ラシン・サンタンデール
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2026/06/01 04:37 UTC 版)
| ラシン・サンタンデール | ||||
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| 原語表記 | Real Racing Club de Santander S.A.D. | |||
| 愛称 |
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| クラブカラー | 緑 白 |
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| 創設年 | 1913年 | |||
| 所属リーグ | ラ・リーガ | |||
| 所属ディビジョン | 1部(2026-27) | |||
| ホームタウン | |
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| ホームスタジアム | エル・サルディネーロ | |||
| 収容人数 | 22,222人[1] | |||
| 代表者 | |
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| 監督 | |
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| 公式サイト | 公式サイト | |||
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| ■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ | ||||
レアル・ラシン・クルブ・デ・サンタンデール(Real Racing Club de Santander, S.A.D. (スペイン語発音: [reˈal ˈraθiŋ kluβ ðe santanˈdeɾ]))は、スペイン・カンタブリア州サンタンデールに本拠地を置くサッカークラブ。2026-27シーズンはプリメーラ・ディビシオンに所属している。
歴史
1913年2月23日に近隣のストロングと初めての試合を行い、1-2で敗れた。同年6月14日にサンタンデール・ラシン・クルブ(Santander Racing Club)として正式に創設され、夏には初の公式大会となるルイス・レドネ杯(Luis Redonet Trophy)に出場した。11月14日には北スペインサッカー協会(Northern Federation)に加盟が認められ、サンタンデール・フットボール・クラブ(Santander Foot-ball Club)と合併した。1929年に初めてプリメーラ・ディビシオン(1部)に参戦し、1930-31シーズンには2位となったほか、9シーズン連続でプリメーラ・ディビシオンに残留した。1940年にセグンダ・ディビシオン(2部)に降格すると、その後の約30年間はプリメーラ・ディビシオンとセグンダ・ディビシオンを行き来する期間が続いた。1949-50シーズンはセグンダ・ディビシオンの30試合で99得点を挙げ、10年ぶりにプリメーラ・ディビシオン昇格を決めた。
フランコ政権中の1941年にはスペイン語以外のクラブ名が禁止されたため、レアル・サンタンデール(Real Santander)と名を変え、この名前はホセ・マリア・マグレギ(José María Maguregui)監督の下でプリメーラ・ディビシオン復帰を果たした1973年まで続いた。しかし、このチームは1シーズンでセグンダ・ディビシオンに降格し、再びプリメーラ・ディビシオンとセグンダ・ディビシオンを往復する期間が続き、1990-91シーズンにはセグンダ・ディビシオンB(3部)まで落ち込んだ。1992年にはラシン・サンタンデールの下部組織出身者でスペイン代表歴を持つキケ・セティエン(Quique Setién)を獲得し、1992-93シーズンにはセグンダ・ディビシオンで3位となってプリメーラ・ディビシオン昇格を決め、1994-95シーズンにはFCバルセロナを相手にホームで5-0という歴史的な勝利を挙げた。
2000年代に入り、2001-02シーズンだけはセグンダ・ディビシオンでプレーしたが、セティエン監督の下でプリメーラ・ディビシオン昇格を決めた。その後は常にプリメーラ・ディビシオンで残留争いの中心にいたが、2006年夏にミゲル・アンヘル・ポルトゥガルが監督に就任すると、2006-07シーズンは開幕から3連敗して序盤こそ躓いたが、セルビア代表のニコラ・ジギッチ(202 cm)とペドロ・ムニティス(168 cm)の凸凹コンビを中心に据えた安定したサッカーを披露し、中位でシーズンを終えた。2007年夏にはポルトゥガル監督が退任し、チームの中心であるジギッチがバレンシアCFに移籍するなど、再び降格の筆頭に挙げられたが、若き智将マルセリーノ・ガルシアの下で攻撃的なサッカーを披露し、6位でUEFAカップ出場権を手に入れた。マルセリーノ監督在任期にはコパ・デル・レイで2度も準決勝に進出したが、2008年はヘタフェCFに、2010年はアトレティコ・マドリードに敗れてベスト4に終わった。2011年1月、インド人実業家アーサン・アリ・サイド(Ahsan Ali Syed)がクラブを買収し、所属選手の未払い分の給料と購入した株の支払い、カンタブリア州政府からの貸付金の返済を約束した[2]。しかし、アリ・サイドは契約を履行しないまま姿をくらませ、結果として2000万ユーロに及ぶ負債が残った[3]。クラブは倒産法を適用して債務の法的整理を行うこととし、降格処分は免れたものの、補強は事実上禁止された[4]。
