レアル・マドリード・カスティージャとは? わかりやすく解説

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レアル・マドリード・カスティージャ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/15 08:04 UTC 版)

レアル・マドリード・カスティージャ
原語表記 Real Madrid Castilla Club de Fútbol
愛称 Castilla (カスティージャ)
クラブカラー  
創設年 1930年
所属リーグ プリメーラ・ディビシオンRFEF
ホームタウン 3部
ホームスタジアム
アルフレッド・ディ・ステファノ
収容人数 6,000人
代表者 フロレンティーノ・ペレス
監督 アルバロ・アルベロア
公式サイト 公式サイト
ホームカラー
Awayカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

レアル・マドリード・カスティージャReal Madrid Castilla Club de Fútbol)とは、レアル・マドリードリザーブチームである。2022-23シーズンはプリメーラ・ディビシオンRFEFに所属している。

概要

レアル・マドリードの予備チーム(リザーブ)であり、レアル・マドリードの下部組織(カンテラ)の選手達が所属している。

スペインの予備チームは、個別のリーグではなく、上級チームと同じリーグシステムでプレーしている。ただし、予備チームは上級チームと同じディビジョンでプレーすることはできない。したがって、レアル・マドリード・カスティージャはプリメーラ・ディビシオンへの昇格の対象外である。

リザーブチームは、コパ・デル・レイへの参加ができない。さらに、23歳未満のプレーヤー、またはプロの契約を結んでいる25歳未満のプレーヤーのみが、上級チームと予備チームを切り替えることができる。

クラブの歴史

ADプルス・ウルトラ

レアル・マドリード・カスティージャの歴史は、1948年にアグルパシオン・デポルティーバ・プルス・ウルトラ, AD プルス・ウルトラ(Agrupación Deportiva Plus Ultra, AD Plus Ultra)というテルセーラ・ディビシオン所属の地元アマチュアチームが、レアル・マドリードの選手育成について合意したことから始まった。チームは元々1930年に創設され、チーム名をスペインの国家標語からとった。レアル・マドリードはADプルス・ウルトラに対し経済援助を行い、見返りにチームに在籍している最高の選手たちの第一先買権を得た。チームは1949年にセグンダ・ディビシオンに昇格し、1952年に正式にレアル・マドリードのBチームとなった。1954年、ADプルス・ウルトラはスペインU-19カップ決勝でエスパニョールを破り優勝。1959年にはコパ・デル・レイ準々決勝でグラナダCFに敗戦した。

1950年代、1960年代には、サラガマテオス、マルサル、カサード、ビジャ、ビダル、セレーナグロッソなどの未来のレアル・マドリードの選手たち、スペイン代表選手たちがADプルス・ウルトラでプレーしていた。またルイス・アラゴネスも短期間ながら在籍し、ミゲル・ムニョスはこのチームで監督のキャリアをスタートさせた。1972年、ADプルス・ウルトラと同名の保険会社が破産したため、チームはカスティージャCF(Castilla CF)と名称を変え、新しくレアル・マドリードのBチームとなった。

カスティージャCF

名称がカスティージャCFとなってから、チームは黄金時代を迎えることとなった。この時代、チームにはアグスティンガジェゴ、ピネダが在籍し、1979-1980シーズンのコパ・デル・レイの決勝に進出した。カスティージャCFはトーナメントで、エルクレスCFアスレティック・ビルバオレアル・ソシエダスポルティング・デ・ヒホンという四つのプリメーラ・ディビシオン所属チームを破る快進撃を見せた。ちなみにソシエダとスポルティングはこのシーズンにプリメーラでそれぞれ2位と3位になっている。決勝ではカスティージャCFのトップチームであるレアル・マドリードと対戦し、6-1と大敗、準優勝に終わった。しかしレアル・マドリードがリーガで優勝したため、カスティージャCFはUEFAカップウィナーズカップの出場権を得る。翌シーズンのカップウィナーズカップ1回戦ではウェストハムと対戦。サンティアゴ・ベルナベウで行われた1st legは3-1で勝ったものの、2nd legでは5-1で敗戦し、トーナメントから姿を消した。カスティージャCFは1984年、1986年、1988年のコパ・デル・レイで準々決勝に進出した。

