フアン・バルバスとは? わかりやすく解説

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フアン・バルバス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/18 03:19 UTC 版)

フアン・バルバス
名前
本名 フアン・アルベルト・バルバス
Juan Alberto Barbas
ラテン文字 Juan BARBAS
基本情報
国籍 アルゼンチン
生年月日 (1959-08-23) 1959年8月23日(64歳)
出身地 サン・マルティンスペイン語版
身長 167cm
選手情報
ポジション MF / DF
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1977-1982 ラシン・クルブ 132 (14)
1982-1985 サラゴサ 91 (19)
1985-1990 レッチェ 149 (27)
1990-1991 ロカルノ  ? (?)
1991-1992 シオン 11 (0)
1992-1993 ロカルノ  ? (?)
1993 ウラカン 9 (0)
1993-1994 アルバラード  ? (?)
1994-1997 オール・ボーイズ 76 (9)
代表歴
1979 アルゼンチン U-20 10 (0)
1979-1985 アルゼンチン 33 (0)
監督歴
2009 ラシン・クルブ (暫定)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

フアン・アルベルト・バルバスJuan Alberto Barbas, 1959年8月23日 - )は、アルゼンチンブエノスアイレス州出身の元サッカー選手。ポジションはミッドフィールダーディフェンダーアルゼンチン代表であった。

経歴

クラブ

1977年にプリメーラ・ディビシオンラシン・クルブからデビューした。1982年にスペイン・リーガ・エスパニョーラレアル・サラゴサに移籍し、1982-83シーズンと1983-84シーズンにドン・バロン・アワードの最優秀外国人選手賞を受賞した。1985年にイタリアのUSレッチェに移籍し、5シーズンでリーグ戦149試合に出場して27得点を挙げた。1990年にスイスに渡り、FCシオンでは1991-92シーズンにスイス・スーパーリーグ優勝を果たした。再びFCロカルノに在籍し、1993年に母国のCAウラカンに移籍した。晩年はCAアルバラードスペイン語版CAオール・ボーイズでプレーし、1997年に現役引退した。

代表

1979年にはU-20アルゼンチン代表としてFIFAワールドユース選手権に出場して優勝した。同年にアルゼンチンA代表デビューし、1985年までに33試合に出場した[1]。1982年にはスペインで開催されたFIFAワールドカップに出場し、ディエゴ・マラドーナマリオ・ケンペスらを擁したアルゼンチン代表は優勝候補に挙げられていたが、2次リーグで最下位となって敗退した。

指導者

2009年10月13日、リカルド・カルーソ・ロンバルディスペイン語版監督の後任としてラシン・クルブの暫定監督に就任した[2]

タイトル

クラブ

FCシオン

代表

U-20アルゼンチン代表

個人

脚注

  1. ^ Argentina - Record International Players RSSSF
  2. ^ “Espero poder devolverle al club lo que me dio”[リンク切れ] ラシン・クルブ公式サイト

外部リンク




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