ル・マンUC
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2013/06/14 18:39 UTC 版)
ル・マンFC | |||
---|---|---|---|
原語表記 | Le Mans Football Club | ||
愛称 | - | ||
クラブカラー | 赤と黄 | ||
創設年 | 1985年 | ||
所属リーグ | Ligue de Football Professionnel (LFP) | ||
所属ディビジョン | リーグ・ドゥ | ||
ホームタウン | ル・マン | ||
ホームスタジアム | MMAアレナ | ||
収容人数 | 25,000 | ||
代表者 | ![]() |
||
監督 | ![]() |
||
公式サイト | 公式サイト | ||
|
|||
■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ |
ル・マン・フットボール・クルブ(Le Mans Football Club)は、フランス・ル・マンに本拠地を置くサッカークラブチーム。
目次 |
クラブ沿革
クラブの母体であるル・マンスポーツクラブは1889年に創立されたが、クラブチーム・USルマン (l'Union Sportive du Mans) が出来たのは1902年であった。現在のクラブはそのUSルマンとSOメンヌ (le Stade Olympique du Maine) と言う二つのクラブが統合して1985年に創設されたため、チームとしての歴史はまだ浅い。
1999-2000シーズンにフランスカップでベスト4まで勝ち残るなど、2部所属のクラブとして力を蓄え、2003-04シーズンに1部へ初昇格。しかしながら、シーズンを19位で終え、わずか1年で降格した。2004-05シーズンのスタートダッシュにも失敗し、再昇格への先行きが危ぶまれたが、シーズン途中から監督に就任したフレデリック・アンツの指揮もありシーズンを2位で終え、1部に復帰した。2005-06シーズンは一時2位に付けただけでなく、そのサッカーの内容も高く評価され、ル・マン旋風を巻き起こした(最終的には11位で終了)。
2010年、クラブ改革の一環として、チーム名をル・マンUC72 (Le Mans Union Club 72) から現在のものへと変更。また、翌年1月には新スタジアムの完成に伴い、スタッド・レオン・ボレから25,000人収容のMMAアレナをメインスタジアムとしている。
優秀と目される(主力選手が他チームに移籍しても、その穴をユース出身者が埋めることが少なくない)ユース組織共々、今後の躍進が期待される。実際に、若手が多くを占めるチーム構成に特徴がある。
2004年から4シーズンに渡り松井大輔が所属。1部への昇格に貢献したことや、その美しいプレーからファンの間で「le soleil du Mans」(ル・マンの太陽)と呼ばれた。
タイトル
国内タイトル
なし
国際タイトル
なし
過去の成績
- 2002-03 リーグ・ドゥ 2位 昇格
- 2003-04 リーグ・アン 19位 降格
- 2004-05 リーグ・ドゥ 2位 昇格
- 2005-06 リーグ・アン 11位
- 2006-07 リーグ・アン 12位
- 2007-08 リーグ・アン 9位
- 2008-09 リーグ・アン 16位
- 2009-10 リーグ・アン 18位 降格
- 2010-11 リーグ・ドゥ 4位
- 2011-12 リーグ・ドゥ 17位
- 2012-13 リーグ・ドゥ 18位 降格
歴代監督
Bernard Deferrez (1985-1986)
クリスティアン・グルキュフ (1986-1989.1、監督兼選手)
クリスティアン・レタール (1989-1992)
Thierry Froger (1993-1997)
スラヴォリュブ・ムスリン (1997)
Marc Westerloppe (1997-2000)
Alain Pascalou (2000)
ティエリ・グデ (2000.12-2004.2)
ダニエル・ジャンデュピュー (2004.2-2004.12)
フレデリック・アンツ (2005.1-2007.6)
ルディ・ガルシア (2007.7-2008.7)
イェヴ・ベルトゥッチ (2008.7-2009.2)
ダニエル・ジャンデュピュー (2009.2-2009.5)
アルノー・コルミエ (2009.5-6)