1984年、アマンシオ・アマロ監督の下、カスティージャCFはセグンダ・ディビシオン優勝を果たした。チームでは「キンタ・デル・ブイトレ(La Quinta del Buitre)」のメンバーたち、エミリオ・ブトラゲーニョマヌエル・サンチスマルティン・バスケスミチェルミゲル・パルデサがプレーしていた。しかしながらレアル・マドリードが既にプリメーラに所属しているため、カスティージャCFの1部昇格は不可能であった。1987-1988シーズンには3位に入ったが、同じ理由で昇格は出来なかった。

レアル・マドリードB

1991年、スペインサッカー連盟がトップチームと下部組織のチームの名称の統一化を図ったため、カスティージャCFはレアル・マドリード・デポルティーバ(Real Madrid Deportiva)と名称を変更した後、最終的にレアル・マドリードB(Real Madrid B)に落ち着くこととなった。1990年代、二人の元レアル・マドリードの選手達、ビセンテ・デル・ボスケラファエル・ベニテスがこのチームで監督のキャリアをスタートさせている。1997年、レアル・マドリードBはセグンダ・ディビシオンBに降格するが、チームは素晴らしい選手達を輩出し続けた。レアル・マドリードのトップチームで地位を確立した、ラウールラウール・ブラボグティイケル・カシージャスなどのメンバーである。また、イスマエル・ウルサイスサンティアゴ・カニサレスミスタルイス・ガルシア・フェルナンデスなどの元レアル・マドリードBの選手達も、移籍先のリーガのクラブで成功を収めている。

レアル・マドリード・カスティージャ

2005年、ファン・ラモン・ロペス・カロ監督が指揮し、チームがセグンダ・ディビシオンへ復帰すると、レアル・マドリードBは「カスティージャ」の名称を復活させ、レアル・マドリード・カスティージャとなった。2006年にはクラブ施設のシウダード・レアル・マドリード(Ciudad Real Madrid)内の新スタジアムが「エスタディオ・アルフレッド・ディ・ステファノ」と命名され、フランシスコ・モレーノ・カリニェーナがここ16年間で初のトップチームから独立した会長に就任した。

2006-07シーズン、22チーム中19位(下位4チームが降格)という成績で、セグンダ・ディビシオンBへの降格が決定した。

2008年12月には監督を務めていたミチェルがカンテラ軽視政策を批判して辞任。フレン・ロペテギが監督に就任した。

2011年1月にはアルベルト・トリルが監督に就任。2010-11シーズンはリーグ3位となるも、プレーオフの結果昇格することはできなかった。翌2011-12シーズンにはリーグ優勝を果たし、プレーオフでもカディスCFを2試合合計8-1で下してセグンダ・ディビシオン昇格を決めた。

2013-14シーズンには22チーム中20位となり、セグンダ・ディビシオンBに降格した。2014年7月にジネディーヌ・ジダンが監督に就任。

2015-16シーズン中の2016年1月4日、トップチームの監督であったラファエル・ベニテスの解任に伴い、ジダンがトップチームの監督に昇格。カスティージャの新監督にはフベニールAの監督を務めていたルイス・ミゲル・ラミスが就任したが[1]、2015-2016シーズンのプレーオフでセグンダ・ディビシオン昇格を逃した結果、退任した。

2016年6月、後任にクラブOBでフベニールAの監督であった元アルゼンチン代表サンティアゴ・ソラーリが昇格。2018年10月、トップチームの監督であったフレン・ロペテギが成績不振により解任、ソラーリがトップチームの暫定監督に就任した(同年11月に正式に監督に就任)。後任にはSDポンフェラディーナの元監督であったホセ・マヌエル・ディアススペイン語版が復帰したが、2018-2019シーズンはプレーオフでセグンダ・ディビシオン昇格を逃した

