ラシン・クラブ・ド・フランスとは? わかりやすく解説

ラシン・クラブ・ド・フランス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/24 09:40 UTC 版)

ラシン・クラブ・ド・フランス[1]Racing Club de France)は、フランスパリ郊外のコロンブを本拠地とする総合型スポーツクラブ。通称RCF。

概要

フランス第二帝政(1852年から1870年)の頃からフランス国内に滞在していたイギリス人の影響もあって総合型スポーツクラブ設立の気運が高まり[2]、パリ市内の学生によりフランス人によるフランス初の総合型スポーツクラブ「ラシン・クラブ」(Racing Club)として1882年4月に創設された[2]。1874年に事務局長のジョルジュ・サン=クレールによりチームカラーを水色に定められた[3]

1885年11月21日、「ラシン・クラブ・ド・フランス」(Racing Club de France)と改称、1886年にはパリ市議会との協議の結果ブローニュの森にある500m四方のグラウンドとクラブハウスを譲り受けることになった[3]。同年には1000人近い会員が所属するクラブとなり、会員達は週末になると徒競走やボールゲームに興じた。

ラシン・クラブの翌年に創設されたスタッド・フランセ(Stade Français)と共にスポーツ活動を通じて学生の身体訓練の意欲を高める役割を果たし、1887年に両クラブが中心となり「フランス徒競争協会」を発足。1890年には「フランス・アスレティック・スポーツ協会」を設立しフランスのスポーツ組織の中核となっていった[2][4]。2000年当時には17のスポーツ部門があり 20,000人近い会員が所属していた[3]

2006年、RCFはパリ市から譲渡されていた広大なグラウンドの使用権を失い、新たにラガルデール・グループに20年契約で譲渡された[3]。これにより、それまで保有していたバドミントン、柔道、フェンシング 、トライアスロン、近代五種競技、水泳などの多くの部門がラガルデールの傘下となり[6]、RCFはゴルフ、ホッケー、テニス、水球、ライフル射撃、スキーの6つの部門を有するスポーツクラブへと縮小された[3]

2013年の時点では柔道、陸上競技の2部門が再建されるなど8つのスポーツ部門を有し[3]、サッカークラブ「ラシン・クラブ・ド・フランス・コロンブ92」とラグビークラブ「ラシン・メトロ92」とパートナーシップを結んでいる[7][8]

陸上競技

1882年創設。1900年に地元パリで開催されたパリオリンピックではクラブからも多くの選手が代表として参加し、ミシェル・テアトがマラソンで金メダル、アンリ・デロージュが1500m走で銀メダル、アンリ・トーザンが400メートルハードルで銀メダル、ジャック・シャスタニエが2500m障害で銅メダルを獲得した[9]

  • オリンピックにおけるメダル獲得数:金メダル3、銀メダル8、銅メダル10
  • 世界選手権におけるメダル獲得数:金メダル2、銀メダル7、銅メダル2

サッカー

ラシン・クラブ・ド・フランス
原語表記 Racing Club de France Football
愛称 Les pingouins
クラブカラー 白と水色
創設年 1896年
所属リーグ フランスサッカー連盟(FFF)
所属ディビジョン ナシオナル3 グループL
ホームタウン コロンブオー=ド=セーヌ県
ホームスタジアム スタッド・オランピック・イヴ=ドゥ=マノワール
収容人数 14,000
代表者 パトリック・ノルベール
監督 ギヨーム・ノルベール
公式サイト 公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

通称ラシン・パリ。フランスのサッカー史の中でも最も伝統あるクラブの1つに数えられる。全盛期は1930年代から40年代にかけてで、その間にはフランスカップを5回制覇し、1936年にはディヴィジョン・アン(現在のリーグ・アン)優勝も果たした。1961年1962年には2年連続してリーグ2位に入り復調の気配を見せたが、1964年2部リーグに降格。その後は3部リーグへ降格するなど低迷期に入った。

1980年代に入りフランス人実業家のジャン=リュック・ラガルデールフランス語版英語版がクラブを買収し強化を進める。1986年に20年ぶりに1部リーグ復帰を果たし、エンソ・フランチェスコリピエール・リトバルスキーを始めとした国際的スター選手を補強したが満足な結果を残すことは出来ず。1990年に経営状態が悪化しクラブは破産しアマチュアリーグへ降格した。

