1998 FIFAワールドカップ・アジア予選
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1998 FIFAワールドカップ・アジア予選は、アジア地区の1998 FIFAワールドカップ・予選である。アジアサッカー連盟(AFC)加盟国間で開催された。本大会への出場枠は3.5。
本大会からアジア最終予選はホーム・アンド・アウェーで実施された。当初は前回同様集中開催方式での開催が予定されていたが、開催地をめぐって対立が起き、お互いに譲り合わなかったため、最終予選開幕直前にホーム・アンド・アウェー方式に変更された。
方式
- 1次予選
-
参加36チームを3ないし4チームずつ10組に分け、各グループで2回戦総当たりのリーグ戦を実施。各グループ1位のチームが最終予選に進出する。
- ただし、グループ10のみ、1回戦総当たりで1996年9月に実施された。他の組は1997年に行われ、1997年6月末までに全10組の勝者が決定した[1]。
- グループ内での対戦方式は、集中開催方式、ホーム・アンド・アウェー、ダブルセントラル方式など、統一されてはいなかった。
- 最終予選
-
1次予選を勝ち抜いた10チームを5チームずつ2組に分け、各グループで2回戦総当たり(ホーム・アンド・アウェー)のリーグ戦を実施。各グループ1位のチームが本大会出場権を得る。また各グループ2位のチームはアジア地区予選プレーオフに回る。
- 当初の予定では、中立国において1回戦総当たりのリーグ戦を行い、各グループの上位2チーム(計4チーム)が決勝トーナメント進出。その決勝トーナメントの上位3チーム(準決勝勝者2チームと3位決定戦勝者1チーム)が本大会出場権を獲得し、4位(準決勝ならびに3位決定戦の敗者)が大陸間プレーオフに回ることになっていた。
- アジア地区予選プレーオフ
- 最終予選の各グループ2位のチーム同士でプレーオフ(中立地で1戦)を行う。勝者は本大会出場権を獲得し、敗者は大陸間プレーオフに出場。
- 大陸間プレーオフ
- アジア地区予選プレーオフ敗者とオセアニア予選1位チームがホーム・アンド・アウェー方式で対戦し、これに勝利したチームが本大会出場権を得る。
1次予選
グループ1
マレーシア・クアラルンプールおよびサウジアラビア・ジッダでのダブルセントラル方式により実施。
チーム | 勝点 | 試合数 | 勝 | 引分 | 敗 | 得点 | 失点 | 得失点差 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
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16 | 6 | 5 | 1 | 0 | 18 | 1 | 17 |
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11 | 6 | 3 | 2 | 1 | 5 | 3 | 2 |
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4 | 6 | 1 | 1 | 4 | 4 | 13 | -9 |
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3 | 6 | 1 | 0 | 5 | 4 | 14 | -10 |
グループ2
シリア・ダマスカスおよびイラン・テヘランでのダブルセントラル方式により実施。
チーム | 勝点 | 試合数 | 勝 | 引分 | 敗 | 得点 | 失点 | 得失点差 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
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16 | 6 | 5 | 1 | 0 | 39 | 3 | 36 |
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9 | 5 | 3 | 0 | 2 | 12 | 11 | 1 |
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7 | 5 | 2 | 1 | 2 | 27 | 5 | 22 |
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0 | 6 | 0 | 0 | 6 | 0 | 59 | -59 |
グループ3
バーレーン・マナーマおよびアラブ首長国連邦・シャールジャでのダブルセントラル方式により実施。
チーム | 勝点 | 試合数 | 勝 | 引分 | 敗 | 得点 | 失点 | 得失点差 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
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10 | 4 | 3 | 1 | 0 | 7 | 1 | 6 |
![]() |
4 | 4 | 1 | 1 | 2 | 4 | 4 | 0 |
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3 | 4 | 1 | 0 | 3 | 3 | 9 | -6 |
グループ4
オマーン・マスカットおよび日本・東京でのダブルセントラル方式により実施。
チーム | 勝点 | 試合数 | 勝 | 引分 | 敗 | 得点 | 失点 | 得失点差 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
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16 | 6 | 5 | 1 | 0 | 31 | 1 | 30 |
![]() |
13 | 6 | 4 | 1 | 1 | 14 | 2 | 12 |
![]() |
4 | 6 | 1 | 1 | 4 | 3 | 28 | -25 |
![]() |
1 | 6 | 0 | 1 | 5 | 2 | 19 | -17 |
グループ5
ホーム・アンド・アウェー方式により実施。
チーム | 勝点 | 試合数 | 勝 | 引分 | 敗 | 得点 | 失点 | 得失点差 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
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16 | 6 | 5 | 1 | 0 | 20 | 3 | 17 |
![]() |
8 | 6 | 2 | 2 | 2 | 10 | 7 | 3 |
![]() |
7 | 6 | 1 | 4 | 1 | 11 | 6 | 5 |
![]() |
1 | 6 | 0 | 1 | 5 | 2 | 27 | -25 |
グループ6
ホーム・アンド・アウェー方式により実施。
チーム | 勝点 | 試合数 | 勝 | 引分 | 敗 | 得点 | 失点 | 得失点差 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
![]() |
10 | 4 | 3 | 1 | 0 | 9 | 1 | 8 |