2019年6月20日、現役時代はクラブの象徴的存在であり、前フベニールB監督のラウル・ゴンサレスが監督に昇格。2025年5月27日、6年間に渡って指揮を執ったラウルが退任、後任に前フベニールA(U-19)監督のアルバロ・アルベロアが昇格。

タイトル

成績

シーズン ディビジョン 順位 国王杯
1946-47 テルセーラ 5位
1947-48 テルセーラ 5位 1回戦敗退
1948-49 テルセーラ 1位 2回戦敗退
1949-50 セグンダ 3位 3回戦敗退
1950-51 セグンダ 7位 予選敗退
1951-52 セグンダ 12位 予選敗退
1952-53 セグンダ 15位 1回戦敗退
1953-54 テルセーラ 3位
1954-55 テルセーラ 1位
1955-56 セグンダ 15位
1956-57 テルセーラ 1位
1957-58 セグンダ 7位
1958-59 セグンダ 10位 ベスト8
1959-60 セグンダ 4位 2回戦敗退
1960-61 セグンダ 7位 1回戦敗退
1961-62 セグンダ 7位 1回戦敗退
1962-63 セグンダ 16位 1回戦敗退
1963-64 テルセーラ 1位
1964-65 テルセーラ 3位
1965-66 テルセーラ 1位
シーズン ディビジョン 順位 国王杯
1966-67 テルセーラ 2位
1967-68 テルセーラ 1位
1968-69 テルセーラ 3位
1969-70 テルセーラ 3位 2回戦敗退
1970-71 テルセーラ 11位 1回戦敗退
1971-72 テルセーラ 10位 2回戦敗退
1972-73 テルセーラ 4位 1回戦敗退
1973-74 テルセーラ 4位 3回戦敗退
1974-75 テルセーラ 4位 3回戦敗退
1975-76 テルセーラ 3位 1回戦敗退
1976-77 テルセーラ 4位 2回戦敗退
1977-78 セグンダB 2位 2回戦敗退
1978-79 セグンダ 7位 3回戦敗退
1979-80 セグンダ 7位 準優勝
1980-81 セグンダ 11位 4回戦敗退
1981-82 セグンダ 8位 3回戦敗退
1982-83 セグンダ 6位 2回戦敗退
1983-84 セグンダ 1位 ベスト8
1984-85 セグンダ 5位 2回戦敗退
1985-86 セグンダ 12位 ベスト8
シーズン ディビジョン 順位 国王杯
1986-87 セグンダ 5位 1回戦敗退
1987-88 セグンダ 3位 ベスト8
1988-89 セグンダ 15位 2回戦敗退
1989-90 セグンダ 18位 1回戦敗退
1990-91 セグンダB 1位
1991-92 セグンダ 16位
1992-93 セグンダ 6位
1993-94 セグンダ 6位
1994-95 セグンダ 8位
1995-96 セグンダ 4位
1996-97 セグンダ 18位
1997-98 セグンダB 2位
1998-99 セグンダB 3位
1999-00 セグンダB 5位
2000-01 セグンダB 7位
2001-02 セグンダB 1位
2002-03 セグンダB 6位
2003-04 セグンダB 2位
2004-05 セグンダB 1位
2005-06 セグンダ 11位
シーズン ディビジョン 順位 国王杯
2006-07 セグンダ 19位
2007-08 セグンダB 5位
2008-09 セグンダB 6位
2009-10 セグンダB 8位
2010-11 セグンダB 3位
2011-12 セグンダB 1位
2012-13 セグンダ 8位
2013-14 セグンダ 20位
2014-15 セグンダB 6位
2015-16 セグンダB 1位
2016-17 セグンダB 11位
2017-18 セグンダB 8位
2018-19 セグンダB 4位
2019-20 セグンダB 7位
2020-21 セグンダB 2位/3位
2021-22 プリメーラRFEF

