1974 FIFAワールドカップ・予選
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/24 07:13 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動1974 FIFAワールドカップ 地区予選は、99のナショナルチームがエントリーした。
本大会に出場できるのは16チームで、開催国の西ドイツと前回優勝国のブラジルは予選を免除された。
出場枠
欧州 | 南米 | 北中米カリブ海 | アフリカ | アジア | 大洋州 | 開催国 | 前回優勝国 | 合計 | |
本大会 出場枠 |
8.5 | 2.5 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | 16 |
予選の方式
グループが大陸別に組んで、限られた上位のチームが本大会へ出場できる。それぞれグループの予選方法は以下の通りである。
- ヨーロッパ予選
- 32チームが参加。1組3または4チームの編成で、全9組。各組1位チームが出場となるが、1位の中で一番成績の悪いチームは南米との大陸間プレーオフへ回る。
- グループ1:スウェーデン、オーストリア、ハンガリー、マルタ
- グループ2:イタリア、トルコ、スイス、ルクセンブルク
- グループ3:オランダ、ベルギー、ノルウェー、アイスランド
- グループ4:東ドイツ、ルーマニア、フィンランド、アルバニア
- グループ5:ポーランド、イングランド、ウェールズ
- グループ6:ブルガリア、ポルトガル、北アイルランド、キプロス
- グループ7:ユーゴスラビア、スペイン、ギリシャ
- グループ8:スコットランド、チェコスロバキア、デンマーク、
- グループ9:ソビエト連邦、アイルランド、フランス
ソビエト連邦が大陸間プレーオフへ
- 南米予選
- 9チームが参加。1組3チームの3組に分かれ、各組1位のうち成績上位の2チームが出場、残りの1位チームは欧州との大陸間プレーオフに回る。
- グループ1:ウルグアイ、コロンビア、エクアドル
- グループ2:アルゼンチン、パラグアイ、ボリビア
- グループ3:チリ、ペルー、ボリビア
チリが欧州との大陸間プレーオフへ
- 北中米カリブ海予選
- 14チームが参加。1次ラウンドは1組2または3チームの全6組に分かれ、各組1位の6チームが最終ラウンドに進出。最終ラウンドの1位が出場。
- 1次ラウンド
- グループ1:メキシコ、アメリカ、カナダ
- グループ2:グアテマラ、エルサルバドル
- グループ3:ホンジュラス、コスタリカ
- グループ4:オランダ領アンティル、ジャマイカ
- グループ5:ハイチ、プエルトリコ
- グループ6:トリニダード・トバゴ、スリナム、アンティグア・バーブーダ
- 最終ラウンド:ハイチ、トリニダード・トバゴ、メキシコ、ホンジュラス、グアテマラ、オランダ領アンティル
- アフリカ予選
- 24チームが参加。1次ラウンドは1組2チームの全12組に分かれ、各組1位の12チームが2次ラウンドに進出。2次ラウンドは各組2チームの全6組に分かれ、各組1位の6チームが3次ラウンドに進出。3次ラウンドは各組2チームの全3組に分かれ、各組1位の3チームが最終ラウンドに進出。最終ラウンドは3チームが総当りとなり、1位が本大会に出場。
- ザイール
- アジア・オセアニア予選
- 15チームが参加。ゾーンA(東アジア、東南アジア)とゾーンB(西アジア、オセアニア)に分かれて3次まで予選を行う。各ゾーン1位同士で最終予選を行い、1位チームが本大会に出場。
- オーストラリア
- 大陸間プレーオフ
- ソビエト連邦がチリ・クーデターに抗議のため棄権し、チリの本大会出場が決定。
出場国
大陸連盟 | 出場 枠数 |
予選大会 | 組 予選順位 |
出場国・地域 | 出場回数 | 備考 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|
UEFA | 1+8.5 | 開催国 | ![]() |
6大会連続8回目 | |||
欧州予選 | 1組 | 1位 | ![]() |
2大会連続6回目 | |||
2組 | 1位 | ![]() |
4大会連続8回目 | ||||
3組 | 1位 | ![]() |
7大会ぶり3回目 | ||||
4組 | 1位 | ![]() |
初出場 | ||||
5組 | 1位 | ![]() |
7大会ぶり2回目 | ||||
6組 | 1位 | ![]() |
4大会連続4回目 | ||||
7組 | 1位 | ![]() |
3大会ぶり6回目 | ||||
8組 | 1位 | ![]() |
4大会ぶり3回目 | ||||
CONMEBOL | 1+2.5 | 前回優勝国 | ![]() |
10大会連続10回目 | |||
最終予選 | 1組 | 1位 | ![]() |
4大会連続7回目 | |||
2組 | 1位 | ![]() |
2大会ぶり6回目 | ||||
3組 | 1位 | ![]() |
2大会ぶり5回目 | ○ | |||
CONCACAF | 1 | 最終予選 | 1位 | ![]() |
初出場 | ||
CAF | 1 | 最終予選 | 1位 | ![]() |
初出場 | ||
AFC/OFC | 1 | 最終予選 | 1位 | ![]() |
初出場 |
- 備考欄の「○」は大陸間プレーオフに勝利の上、出場が決定したチーム。
「1974 FIFAワールドカップ・予選」の例文・使い方・用例・文例
- 日本は 1974 年以来輸出超過である.
- 1974年にエチオピアの東部で発見された女性の不完全な骨格
- 1974年にシカゴに建設された摩天楼
- 1974年、DFLPは校舎を占領して、イスラエルの学童を大虐殺した
- 1974年にPLOから分離したパレスチナ国際テロ組織
- 1967年から1974年までギリシャを統治した暫定軍事政権に反対するために1971年にギリシャで形成された極左テロリスト集団
- かつての執行機関(1946年から1974年まで)で、米国の原子力とその平時の利用についての研究を担当していた
- 原子力発電所を認可して、管理するために1974年に創られた独立連邦機関
- 米国のコメディアンで、そのタイミング、話し方、控えめなユーモアで知られる(1894年−1974年)
- 米国の電気技術者で、初期のアナログコンピュータを設計し、第二次世界大戦中に米国の科学計画を指導した(1890年−1974年)
- 米国の女優で、ブロードウェイの劇の演技で知られる(1893年−1974年)
- イタリアの映画制作者(1901年−1974年)
- 米国のジャズの作曲家、ピアノ奏者、バンドリーダー(1899年−1974年)
- 米国の映画制作者(ポーランド生まれ)で、自身の映画会社を設立し、後にルイズ・B.メイアーと合併した(1882年−1974年)
- 米国の興業主で、ロシアで生まれた(1888年−1974年)
- 米国の建築家(エストニア生まれ)(1901年−1974年)
- 米国の飛行士で、1927年に最初の大西洋を横断する単独無着陸飛行を行った(1902年−1974年)
- 米国のジャーナリスト(1889年−1974年)
- ドイツ人の物理学者(1882年−1974年)
- フランスの作曲家で、ジャズ、多調性とブラジル音楽を融合させた作品を作った(1892年−1974年)
- 1974_FIFAワールドカップ・予選のページへのリンク