![]() |
4 | 4 | 1 | 1 | 2 | 5 | 6 | -1 |
![]() |
3 | 4 | 1 | 0 | 3 | 3 | 10 | -7 |
グループ7
ホーム・アンド・アウェー方式により実施。
チーム | 勝点 | 試合数 | 勝 | 引分 | 敗 | 得点 | 失点 | 得失点差 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
![]() |
12 | 4 | 4 | 0 | 0 | 10 | 1 | 9 |
![]() |
4 | 4 | 1 | 1 | 2 | 4 | 7 | -3 |
![]() |
1 | 4 | 0 | 1 | 3 | 2 | 8 | -6 |
グループ8
ホーム・アンド・アウェー方式により実施。
チーム | 勝点 | 試合数 | 勝 | 引分 | 敗 | 得点 | 失点 | 得失点差 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
![]() |
16 | 6 | 5 | 1 | 0 | 13 | 2 | 11 |
![]() |
13 | 6 | 4 | 1 | 1 | 15 | 2 | 13 |
![]() |
6 | 6 | 2 | 0 | 4 | 8 | 13 | -5 |
![]() |
0 | 6 | 0 | 0 | 6 | 2 | 21 | -19 |
グループ9
ホーム・アンド・アウェー方式により実施。
チーム | 勝点 | 試合数 | 勝 | 引分 | 敗 | 得点 | 失点 | 得失点差 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
![]() |
12 | 4 | 4 | 0 | 0 | 15 | 2 | 13 |
![]() |
6 | 4 | 2 | 0 | 2 | 14 | 8 | 6 |
![]() |
0 | 4 | 0 | 0 | 4 | 3 | 22 | -19 |
グループ10
カタール・ドーハでのセントラル方式により実施(このグループのみ1回戦総当たり)。
チーム | 勝点 | 試合数 | 勝 | 引分 | 敗 | 得点 | 失点 | 得失点差 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
![]() |
9 | 3 | 3 | 0 | 0 | 14 | 0 | 14 |
![]() |
4 | 3 | 1 | 1 | 1 | 4 | 4 | 0 |
![]() |
4 | 3 | 1 | 1 | 1 | 3 | 7 | -4 |
![]() |
0 | 3 | 0 | 0 | 3 | 0 | 10 | -10 |
最終予選
グループA
チーム | 勝点 | 試合数 | 勝 | 引分 | 敗 | 得点 | 失点 | 得失点差 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
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14 | 8 | 4 | 2 | 2 | 8 | 6 | 2 |
![]() |
12 | 8 | 3 | 3 | 2 | 13 | 8 | 5 |
![]() |
11 | 8 | 3 | 2 | 3 | 11 | 14 | -3 |
![]() |
10 | 8 | 3 | 1 | 4 | 7 | 10 | -3 |
![]() |
8 | 8 | 2 | 2 | 4 | 7 | 8 | -1 |
サウジアラビアが予選通過。イランはAFCプレーオフへ。
グループB
チーム | 勝点 | 試合数 | 勝 | 引分 | 敗 | 得点 | 失点 | 得失点差 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
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19 | 8 | 6 | 1 | 1 | 19 | 7 | 12 |
![]() |
13 | 8 | 3 | 4 | 1 | 17 | 9 | 8 |
![]() |
9 | 8 | 2 | 3 | 3 | 9 | 12 | -3 |
![]() |
6 | 8 | 1 | 3 | 4 | 13 | 18 | -5 |
![]() |
6 | 8 | 1 | 3 | 4 | 7 | 19 | -12 |
韓国が予選通過。日本はAFCプレーオフへ。
※グループBの日本の一節ごとの詳細な経過についてはジョホールバルの歓喜#日本(B組)を参照のこと。
AFCプレーオフ
日本が予選通過。イランは大陸間プレーオフへ。
大陸間プレーオフ
アウェーゴールルールにより、イランが予選通過。
関連項目
脚注
- ^ 後藤健生 『アジアサッカー戦記 フランスW杯への長き道』文藝春秋、1998年2月、41頁。ISBN 4163537600。
「1998 FIFAワールドカップ・アジア予選」の例文・使い方・用例・文例
- 1998年6月23日にいなくなるまで彼女はオークランドに住んでいた
- 彼女は1998年までスペインに住んだ
- ベンチャー企業を対象とした第2店頭株市場は1995年に創設され、1998年に廃止された。
- その病気は最近では1998年に大流行した。
- 彼らは 1998 年の冬季オリンピック大会を長野に招致しようと決議した.
- このクレジットカードは 1998 年 3 月いっぱいまで有効です.
- 軍艦は1998年に使用を中止された
- エジプト、アルジェリア、パキスタン、バングラデシュで上部機構をアルカイダと他の武装組織に提供した1998年にウサマ・ビンラディンによって組織されたテロリストグループ
- (表面上セキュリティ理由のために)1998年に首都とされたカザフスタンの人里離れた都市
- 米国の政治家で、ロサンゼルス初の黒人市長に選出された(1917年−1998年)
- アメリカ人の心理学者(イングランド生まれ)で、多変量研究に基づいた人間行動の広い理論を展開した(1905年−1998年)
- 米国の生化学者で、白血病と痛風の治療薬を開発したことで知られる(1905年−1998年)
- 英国の生理学者で、アンドリュー・ハックスレーとともに、神経インパルスの伝達でのカリウムとナトリウム原子の役割を発見した(1914年−1998年)
- 日本の映画製作者で、日本の民間伝承と、西洋のスタイルの演出法を一体化させたことで知られる(1910年−1998年)
- 米国の俳優(1914年−1998年)
- 米国のテニス・プレーヤーで、1920年代と1930年代に女子テニスの中心であった(1905年−1998年)
- 米国の振り付け師で、クラシックバレエに人間らしい感情をもたらし、ブロードウェイ・ミュージカルを現実的に活気付けた(1918年−1998年)
- 宇宙飛行士で、1961年に初めて米国の準軌道飛行用ロケットで飛行をした(1923年−1998年)
- 米国の歌手で映画俳優(1915年−1998年)
- 米国の小児科医で、保育に関する多くの本が世界の周りの子供のしつけに影響を及ぼした(1903年−1998年)
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