現所属選手

2024年9月14日現在

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
1 GK ディエゴ・ピネイロ
2 DF ロレンソ・アグアード
3 DF ダビド・クエンカ
4 DF エドガー・プジョル
6 MF チェマ
7 FW ゴンサロ・ガルシア
8 MF マヌエル・アンヘル
9 MF ビクトル・ムニョス
10 MF セサール・パラシオス
11 FW ボルハ・アロンソ
13 GK フラン・ゴンサレス
No. Pos. 選手名
14 DF ハコボ・ラモン
16 MF アントニオ・ダビド
17 DF ダビド・ルイス
19 FW ロレン・スニガ
20 MF アンドレス・カンポス
21 MF ジェレミ・デ・レオン
22 DF ダビド・ヒメネス
23 DF ユセフ・エンリケ
24 DF パブロ・ラモン
25 GK マリオ・デ・ルイス
28 DF エンリケ・リベス
31 GK ギジェルモ・スニコ

レンタル移籍

in

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
out

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
-- DF マリオ・カメージョ (SDタラソナ)
-- MF 中井卓大 (SDアモレビエタ)
No. Pos. 選手名
-- FW ノエル・ロペス (CAオサスナB)
-- FW アルバロ・レイヴァ (アルヘシラスCF)

歴代監督

歴代所属選手

GK


DF


MF


FW


脚注・出典

関連項目

外部リンク


レアル・マドリード・カスティージャ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 14:23 UTC 版)

「レアル・マドリード・カスティージャ」の記事における「レアル・マドリード・カスティージャ」の解説

2005年ファン・ラモン・ロペス・カロ監督指揮しチームセグンダ・ディビシオン復帰すると、レアル・マドリードBは「カスティージャ」の名称を復活させ、レアル・マドリード・カスティージャとなった2006年にはクラブ施設シウダード・レアル・マドリードCiudad Real Madrid内の新スタジアムが「エスタディオ・アルフレッド・ディ・ステファノ」と命名され、フランシスコ・モレーノ・カリニェーナがここ16年間で初のトップチームから独立した会長就任した2006-07シーズン22チーム19位(下位4チーム降格)という成績で、セグンダ・ディビシオンBへの降格決定した2008年12月には監督務めていたミチェルカンテラ軽視政策批判して辞任フレン・ロペテギ監督就任した2011年1月にはアルベルト・トリル監督就任2010-11シーズンリーグ3位となるも、プレーオフ結果昇格することはできなかった。翌2011-12シーズンにはリーグ優勝果たしプレーオフでもカディスCFを2試合合計8-1下してセグンダ・ディビシオン昇格決めた2013-14シーズンには22チーム20位となり、セグンダ・ディビシオンB降格した2014年7月ジネディーヌ・ジダン監督就任2015-16シーズン中2016年1月4日トップチーム監督であったラファエル・ベニテス解任に伴いジダントップチーム監督昇格カスティージャの新監督にはフベニールAの監督務めていたルイス・ミゲル・ラミススペイン語版)が就任したが、2015-2016シーズンプレーオフセグンダ・ディビシオン昇格逃した結果退任した2016年6月後任クラブOBでフベニールAの監督であったアルゼンチン代表のサンティアゴ・ソラーリ昇格2018年10月トップチーム監督であったフレン・ロペテギ成績不振により解任ソラーリトップチーム暫定監督就任した同年11月正式に監督就任)。後任にはSDポンフェラディーナの元監督であったホセ・マヌエル・ディアス(スペイン語版)が復帰したが、2018-2019シーズンプレーオフセグンダ・ディビシオン昇格逃した 2019年6月20日現役時代クラブ象徴的存在であり、前フベニールB監督ラウル・ゴンサレス監督昇格

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