パウロ・ドゥアルテ (2009.6-12)
アルノー・コルミエ (2009.12-2011)
デニス・ザンコ (2012-)
歴代所属選手
詳細は「:Category:ル・マンUCの選手」を参照
GK
ヨアン・プレ 1999-2009
DF
MF
松井大輔 2004-2008
ステファン・セセニョン 2006-2008
ヨアン・オートゥクール 1999-2006
フレデリック・トマ 1999-2006、2008-
ロマリッチ 2005-2008
マテュー・クタドゥール 2005-2009
FW
ディディエ・ドログバ 1998-2002
ダニエル・クザン 2000-2004
イスマエル・バングラ 2005-2007
トゥーリオ 2005-2008
グラフィッチ 2006.1-2007
ジェルヴィーニョ 2007-2009
アントニー・ル・タレク 2007-2010
外部リンク
- 公式サイト(フランス語)
|
---|
|
|
ル・マンFC
(ル・マンUC から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/09 00:37 UTC 版)
ル・マン | |||
---|---|---|---|
原語表記 | Le Mans Football Club | ||
愛称 | MUC 72 Les Mucistes Les Sang et Or (The Blood and Golds) |
||
クラブカラー | 赤と黄 | ||
創設年 | 1985年 | ||
所属リーグ | フランスサッカー連盟 (FFF) | ||
所属ディビジョン | フランス全国選手権 | ||
ホームタウン | ル・マン | ||
ホームスタジアム | ![]() スタッド・マリー・マルヴァン |
||
収容人数 | 25,064 | ||
代表者 | ![]() |
||
監督 | ![]() |
||
公式サイト | 公式サイト | ||
|
|||
■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ |
ル・マン・フットボール・クルブ(Le Mans Football Club(フランス語発音: [ləmɑ̃])は、フランス・ル・マンに本拠地を置くサッカークラブチーム。旧称はル・マンUC72 (Le Mans Union Club 72) 。
歴史

クラブの母体であるル・マンスポーツクラブは1889年に創立されたが、クラブチーム・USルマン(l'Union Sportive du Mans)が出来たのは1902年であった。現在のクラブはそのUSルマンとSOメンヌ(le Stade Olympique du Maine)と言う二つのクラブが統合して1985年に創設されたため、チームとしての歴史はまだ浅い。
1999-2000シーズンにフランスカップでベスト4まで勝ち残るなど、2部所属のクラブとして力を蓄え、2003-04シーズンに1部へ初昇格。しかしながら、シーズンを19位で終え、わずか1年で降格した。2004-05シーズンのスタートダッシュにも失敗し、再昇格への先行きが危ぶまれたが、シーズン途中から監督に就任したフレデリック・アンツの指揮もありシーズンを2位で終え、1部に復帰した。2005-06シーズンは一時2位に付けただけでなく、そのサッカーの内容も高く評価され、ル・マン旋風を巻き起こした(最終的には11位で終了)。
2010年、クラブ改革の一環として、チーム名を現在のものへと変更。また、翌年1月には新スタジアムの完成に伴い、スタッド・レオン・ボレから25,064人収容のMMアレーナをメインスタジアムとしている[1]。
2011-12シーズンにリーグ・アンから降格。さらに翌2012-13シーズンも成績不振によりリーグ・ドゥの自動降格となる19位で終えると、財政難を理由にメーヌ地域リーグ・Division d'Honneur(6部)にまで降格することが決定した。
優秀と目される(主力選手が他チームに移籍しても、その穴をユース出身者が埋めることが少なくない)ユース組織共々、今後の躍進が期待される。実際に、若手が多くを占めるチーム構成に特徴がある。
2004年から4シーズンに渡り松井大輔が所属。1部への昇格に貢献したことや、その美しいプレーからファンの間で「le soleil du Mans」(ル・マンの太陽)と呼ばれた。
2018-19シーズン、ガゼレク・アジャクシオとの昇格プレーオフを制してリーグ・ドゥに復帰した。
