦34試合に出場した。しかし、ラ・リーガ2シーズン目にオビエドはセグンダ・ディビシオンに降格してしまったため、クラブを退団したレアル・マドリードへと移籍した。

3シーズン在籍したレアル・マドリードでは、出場機会に恵まれなかったが、合計3個の国内タイトルを獲得し、1976-77シーズンにはUEFAヨーロピアン・カップに出場した。

1977年、27歳でスポルティング・デ・ヒホンに加入した[1]。スポルティング・ヒホンには6シーズン在籍し、公式戦150試合以上に出場した。現役ラストシーズンは、自身がプロデビューを経験した古巣レアル・オビエドで迎えた。

代表経歴

1973年10月21日、1974 FIFAワールドカップ・予選ユーゴスラビア代表との試合でスペイン代表デビューを果たした。また、スペイン代表として1978 FIFAワールドカップUEFA欧州選手権1980にも出場し、前者の1978ワールドカップではレギュラーとして活躍した[2]

タイトル

クラブ

レアル・マドリード

脚注

  1. ^ Las cinco camisetas de Uría” (スペイン語). エル・コメルシオ. 2022年3月27日閲覧。
  2. ^ Uría: La madurez de un "resucitado"” (スペイン語). p. 36 (1978年6月9日). 2022年3月27日閲覧。

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