タイトル
国内タイトル
- プリメーラ・ディビシオン 最高位 : 2位
- 1930-31
- セグンダ・ディビシオン 優勝 : 3回
- 1949-50, 1959-60, 2025-26
- プリメーラ・ディビシオンRFEF 優勝 : 1回
- 2021-22
- セグンダ・ディビシオンB 優勝 : 2回
- 1990-91, 2013-14
- テルセーラ・ディビシオン 優勝 : 3回
- 1943-44, 1947-48, 1969-70
過去の成績
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優勝 準優勝 昇格 降格
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シーズン ディビジョン 順位 試 勝 分 敗 得 失 点 コパ・デル・レイ 備考 1997–98 プリメーラ 14位 38 12 9 17 46 55 45 3回戦敗退 1998–99 15位 38 10 12 16 41 53 42 準々決勝敗退 1999–00 15位 38 10 16 12 52 50 46 2000–01 19位 38 10 9 19 48 62 39 準々決勝敗退 セグンダ降格 2001–02 セグンダ 2位 42 19 14 9 58 37 71 1回戦敗退 プリメーラ昇格 2002–03 プリメーラ 16位 38 13 5 20 54 64 44 1回戦敗退 2003–04 17位 38 11 10 17 48 63 43 3回戦敗退 2004–05 16位 38 12 8 18 41 58 44 3回戦敗退 2005–06 17位 38 9 13 16 36 49 40 3回戦敗退 2006–07 10位 38 12 14 12 42 48 50 2回戦敗退 2007–08 6位 38 17 9 12 42 41 60 準決勝敗退 2008–09 12位 38 12 10 16 49 48 46 ベスト16 2009–10 16位 38 9 12 17 42 59 39 準決勝敗退 2010-11 12位 38 12 10 16 41 56 46 ベスト32 2011-12 20位 38 4 15 19 28 63 27 ベスト16 セグンダ降格 2012-13 セグンダ 20位 42 12 10 20 38 51 46 3回戦敗退 セグンダB降格 2013-14 セグンダB 1位 36 17 15 4 55 27 66 準々決勝敗退 セグンダ昇格 2014-15 セグンダ 19位 42 12 8 22 42 53 44 セグンダB降格 2015-16 セグンダB 1位 38 21 11 6 58 28 74 1回戦敗退 2016-17 2位 38 26 8 4 86 28 86 ベスト32 2017-18 5位 38 20 8 10 44 33 68 1回戦敗退 2018-19 1位 38 22 12 4 66 25 78 ベスト32 セグンダ昇格 2019-20 セグンダ 22位 42 5 18 19 39 56 33 1回戦敗退 2020-21 セグンダB 2位 26 12 6 8 40 28 42 1回戦敗退 2021-22 プリメーラRFEF 1位 48 25 7 6 61 31 82 セグンダ昇格 2022-23 セグンダ 12位 42 14 12 16 39 40 54 2回戦敗退 2023-24 7位 42 18 10 14 63 55 64 1回戦敗退 2024-25
- 44シーズン - プリメーラ・ディビシオン(1部)
- 38シーズン - セグンダ・ディビシオン(2部)
- 1シーズン - プリメーラ・ディビシオンRFEF(現3部)
- 7シーズン - セグンダ・ディビシオンB(旧3部、1977年創設)
- 4シーズン - テルセーラ・ディビシオン(4部、1977年以前は3部)
現所属メンバー
- 2025年2月3日現在
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
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- 監督
ローン移籍
- in
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
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- out
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
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歴代監督
フレッド・ペントランド 1920-1922
ロバート・ファース 1930-1932
アントニオ・バリオス 1950-1951
ナンド 1952, 1955-1956
ラウレアーノ・ルイス 1967-1968, 1979-1980