タイトル
国内タイトル
- Division d'Honneur Ouest: 1961, 1965
- Division d'Honneur Maine: 2014
- クープ・ガンバルデッラ: 2004
国際タイトル
- なし
過去の成績
シーズン | ディビジョン | クープ・ドゥ・フランス | クープ・ドゥ・ラ・リーグ | ||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
リーグ | 試 | 勝 | 分 | 敗 | 得 | 失 | 点 | 順位 | |||
2002-03 | リーグ・ドゥ | 38 | 18 | 14 | 6 | 49 | 33 | 68 | 2位 | ||
2003-04 | リーグ・アン | 38 | 9 | 11 | 18 | 35 | 57 | 38 | 19位 | ||
2004-05 | リーグ・ドゥ | 38 | 20 | 8 | 10 | 51 | 30 | 68 | 2位 | ||
2005-06 | リーグ・アン | 38 | 13 | 13 | 12 | 33 | 36 | 52 | 11位 | ||
2006-07 | リーグ・アン | 38 | 11 | 16 | 11 | 45 | 46 | 49 | 12位 | ||
2007-08 | リーグ・アン | 38 | 14 | 11 | 13 | 46 | 49 | 53 | 9位 | ||
2008-09 | リーグ・アン | 38 | 10 | 10 | 18 | 43 | 54 | 40 | 16位 | ||
2009-10 | リーグ・アン | 38 | 8 | 8 | 22 | 36 | 59 | 32 | 18位 | ||
2010-11 | リーグ・ドゥ | 38 | 17 | 11 | 10 | 48 | 37 | 62 | 4位 | ||
2011-12 | リーグ・ドゥ | 38 | 11 | 12 | 15 | 39 | 40 | 45 | 17位 | ||
2012-13 | リーグ・ドゥ | 38 | 11 | 7 | 20 | 39 | 62 | 40 | 18位 | ||
2013-14 | メーヌ地域リーグ・Division d'Honneur | 1位 | |||||||||
2014-15 | フランスアマチュア選手権2・グループB | 26 | 11 | 6 | 9 | 34 | 28 | 65 | 3位 | ベスト64 | |
2015-16 | フランスアマチュア選手権2・グループB | 26 | 13 | 4 | 9 | 30 | 26 | 69 | 3位 | 6回戦敗退 | |
2016-17 | フランスアマチュア選手権2・グループB | 26 | 15 | 6 | 5 | 47 | 23 | 51 | 2位 | 8回戦敗退 | |
2017-18 | フランス全国選手権2・グループD | 30 | 18 | 6 | 6 | 59 | 27 | 60 | 1位 | ベスト64 | |
2018-19 | フランス全国選手権 | 34 | 16 | 11 | 7 | 38 | 29 | 59 | 3位 | 7回戦敗退 | |
2019-20 | リーグ・ドゥ | 28 | 7 | 5 | 16 | 30 | 45 | 26 | 19位 | ベスト64 | ベスト16 |
2020-21 | フランス全国選手権 | 位 |
歴代監督
Bernard Deferrez (1985-1986)
クリスティアン・グルキュフ (1986-1989.1、監督兼選手)
クリスティアン・レタール (1989-1992)
Thierry Froger (1993-1997)
スラヴォリュブ・ムスリン (1997)
Marc Westerloppe (1997-2000)
Alain Pascalou (2000)
ティエリ・グデ (2000-2004)
ダニエル・ジャンデュピュー (2004)
フレデリック・アンツ (2005-2007)
ルディ・ガルシア (2007-2008)
イェヴ・ベルトゥッチ (2008-2009)
ダニエル・ジャンデュピュー (2009)
アルノー・コルミエ (2009)
パウロ・ドゥアルテ (2009)
アルノー・コルミエ (2009-2011)
デニス・ザンコ (2012-2013)
レジ・ブナルドー (2013)
Stephane Guedet (2013-2014)
