1966 FIFAワールドカップ・アフリカ・アジア・オセアニア予選
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1966 FIFAワールドカップ・アフリカ・アジア・オセアニア予選は、1965年に行われたアフリカ・アジア・オセアニア地区の1966 FIFAワールドカップ・予選である。本大会出場枠は1であり、予選に参加する国・地域はアフリカサッカー連盟所属の15チーム、アジアサッカー連盟所属の2チーム、オセアニア地区(オセアニアサッカー連盟は未結成)としてエントリーした2チーム、合計19チームである。(コンゴとフィリピンのエントリーは受理されなかった[1]。)
予選方式
アフリカ地区とアジア・オセアニア地区に分かれて行われ、各地区予選1位が最終予選2試合を行い、勝利チームが本戦出場権を獲得する。
- アフリカ地区予選
アフリカサッカー連盟所属の15チームがエントリー。
- 一次予選
- 2チーム所属の4グループと3チーム所属の2グループの全6グループに分かれて行われる。各グループ1位の6チームが二次予選へと進出する。
- 二次予選
- 各グループ2チームの全3グループに分かれて行われる。各グループ1位の3チームが三次予選へと進出する。
- 三次予選
- 3チーム総当たりで行われ、1位が最終予選へと進出する。
- アジア・オセアニア地区予選
アジアサッカー連盟、オセアニア地区の4チームがエントリー。
- 一次予選
- 4チーム総当たりで行われ、1位が最終予選へと進出する。
- 最終予選
- アフリカ予選1位とアジア・オセアニア予選1位の2チームが2試合を行い、勝利チームが本戦出場権獲得。
アフリカ地区予選
一次予選
- グループ1
- グループ2
- グループ3
- グループ4
- グループ5
- グループ6
一次予選のグループ分けは以上のように決定されていたが、後述の理由によりアフリカ連盟所属の全15チームが棄権したため、アフリカ地区予選は実施されなかった。
アジア・オセアニア地区予選
一次予選
チーム | 勝点 | 試 | 勝 | 分 | 負 | 得点 | 失点 | 差 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
![]() |
4 | 2 | 2 | 0 | 0 | 9 | 2 | 7 |
![]() |
0 | 2 | 0 | 0 | 2 | 2 | 9 | -7 |
※ 韓国は棄権、アパルトヘイトによりアフリカサッカー連盟から追放されていた
南アフリカ共和国は、オセアニア地区からエントリーしたが失格となった。
1965年11月21日
|
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6 - 1 | ![]() |
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朴斗翼 ![]() 朴承振 ![]() 任成輝 ![]() 韓奉鎮 ![]() |
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アフリカ地区予選が実施されなかったため、アジア・オセアニア地区予選1位の北朝鮮が自動的に本大会出場権を獲得。
出場枠の問題と各国の棄権
出場枠は3地区で1つであり、アフリカサッカー連盟はFIFAに対し抗議したが却下された。このためアフリカ連盟所属の15チームは棄権した。南アフリカ(アパルトヘイトによりアフリカ連盟から追放されていたためオセアニア枠としてエントリー)は失格、また、日本は出場した場合、オリンピックのアマチュア規定に抵触し、代表選手がオリンピックに出場できなくなるため、エントリーしなかった。
結局予選に参加したのは北朝鮮とオーストラリアのみで、この2チーム間で最終予選が行われ、勝利した北朝鮮が本戦出場権を獲得した。
脚注
- ^ “History of the FIFA World Cup Preliminary Competition (by year)”. web.archive.org. 2022年7月18日閲覧。
「1966 FIFAワールドカップ・アフリカ・アジア・オセアニア予選」の例文・使い方・用例・文例
- 住宅都市開発省長官の職は1966年に設けられた
- 運輸省長官の職は1966年に設けられた
- 1965年から1966年にかけて米国が行った宇宙旅行計画
- 1966年に米国で設立された宗派
- 英国の物理学者で、イオン圏の研究で知られる(1892-1966)
- 英国の辞書編集者で、オックスフォード英語辞典の共同編集者(1872年−1966年)
- 米国の劇作家(1893年−1966年)
- 米国の心臓外科医で、1966年に人間の患者に最初の人工心臓を移植した(1908年生まれ)
- 英国の冒険小説の作者で、ホレイショー・ホーンブローアー・キャプテンを主人公にした(1899年−1966年)
- ネールの娘で、1966年から1977年までインドの首相として勤めた(1917-1984年)
- スイスの彫刻家、画家で、細長い姿のブロンズ像で知られる(1901年−1966年)
- 米国の弁護士、政治家で、1930年から1966年まで米国の映画の道徳的な内容を定めた製造規則を定式化した(1879年−1954年)
- ハンガリーの化学者で、放射性同位元素を研究し、元素ハフニウムの発見者の1人(1885年−1966年)
- 米国の彫刻家(1887年−1966年)
- 米国のコメディアン、サイレント映画の俳優で、そのアクロバット技術とまじめな顔で知られる(1895年−1966年)
- ベルギーの宇宙論者で、宇宙の起源のビッグバン理論を提唱した(1894年−1966年)
- 米国の精神科医で、チャールズ・メニンガーの息子(1899年−1966年)
- 第二次世界大戦の間の太平洋船隊の米国の海軍大将で、日本の海軍を破壊するのに航空母艦を使用した(1885年−1966年)
- 米国の画家(1870年−1966年)
- 米国の作曲家で音楽評論家(1885年−1966年)
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