ホセ・マリア・マグレギ 1972-1977, 1983-1987
パキート・ガルシア 1992-1993
ハビエル・イルレタ 1993-1994
ビセンテ・ミエラ 1994-1996
マルコス・アロンソ 1996-1998
アンドニ・ゴイコエチェア 2000
グレゴリオ・マンサーノ 2000-2001
キケ・セティエン 2001-2002
マヌエル・プレシアード 2002-2003
ルーカス・アルカラス 2003-2005
ロペス・カロ 2006
ミゲル・アンヘル・ポルトゥガル 2006-2007
マルセリーノ 2007-2008
フアン・ムニス 2008-2009
ミゲル・アンヘル・ポルトゥガル 2009-2011
マルセリーノ 2011
エクトル・クーペル 2011
アルバロ・セルベラ 2012
ファブリ・ゴンサレス 2012
アレハンドロ・メネンデス 2013
ペドロ・ムニティス 2015-2016
クリストバル・パラーロ 2019
ホセ・ルイス・オルトラ 2020
ホセ・アルベルト・ロペス 2022-
歴代所属選手
GK
ホセ・マリア・セバージョス 1988-2003
ホセ・マヌエル・オチョトレーナ 1995-1996
フローデ・グロダス 1999
エルウィン・レメンス 1999-2003
リカルド 2003-2004
ドゥドゥ・アワット 2003-2006
ファビオ・コルトルティ 2007-2010
DF
イヴィッツァ・バルバリッチ 1992-1993
パブロ・アルファロ 1993-1996, 2006-2007
オロフ・メルベリ 1998-2001
ワリド・レグラギ 2004-2006
アルジェウ 2005
エセキエル・ガライ 2005-2008, 2008-2009
李鎬鎮 2006-2007
イバン・マルカノ 2007-2009
マルク・トレホン・モヤ 2009-2012
ラース・クログ・ゲルソン 2021-
MF
FW
サンティリャーナ 1969-1971
キケ・エステバランス 1988-1989
ドミトリー・ラドチェンコ 1993-1994
ペドロ・ムニティス 1993-1997, 1998-2000, 2006-2012
トーマス・クリスチャンセン 1994-1995
デヤン・ペトコビッチ 1996-1997
サルバ 1998-2000
フェデリコ・マガジャネス 1999-2000
ロドルフォ・ボディポ 2001-2004
アンヘル・アリスメンディ 2004-2005
ニコラ・ジギッチ 2006-2007, 2008-2009
エウゼビウシュ・スモラレク 2007-2009
モハメド・チテ 2007-2010
ジョバニ・ドス・サントス 2011
脚注
- ↑ “Racing de Santander | Liga Española 2ª División 2019-20-RTVE.es”. www.rtve.es. 2020年1月18日閲覧。
- ↑ Racing look to match big boys ESPN Soccernet、2011年2月13日
- ↑ ラシン、オーナーを追い出す意向示す Goal.com 、2011年6月9日、2011年8月22日閲覧
- ↑ 倒産法適用のラシンは降格処分とならず Goal.com、2011年7月22日、2011年8月22日閲覧
外部リンク
- 公式ウェブサイト
- ラシン・サンタンデール (realracingclub) - Facebook
- ラシン・サンタンデール (@realracingclub) - X(旧Twitter)
- ラシン・サンタンデール (@realracingclub) - Instagram
- ラシン・サンタンデール (@realracingclub) - TikTok
- ラシン・サンタンデール - YouTubeチャンネル
- Futbolmeによるクラブ紹介
- BDFutbolによるクラブ紹介
- Club & Stadium History at Estadios de España
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ラシン・サンタンデール
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 03:23 UTC 版)
「セルヒオ・カナレス」の記事における「ラシン・サンタンデール」の解説
サン・アグスティンというクラブから2000年にラシン・サンタンデールの下部組織に加入した。2008-09シーズンにトップチームに昇格し、2008年9月18日にUEFAカップのFCホンカ戦でデビューを果たした。同年10月5日、CAオサスナ戦でリーガ・エスパニョーラ初出場を果たした。2010年1月9日のアウェーでのセビージャ戦では自身の2得点でチームを1-2の勝利に導いた。1週間後のレアル・バリャドリード戦でもゴールを決めた。 これらの活躍から2009-10シーズン冬の移籍市場での動向が注目されたが、2010年2月、シーズン終了後に移籍金450万ユーロの6年契約でレアル・マドリードへ移籍することが発表された。その後、まだラシン在籍中にも関わらず、レアル・マドリードのエンブレムにキスをしている写真がマルカ紙に掲載され、ラシンサポーターから批判を浴びた。
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