アレクサンダル・クレマン (2014-2015)
リシャール・ディザイア (2015-2020)
レジナル・レイ (2020)[2][3]
ディディエ・オレ=ニコル (2020-2021)[4][5]
歴代所属選手
リュドヴィク・バール
レジス・ブナルドー
グレゴリー・セルダン
セバスティアン・コルシア
パトリック・エケング・エケング
ジャム・ファンショヌ
ヤニック・フィシェール
ロラント・ラマー
モディボ・マイガ
ディディエ・オヴォノ
ファブリス・パンクラト
クリスティアン・ペノー
ヨアン・プラール
モルガン・サンソン
ジャック・ソンゴォ
オリヴィエ・トマ
オリヴィエ・トメール
ハッサン・イェブダ
ルディ・バタ 1991-1992
ローラン・ボナール 1998-2007
タバン・モレフェ 2003-2004
イブラヒマ・カマラ 2006-2010
マルコ・バシャ 2005-2008
サムエル・ブウール 2007-2011
松井大輔 2004-2008
ステファン・セセニョン 2006-2008
ヨアン・オートゥクール 1999-2006
フレデリック・トマ 1999-2006, 2008-2013
ロマリッチ 2005-2008
マテュー・クタドゥール 2005-2009
ディディエ・ドログバ 1998-2002
ダニエル・クザン 2000-2004
イスマエル・バングラ 2005-2007
トゥーリオ・デ・メロ 2005-2008
エジナウド・バチスタ・リバノ 2006-2007
ジェルヴィーニョ 2007-2009
アントニー・ル・タレク 2007-2010
脚注
- ^ Le MUC 72 devient LEMANS FC Archived 2009-12-04 at the Wayback Machine.
- ^ “Le Mans - Ray : "Enclencher une nouvelle dynamique"” (フランス語). foot-national.com. 2 March 2020閲覧。
- ^ “Le Mans : Reginald Ray s'en va (off)” (フランス語). foot-national.com. 28 May 2020閲覧。
- ^ “National. Le Mans FC a trouvé son entraineur” (フランス語). footamateur.fr. 1 June 2020閲覧。
- ^ “National. Le Mans FC se sépare de Didier Ollé-Nicolle” (フランス語). footamateur.fr. 17 May 2021閲覧。
外部リンク
ル・マンUC
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/05 05:41 UTC 版)
2005年7月14日、フランスのル・マンUCに移籍した。8月にはベルギーのリエージュ近郊のハイウェイを走行中に自動車事故に巻き込まれ、鎖骨を骨折して頭部も打ちつけたが、すぐに回復してスターティングメンバーに名を連ねた。2005-06シーズンは活躍はできなかったものの、2006年夏に守備的ミッドフィールダーのレギュラーだったフレデリック・トーマとヨアン・オートゥクールが相次いで移籍したため、急遽ロマリッチが守備的ミッドフィールダーにコンバートされると、それまでトップ下として起用されることが多かった彼にとって転機となり、粘り強いマークと球離れの速さを身につけた。 2006-07シーズン序盤戦には活躍を見せ、2006年11月にはヴィカシュ・ドラソーを手放すパリ・サンジェルマンFCがドラソーの後継者として獲得することに関心を抱いていると報道された。主に新人のマテュー・クタドゥールとコンビを組み、チームの要としてリーグ・アン残留に貢献した。2007年夏には長年に渡ってキャプテンを務めて来たローラン・ボナールがオリンピック・マルセイユに移籍したことで、ルディ・ガルシア監督はロマリッチをキャプテンに指名した。素行が良いとは言えない選手がキャプテンに指名されたことに対して驚きの声も上がったが[要出典]、2007-08シーズン開幕後も安定したプレーを披露し、チームの大黒柱とも言える存在に成長した。
※この「ル・マンUC」の解説は、「ロマリッチ」の解説の一部です。
「ル・マンUC」を含む「ロマリッチ」の記事については、「ロマリッチ」の概要を参照ください。
固有名詞の分類
- ル・マンUCのページへのリンク