ミゲル・テンディーリョとは? わかりやすく解説

ミゲル・テンディーリョ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 00:45 UTC 版)

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この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の)はテンディーリョ第二姓(母方の)はベレンゲルです。(Template:スペイン語圏の姓名
ミゲル・テンディーリョ
名前
本名 ミゲル・テンディーリョ・ベレンゲル
Miguel Tendillo Belenguer
ラテン文字 Miguel Tendillo
基本情報
国籍 スペイン
生年月日 (1961-02-01) 1961年2月1日(61歳)
出身地 ムンカーダ英語版
身長 185cm
体重 77kg
選手情報
ポジション DF (CB)
ユース
モンカーダ
バレンシア
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1977-1979 メスタージャ
1979-1986 バレンシア 208 (17)
1986-1987 ムルシア 41 (2)
1987-1992 レアル・マドリード 98 (8)
1992-1993 レアル・ブルゴス 23 (1)
通算 370 (28)
代表歴
1977-1979  スペイン U-18 17 (1)
1979  スペイン U-19 3 (0)
1979  スペイン U-20 4 (0)
1979  スペイン U-21 2 (0)
1980-1988 スペイン 27 (1)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ミゲル・テンディーリョ・ベレンゲルMiguel Tendillo Berenguer1961年2月1日 - )は、スペインバレンシア県ムンカーダ英語版出身の元同国代表サッカー選手。現役時代のポジションはDF

経歴

バレンシアCFの下部組織で育ち、18歳でトップチームデビューすると、初年度でリーグ29試合に出場した。バレンシアには1986年まで所属し、300近くの公式戦に出場した。1986-87シーズンにレアル・ムルシアへ移籍したが、ムルシアでは1シーズンしかプレーしなかった。1987年に、怪我で長期離脱を余儀なくされていたアントニオ・マセーダの穴を埋めるためDFを欲していたレアル・マドリードがテンディーリョを獲得。リーグ3連覇を始め多くのタイトル獲得に貢献した。1992年にレアル・ブルゴスCFへ移籍したが、そのシーズンは20位となり、セグンダ・ディビシオンに降格してしまった。翌年、32歳で現役を引退した。

スペイン代表としては27キャップを記録し、UEFA欧州選手権19801982 FIFAワールドカップに出場した。1982年4月28日に行われたスイス代表との親善試合で、代表唯一の得点を挙げた。

個人成績

代表

出場大会

1980年 - UEFA欧州選手権1980 (グループリーグ敗退)
1982年 - 1982 FIFAワールドカップ (グループリーグ敗退)

試合数

  • 国際Aマッチ 27試合 1得点(1980年 - 1988年)


スペイン代表 国際Aマッチ
出場 得点
1980 5 0
1981 12 0
1982 8 1
1983 0 0
1984 0 0
1985 0 0
1986 0 0
1987 0 0
1988 2 0
通算 27 1

タイトル

クラブ

バレンシアCF
レアル・マドリード

個人

関連項目

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