歴史

  • 1896年 : 「ラシン・クラブ・ド・フランス」のサッカー部門として創設。
  • 1932年 : サッカー部門がプロ化、「ラシン・クラブ・ド・パリ」と改称。 
  • 1966年 : セダンと合併、「RCPセダン」と改称。 
  • 1967年 : 「ラシン・クラブ・ド・フランス」として再び独立。
  • 1983年 : パリFCと合併、「ラシン・クラブ・ド・パリ」と改称。ジャン・リュック・ラガルデールが会長就任。 
  • 1987年 : ラガルデールが経営する企業マトラの名を冠した「マトラ・ラシン」に改称。
  • 1989年 : ラガルデールが会長を退任。「ラシンパリ・1」に改称。
  • 1990年 : クラブは破産。制裁措置としてアマチュアリーグ3部へ降格。
  • 1991年 : 「ラシン92」に改称。
  • 1995年 : 「ラシン・クラブ・ド・フランス92」に改称。
  • 1999年 : 「ラシン・クラブ・ド・パリ」に改称。
  • 2005年 : 「ラシン・クラブ・ド・フランス92」に改称。
  • 2006年 : 「ラシン・クラブ・ド・フランス」に改称。
  • 2007年 : 「ラシン・クラブ・ド・フランス・フットボール92」に改称。
  • 2009年 : 「ラシン・クラブ・ド・フランス・ルヴァロワ92」に改称。
  • 2012年 : 「ラシン・クラブ・ド・フランス・フットボール・コロンブ92」に改称。

タイトル

過去の成績

歴代監督

歴代所属選手

ラグビー

スタッド・フランセとの試合(1890年代)
ラシン・メトロ92の選手達(2010年)

1892年創設。フランス国内で歴史と伝統のあるラグビークラブの一つ。2001年パリ交通公団 (RATP) が支援するUSメトロと合併してラシン・メトロ92に改称した。

タイトル

歴代所属選手

ホッケー

タイトル

  • フランス男子ホッケー選手権 19回 : 1899, 1903, 1909, 1926, 1929, 1930, 1943, 1960, 1961, 1979, 1983, 1985, 1990, 1991, 1992, 1993, 1994, 1995, 1996,
  • フランス女子ホッケー選手権 13回 : 1923, 1924, 1926, 1930, 1932, 1933, 1935, 1936, 1955, 1956, 1957, 1966, 1972,

バスケットボール

 

1922年創設。男子は1989年にラシン・パリ・バスケ (Racing Paris Basket) 、1992年にPSGラシン・バスケ (PSG Racing Basket) 、2000年にパリ・バスケ・ラシン (Paris Basket Racing) に改称した。

タイトル

歴代所属選手

脚注

  1. ^ フランス語の発音ではラシン・クリュブ・ドゥ(ド)・フランスが近い。
  2. ^ a b c 溝口紀子、光本健次、田辺陽子 (2005年). “静岡文化芸術大学研究紀要”. 静岡文化芸術大学文化・芸術研究センター. 2013年11月9日閲覧。
  3. ^ a b c d e f HISTORIQUE”. Racing Club de France. 2013年11月9日閲覧。
  4. ^ 清水重勇『フランス近代体育史研究序説』不味堂出版、1986年、169-170頁。ISBN 978-4829302095 
  5. ^ Water Polo”. Racing Club de France. 2013年11月9日閲覧。
  6. ^ Histoire”. Lagardère Paris Racing. 2013年11月9日閲覧。
  7. ^ Football”. Racing Club de France. 2013年11月9日閲覧。
  8. ^ Rugby”. Racing Club de France. 2013年11月9日閲覧。
  9. ^ Médailles Olympiques”. Racing Club de France. 2013年11月9日閲覧。

関連項目

  • ラシン・クルブ - アルゼンチンのサッカークラブ。クラブ創設の際に本クラブの名称とユニフォームのデザインをモデルとした。

外部リンク





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ラシン・クラブ・ド・フランス」の関連用語

ラシン・クラブ・ド・フランスのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ラシン・クラブ・ド・フランスのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのラシン・クラブ・ド・フランス (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS