マルティン・バスケスとは? わかりやすく解説

マルティン・バスケス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/21 08:51 UTC 版)

マルティン・バスケス
名前
本名 ラファエル・マルティン・バスケス
Rafael Martín Vázquez
ラテン文字 Martín Vázquez
基本情報
国籍 スペイン
生年月日 (1965-09-25) 1965年9月25日(58歳)
出身地 マドリード
身長 180cm
体重 73kg
選手情報
ポジション MF
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1983 レアル・マドリード・カスティージャ 141 (3)
1983-1990 レアル・マドリード 179 (35)
1990-1992 トリノFC 52 (2)
1992 オリンピック・マルセイユ 7 (1)
1992-1995 レアル・マドリード 73 (7)
1995-1997 デポルティーボ・ラ・コルーニャ 17 (2)
1997-1998 アトレティコ・セラヤ 10 (0)
1998 カールスルーエSC 5 (0)
代表歴
1987-1992[1] スペイン 38 (1)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ラファエル・マルティン・バスケス (Rafael Martín Vázquez, 1965年9月25日 - ) はスペイン出身の元サッカー選手。ポジションはMF。右足から繰り出される、セットプレーの名手として知られた[2]

経歴

1983年にレアル・マドリードのトップチームにデビュー。キンタ・デル・ブイトレのメンバーの一人で、左サイドハーフとしてリーグ5連覇をはじめ数々のタイトル獲得に貢献し[2]。自身も1989-1990シーズンにはMFながら、リーグ戦で14得点を挙げる活躍を見せた。1990年にトリノFCへ移籍。リーグ3節のインテル戦で初得点を決めた[2]。背中の故障で数試合を欠場したが、リーグ戦27試合に出場、チームはリーグ第5位に入った[2]。1991年いミトローパ・カップで優勝。1991-92シーズンにはリーグ3位に入り、UEFAカップでも決勝まで進出する成功をおさめた[2]。しかし、チームの経済的事情で、オリンピック・マルセイユへ売却された[2]。9試合で3得点を記録したが、すぐにマルセイユを短期で離れ、再びレアル・マドリードへ戻った。怪我もあり、複帰後は必ずしも絶体的なレギュラーではなかったが、1994-95シーズンのリーグ優勝など、前回の所属時も含め、通算16のタイトルを獲得した[2]。その後1995年にデポルティーボ・ラ・コルーニャへ移籍し2年間プレーする。そして、1997年にエミリオ・ブトラゲーニョのいるメキシコのアトレティコ・セラヤへ移籍し、ドイツのカールスルーエSCで現役を引退した。

スペイン代表としては38試合に出場[2]。1987年9月23日にルクセンブルグとの対戦で代表デビュー[2]。1991年9月4日のウルグアイとの親善試合でディ表での唯一の得点を決めた[2]。しかし、1992年に監督に就任したハビエル・クレメンテは代表におけるキンタ・デル・ブイトレの解体を行い、1994年のワールドカップ予選を最後に。まだ20代であったものの、代表から遠ざかった。

脚注





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