キケ・セティエンとは? わかりやすく解説

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キケ・セティエン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/13 06:10 UTC 版)

キケ・セティエン
2010年のセティエン
名前
本名 エンリケ・セティエン・ソラール
Enrique Setién Solar
愛称 Quique
ラテン文字 Quique Setién
基本情報
国籍 スペイン
生年月日 (1958-09-27) 1958年9月27日(66歳)
出身地 サンタンデール
身長 183cm
体重 76kg
選手情報
ポジション MF
ユース
カサブランカ
Perines
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1977–1985 ラシン・サンタンデール 204 (43)
1985–1988 アトレティコ・マドリード 73 (7)
1988–1992 CDログロニェス 114 (20)
1992–1996 ラシン・サンタンデール 124 (25)
1996 レバンテUD 3 (0)
通算 518 (95)
代表歴
1978–1982 スペイン U-21 2 (0)
1985–1986 スペイン 3 (0)
監督歴
2001-2002 ラシン・サンタンデール
2003 ポリ・エヒド
2006 赤道ギニア
2007-2008 CDログロニェス
2009-2015 CDルーゴ
2015-2017 UDラス・パルマス
2017-2019 レアル・ベティス
2020 FCバルセロナ
2022-2023 ビジャレアルCF
2024- 北京国安
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

キケ・セティエン(Quique Setién)こと、エンリケ・セティエン・ソラール(Enrique Setién Solar, 1959年9月27日 - )は、スペインサンタンデール県サンタンデール出身の元サッカー選手中国サッカー・スーパーリーグ北京中赫国安足球倶楽部監督。現サッカー指導者。

来歴

選手時代

1977年に地元のラシン・サンタンデールでプロデビュー。1984-85シーズンまで主力として活躍。1985年から3シーズンはアトレティコ・マドリードでプレー。以降CDログロニェスレバンテUDなどでもプレーし、1996年に引退した。

1985年から2年間、スペイン代表に招集され、1986 FIFAワールドカップのメンバーにも招集された。

監督歴

2001-02シーズンにラシン・サンタンデールで監督業を開始。2006年には赤道ギニア代表の監督を務める。

2009年6月、CDルーゴの監督に就任。6シーズン監督を務め、2011-12シーズンにはセグンダ・ディビシオンBからセグンダ・ディビシオンに引き上げた。

2015年10月19日、解任されたパコ・エレーラの後任としてUDラス・パルマスの監督に就任[1]。2015-16シーズンはプリメーラ・ディビシオンで11位。翌2016-17シーズンも14位と、2シーズン連続でトップリーグ残留に導いた。

2017年5月26日、レアル・ベティスの監督に就任。就任1年目の2017-18シーズンは、9月20日の敵地サンティアゴ・ベルナベウでのレアル・マドリード戦に勝利。以降もロレンジュニオルなど、カンテラ出身選手を積極的に起用し、リーグ6位の好成績を収めた。乾貴士を加えた2018-19シーズンは、シーズン序盤のカンプ・ノウでのFCバルセロナ戦に4-3で勝利するなど、注目を集める。しかし、以降は失速。特に本拠地エスタディオ・ベニート・ビジャマリンでの開催が決定したコパ・デル・レイでは、準決勝に進出しながらもバレンシアCFに敗退したことで地元ファンから非難された。シーズンも10位に終わり、シーズン終了後の2019年5月19日付で退任したことが発表された[2]

2020年1月14日、FCバルセロナの監督に就任したことが発表された[3]。しかし、自身のスタイルを構築することは出来ず、ラ・リーガの覇権をレアル・マドリードに明け渡し、更に8月14日のUEFAチャンピオンズリーグ準々決勝では、FCバイエルン・ミュンヘンに2-8の歴史的大敗を喫し、3日後の8月17日に解任された[4]。 2021年8月、スペイン誌「Jot Down」のインタビューで今後チームの指揮を続ける意思がないことを明らかにし、監督業からの引退を示唆した。

「もう二度とチームを率いることはないと思う」

バルセロナ解任後、スペイン国内外問わずオファーが届きながらも決断をした理由として

「もう関心がなくなってしまったんだ。ここ数年、私が経験してきたフットボールは私が好きなフットボールではなかった。私が好きだったのはフットボールをプレーすることだった。実際、私は自分が指導者になるとも思っていなかった」とコメント。

また、セティエン氏はバルサ時代のことを振り返り、「あのようなドレッシングルームはこれまでになかった。何かが違っていた。ショックを受けたよ」と、選手時代も含め40年のキャリアで一度も経験したことのないチーム状況だったと語っている。

2022年10月26日、ビジャレアルCFの監督に就任したことが発表された[5]。就任直後の4試合は1勝3敗と苦しみながらもその後立て直し、2022-23シーズンのラ・リーガ5位で終えた。しかし、翌2023-24シーズンは開幕4試合で1勝3敗と再び低迷し、2023年9月5日に解任された[6]

2024年12月10日、北京中赫国安足球倶楽部監督に就任[7]

脚注

  1. ^ Las Palmas sack Paco Herrera as manager, hire Quique Setien”. ESPN (2015年10月20日). 2018年5月30日閲覧。
  2. ^ 乾の所属元ベティス、セティエン監督の退任を発表”. 超ワールドサッカー (2019年5月20日). 2019年5月20日閲覧。
  3. ^ 新監督、 キケ・サティエン”. FCバルセロナ (2020年1月14日). 2020年1月14日閲覧。
  4. ^ キケ・セティエン、トップチームの監督から離れる”. FCバルセロナ (2020年8月18日). 2020年8月18日閲覧。
  5. ^ ¡BIENVENIDO, QUIQUE SETIÉN!”. VILLARREAL CF (2022年10月26日). 2022年10月26日閲覧。
  6. ^ ビジャレアル、セティエン監督を電撃解任…今季ラ・リーガ1勝3敗と苦しいスタートに”. サッカーキング (2023年9月5日). 2024年12月13日閲覧。
  7. ^ 北京国安官方:前巴萨主帅塞蒂恩执教球队” (簡体字中国語). 懂球帝 (2024年12月10日). 2024年12月13日閲覧。

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