ラモン・メンドーサ会長時代
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「レアル・マドリード」の記事における「ラモン・メンドーサ会長時代」の解説
1985年5月24日、ラモン・メンドーサが会長に就任。同年夏の移籍市場ではウーゴ・サンチェス、アントニオ・マセーダ、ラファエル・ゴルディージョを獲得し、1985-86シーズンは当時のリーグ史上最多となる勝ち点56を記録してのリーガ・エスパニョーラ優勝とUEFAカップ2連覇を達成。 1986-87シーズンからはレオ・ベーンハッカーが監督に就任し、1986年夏の移籍市場ではフランシスコ・ブーヨを獲得。同シーズンは当時のリーグ史上最多となる勝ち点66を記録してのリーガ・エスパニョーラ2連覇を達成。1987年夏の移籍市場ではミゲル・テンディーリョらを獲得し、1987-88シーズンはリーガ・エスパニョーラ3連覇を達成。1988年夏の移籍市場ではベルント・シュスターらを獲得し、1988-89シーズンはスーペルコパ・デ・エスパーニャ優勝を達成したほか、当時の国内での公式戦における最多無敗記録となる34試合無敗を記録 してのリーガ・エスパニョーラ4連覇、コパ・デル・レイ優勝の国内タイトル2冠を達成した。 1989-90シーズンからはジョン・トシャックが監督に就任し、1989年夏の移籍市場ではフェルナンド・イエロ、オスカル・ルジェリらを獲得。同シーズンはスーペルコパ・デ・エスパーニャ2連覇 と当時のリーグ史上最多となる107得点を記録 してのリーガ・エスパニョーラ5連覇を達成した。1980年代後半から1990年代初頭にかけてエミリオ・ブトラゲーニョらカスティージャCF出身の選手たちがチームの中心となり、これらの実績を残した当時のチームはキンタ・デル・ブイトレと称された。 ブーヨ チェンド イエロ M.サンチス ソラーナ マケダ アラゴン ミチェル ビリャローヤ H.サンチェス ブトラゲーニョ 1990年12月12日に行われたスーペルコパ・デ・エスパーニャ2ndレグ、FCバルセロナ戦のスターティングメンバー。 1990年夏の移籍市場ではゲオルゲ・ハジ、ルイス・ミジャ、フランシスコ・ビリャローヤらを獲得し、1990-91シーズンはカスティージャCFからアルフォンソ・ペレスを昇格させ、スーペルコパ・デ・エスパーニャ3連覇を達成。 1991年夏の移籍市場ではルイス・エンリケ、ミケル・ラサ・ゴイコエチェア、ロベルト・プロシネチキらを獲得するも、1991-92シーズンは無冠に終わる。1992年夏の移籍市場ではイバン・サモラーノらを獲得し、1992-93シーズンはコパ・デル・レイ優勝を達成。1993年夏の移籍市場ではラファエル・アルコルタらを獲得し、1993-94シーズンはスーペルコパ・デ・エスパーニャにて優勝を果たす。 1994-95シーズンからはホルヘ・バルダーノが監督に就任し、1994年夏の移籍市場ではフェルナンド・レドンド、ミカエル・ラウドルップ、ホセ・エミリオ・アマビスカ、キケ・サンチェス・フローレス、サンティアゴ・カニサレスらを獲得。同シーズンはレアル・マドリードBからラウル・ゴンサレスらを昇格させ、リーガ・エスパニョーラとコパ・イベロアメリカーナにて優勝を果たした。1995年夏の移籍市場ではフレディ・リンコン、フアン・エスナイデル、デヤン・ペトコヴィッチらを獲得した。 しかし、1992年からエスタディオ・サンティアゴ・ベルナベウの改修を行い、この改修費用などでクラブは多額の負債を抱えることとなる。そして、1995-96シーズン途中の1995年11月20日にメンドーサは会長職を辞任した。
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