1974 FIFAワールドカップ・アジア・オセアニア予選
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/06 01:11 UTC 版)
1974 FIFAワールドカップ・アジア・オセアニア予選は、アジア・オセアニア地区で行われた1974 FIFAワールドカップ・予選である。インド、スリランカ、フィリピンは予選が開催される前に出場を辞退したため、残りの15チームは2つのゾーンに分かれて予選を戦った。
- ゾーンAは東アジアのチームとイスラエルの7チームが参加し、韓国を会場としてラウンドロビン方式で行われる。ゾーンA予選は4つのステージに分かれる。
- グループ決定戦: 韓国を除く6チームは2チームずつ3組に分かれ試合を行う。試合の結果に従い、グループ分けが行われる。
- グループリーグ: グループ決定戦の結果に従い、7チームは2組のグループに分かれてラウンドロビン方式で戦う。各グループ上位2チームが準決勝に進出する。
- 準決勝: 各グループ1位と他方のグループ2位が戦い、勝者が決勝に進出する。
- 決勝: 準決勝勝者の2チームが中立地の1試合を戦う。勝者が最終予選に進出する。
- ゾーンBは西アジア、オセアニアのチームとインドネシア、北朝鮮の8チームが参加する。ゾーンB予選は2つのグループに分かれる。
- グループリーグ: 8チームは4チームずつ2組に分かれ、ラウンドロビン方式で戦う。グループ1の会場はイラン、グループ2の会場はオーストラリアとニュージーランドである。各グループの勝者が決勝に進出する。
- 決勝: 準決勝を勝ち抜いた2チームがホームアンドアウェー方式で戦い、勝者が最終予選に進出。
- 最終予選 ゾーンAとゾーンBの勝者がホームアンドアウェー方式で戦う。勝者が本大会出場権を獲得する。
ゾーンA
グループ決定戦
結果に従い、南ベトナム、日本、香港がグループ1に、タイ、イスラエル、マレーシアが韓国とともにグループ2に編入された。
グループ1
| 順位 | チーム | 点 | 試 | 勝 | 分 | 敗 | 得 | 失 | 差 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 4 | 2 | 2 | 0 | 0 | 2 | 0 | +2 | |
| 2 | 2 | 2 | 1 | 0 | 1 | 4 | 1 | +3 | |
| 3 | 0 | 2 | 0 | 0 | 2 | 0 | 5 | −5 |
香港と日本はゾーンAの準決勝に進出。
グループ2
| 順位 | チーム | 点 | 試 | 勝 | 分 | 敗 | 得 | 失 | 差 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 5 | 3 | 2 | 1 | 0 | 9 | 0 | +9 | |
| 2 | 4 | 3 | 1 | 2 | 0 | 4 | 0 | +4 | |
| 3 | 3 | 3 | 1 | 1 | 1 | 2 | 3 | −1 | |
| 4 | 0 | 3 | 0 | 0 | 3 | 0 | 12 | −12 |
イスラエルと韓国がゾーンAの準決勝に進出。
準決勝
韓国とイスラエルがゾーンA決勝に進出。
決勝
韓国が最終予選に進出。
ゾーンB
グループ1
| 順位 | チーム | 点 | 試 | 勝 | 分 | 敗 | 得 | 失 | 差 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 9 | 6 | 4 | 1 | 1 | 7 | 3 | +4 | |
| 2 | 7 | 6 | 3 | 1 | 2 | 6 | 6 | 0 | |
| 3 | 5 | 6 | 1 | 3 | 2 | 5 | 5 | 0 | |
| 4 | 3 | 6 | 1 | 1 | 4 | 4 | 8 | −4 |
イランがゾーンBの決勝に進出。
グループ2
| 順位 | チーム | 点 | 試 | 勝 | 分 | 敗 | 得 | 失 | 差 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 9 | 6 | 3 | 3 | 0 | 15 | 6 | +9 | |
| 2 | 8 | 6 | 3 | 2 | 1 | 11 | 6 | +5 | |
| 3 | 4 | 6 | 1 | 2 | 3 | 6 | 13 | −7 | |
| 4 | 3 | 6 | 0 | 3 | 3 | 5 | 12 | −7 |
| 1973年3月16日 | オーストラリア |
3 – 3 | シドニー | ||
| Utjescnovic Baartz Buljevic |
Vest Tindall Hogg |
主審: |
| 1973年3月24日 | オーストラリア |
6 – 0 | シドニー | ||
| Mackay Abonyi Richards Baartz |
主審: |
オーストラリアがゾーンB決勝に進出。
決勝
2試合合計スコア3-2でオーストラリアが最終予選に進出。
最終予選
| 1973年11月10日 | 韓国 |
2 – 2 | ソウル | ||
| Jae Han-Kim Jae Wook-Koh |
Buljevic Raartz |
主審: |
2試合合計スコアが2–2の同点であったため、中立地においてプレーオフが開催された。
オーストラリアが本大会出場権を獲得した。
関連項目
脚注
外部リンク
「1974 FIFAワールドカップ・アジア・オセアニア予選」の例文・使い方・用例・文例
- 日本は 1974 年以来輸出超過である.
- 1974年にエチオピアの東部で発見された女性の不完全な骨格
- 1974年にシカゴに建設された摩天楼
- 1974年、DFLPは校舎を占領して、イスラエルの学童を大虐殺した
- 1974年にPLOから分離したパレスチナ国際テロ組織
- 1967年から1974年までギリシャを統治した暫定軍事政権に反対するために1971年にギリシャで形成された極左テロリスト集団
- かつての執行機関(1946年から1974年まで)で、米国の原子力とその平時の利用についての研究を担当していた
- 原子力発電所を認可して、管理するために1974年に創られた独立連邦機関
- 米国のコメディアンで、そのタイミング、話し方、控えめなユーモアで知られる(1894年−1974年)
- 米国の電気技術者で、初期のアナログコンピュータを設計し、第二次世界大戦中に米国の科学計画を指導した(1890年−1974年)
- 米国の女優で、ブロードウェイの劇の演技で知られる(1893年−1974年)
- イタリアの映画制作者(1901年−1974年)
- 米国のジャズの作曲家、ピアノ奏者、バンドリーダー(1899年−1974年)
- 米国の映画制作者(ポーランド生まれ)で、自身の映画会社を設立し、後にルイズ・B.メイアーと合併した(1882年−1974年)
- 米国の興業主で、ロシアで生まれた(1888年−1974年)
- 米国の建築家(エストニア生まれ)(1901年−1974年)
- 米国の飛行士で、1927年に最初の大西洋を横断する単独無着陸飛行を行った(1902年−1974年)
- 米国のジャーナリスト(1889年−1974年)
- ドイツ人の物理学者(1882年−1974年)
- フランスの作曲家で、ジャズ、多調性とブラジル音楽を融合させた作品を作った(1892年−1974年)
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