2006 FIFAワールドカップ・オセアニア予選
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/16 03:39 UTC 版)
2006 FIFAワールドカップ・オセアニア地区予選は、オセアニア地区の2006 FIFAワールドカップ・予選である。本大会出場枠は0.5であり、勝者が南米予選5位の国との大陸間プレーオフの権利が与えられた。なお、この項目ではこの大陸間プレーオフも扱う。そして、オーストラリアが1974年西ドイツ大会以来の出場を決めた。
このオセアニア地区予選は、2次予選まではOFCネイションズカップ2004も兼ねている(優勝決定戦のみ、FIFAワールドカップ予選としてのものと、OFCネイションズカップとしてのものを別途実施した)。
予選方式
- 1次予選
 - オーストラリア・ニュージーランドは1次予選を免除される。他の10チームを5チームずつ2組に分け、1順の総当たり戦(集中開催方式)を実施。各組上位2チーム(計4チーム)が2次予選に進出する。
 - 2次予選
 - 1次予選を勝ち抜いた4チームと、1次予選を免除された2チームの計6チームで1順の総当たり戦(セントラル方式)を実施。上位2チームが最終予選に進出する。
 - 最終予選
 - 進出した2チームがホーム・アンド・アウェー方式で対戦する。勝者がオセアニア代表となり、大陸間プレーオフに進出する。
 
1次予選
グループ1
| 国 | 勝ち点 | 試合数 | 勝 | 引分 | 敗 | 得点 | 失点 | 得失点差 | 
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 10 | 4 | 3 | 1 | 0 | 14 | 1 | 13 | |
| 8 | 4 | 2 | 2 | 0 | 5 | 1 | 4 | |
| 7 | 4 | 2 | 1 | 1 | 16 | 2 | 14 | |
| 3 | 4 | 1 | 0 | 3 | 2 | 17 | -15 | |
| 0 | 4 | 0 | 0 | 4 | 1 | 17 | -16 | 
グループ2
| 国 | 勝ち点 | 試合数 | 勝 | 引分 | 敗 | 得点 | 失点 | 得失点差 | 
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 10 | 4 | 3 | 1 | 0 | 16 | 2 | 14 | |
| 9 | 4 | 3 | 0 | 1 | 19 | 5 | 14 | |
| 7 | 4 | 2 | 1 | 1 | 17 | 6 | 11 | |
| 3 | 4 | 1 | 0 | 3 | 5 | 11 | -6 | |
| 0 | 4 | 0 | 0 | 4 | 1 | 34 | -33 | 
2次予選
| 国 | 勝ち点 | 試合数 | 勝 | 引分 | 敗 | 得点 | 失点 | 得失点差 | 
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 13 | 5 | 4 | 1 | 0 | 21 | 3 | 18 | |
| 10 | 5 | 3 | 1 | 1 | 9 | 6 | 3 | |
| 9 | 5 | 3 | 0 | 2 | 17 | 5 | 12 | |
| 4 | 5 | 1 | 1 | 3 | 3 | 10 | -7 | |
| 4 | 5 | 1 | 1 | 3 | 2 | 24 | -20 | |
| 3 | 5 | 1 | 0 | 4 | 5 | 9 | -4 | 
オセアニア代表決定戦(最終予選)
総得点9 - 1で、オーストラリアが大陸間プレーオフに進出。
CONMEBOL-OFC大陸間プレーオフ
| 
        
        2005年11月16日
           | 
     
| オーストラリア  |  
      1 - 0  (延長)  |  
      |
|---|---|---|
| ブレッシアーノ  |  
      [2] | |
| PK戦 | ||
| キューウェル  ニール ヴィドマー ヴィドゥカ アロイージ  |  
      4 - 2 | 
オーストラリアが本大会出場権を獲得。
関連項目
「2006 FIFAワールドカップ・オセアニア予選」の例文・使い方・用例・文例
- 国会議員年金は、2006年4月1日をもって廃止された。
 - フランスの初回雇用契約は2006年4月10日に撤回された。
 - 時短促進法は2006年3月末に期限が切れた時限立法であった。
 - 労働審判制度は、2006年に労働審判法によって導入されました。
 - このメールは2006年に送った。
 - あなたは2006年に長野に行きましたか。
 - あなたは2006年に長野に行きませんでした。
 - 2006年
 - トルコとの試合終了後,トルシエ監督は,「日本の冒険は終わった。日本代表チームの監督を務めたことを誇りに思う。監督としてのこの4年間はすばらしいものだった。これから日本は,2006年W杯に向けて努力しなければならない。代表チームのダイナミックで野心的なプレイは世界に印象を与えたと思う。チームのメンバーそれぞれが,自分自身の能力に自信を持つべきだ。」と語った。
 - ジーコ新監督とともに,日本は次の2006年ワールドカップに向けて活動を始めた。
 - この試合は,2006年ワールドカップドイツ大会に向けての第一歩だった。
 - 彼らの成績は,2006年のトリノ冬季五輪に望みを与えてくれる。
 - 遺跡の範囲を判断する取り組みは,2006年まで続く予定だ。
 - 日本が2006年ワールドカップの出場のチャンスを失えば,(テレビ)放送のスポンサーはおそらくサッカーに興味をなくすだろう。
 - 2006年のトリノ五輪では, 1500メートル種目に出場し,金メダルを目指してその種目に集中したいと思っています。
 - それらの対策は,2006年末までに実施される予定だ。
 - 2006年末には,すべての外国人は,日本に入国する際に指紋採取や写真撮影されなくてはいけなくなる。
 - その上,中国は,アジア1次予選で2006年ワールドカップから脱落した。
 - 当初は,新札による旧札の入れ替えは,2006年11月に終わることになっていた。
 - 入れ替えは,2006年春までに完了するだろうと考えられている。
 
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