ウバルド・フィジョールとは? わかりやすく解説

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ウバルド・フィジョール

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/17 04:33 UTC 版)

ウバルド・フィジョール
名前
本名 ウバルド・マティルド・フィジョール
Ubaldo Matildo Fillol
愛称 El Pato
ラテン文字 Ubaldo FILLOL
基本情報
国籍 アルゼンチン
生年月日 (1950-07-21) 1950年7月21日(73歳)
出身地 サン・ミゲル・デル・モンテスペイン語版
選手情報
ポジション GK
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1965-1971 キルメス 57 (0)
1972-1973 ラシン・クルブ 59 (0)
1974-1983 リーベル・プレート 360 (0)
1983 アルヘンティノス 17 (0)
1984-1985 フラメンゴ 34 (0)
1985-1986 アトレティコ・マドリード 17 (0)
1986-1989 ラシン・クルブ 71 (0)
1989-1991 ベレス・サルスフィエルド 42 (0)
代表歴
1974-1985 アルゼンチン 58 (0)
監督歴
2004 ラシン・クルブ
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ウバルド・フィジョール(Ubaldo Matildo Fillol、1950年7月21日 - )は、アルゼンチン出身の元同国代表サッカー選手サッカー指導者。ポジションはゴールキーパー。現在はアルゼンチン代表のゴールキーパーコーチを務めている。

経歴

最初にデビューしたクラブチームのキルメスACで57試合に出場した。1972年にラシン・クルブに移籍し、1974年からは9年間CAリーベル・プレートに所属した。それからAAアルヘンティノス・ジュニアーズブラジルCRフラメンゴスペインアトレティコ・マドリードに在籍した。その後アルゼンチンに戻り、ラシン・クルブに在籍し、1991年にCAベレス・サルスフィエルドに在籍したのを最後に現役を引退した。

代表歴

1974年にデビューし、同年開催されたFIFAワールドカップに出場した。4年後の1978 FIFAワールドカップでは、若きキャプテンダニエル・パサレラ、ストライカーマリオ・ケンペスらと共にアルゼンチンのワールドカップ初優勝に貢献した。そして4年後の1982 FIFAワールドカップにも出場した。1986 FIFAワールドカップ・予選では好セーブを連発し、本戦出場に貢献したが、この大会の前年に代表を引退し、4大会連続出場はならなかった。

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