ホルヘ・マリオ・オルギンとは? わかりやすく解説

ホルヘ・マリオ・オルギン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/03 17:58 UTC 版)

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ホルヘ・オルギン
1978年のオルギン
名前
本名 ホルヘ・マリオ・オルギン
Jorge Mario Olguín
ラテン文字 Jorge OLGUÍN
基本情報
国籍 アルゼンチン
生年月日 (1952-05-17) 1952年5月17日(68歳)
出身地 ブエノスアイレスドロレススペイン語版
身長 176cm
選手情報
ポジション DF
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1971-1979 サン・ロレンソ 247 (17)
1980-1983 インデペンディエンテ 127 (13)
1984-1988 アルヘンティノスJrs 148 (22)
代表歴
1976-1982 アルゼンチン 60 (0)
監督歴
1988 アルヘンティノスJrs
1995 福岡ブルックス
1996 アルヘンティノスJrs
1996-1997 デポルティーボ・サプリサ
1998 コロン
1998 アルマグロ
1999-2000 デポルティーボ・エスパニョール
2002-2003 サンタ・バルバラ
2003-2004 アラフエレンセ
ビジャ・ダルミネ
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ホルヘ・マリオ・オルギンJorge Mario Olguín, 1952年5月17日 - )はアルゼンチン出身の元同国代表サッカー選手、指導者。現役時代のポジションはディフェンダー、右サイドバック[1]。ロングパスで決定期を生み出すなど、ゲームメーカーの役割を担うこともあり、スマートなプレーぶりから、アルヘンティノスのチームメートからベッケンバウアーと呼ばれていた[2]

1978年、地元で開催されたアルゼンチンW杯に代表として全7試合に出場し、優勝に貢献した、1982 FIFAワールドカップにも出場した[1]。クラブでは1985年にはアルヘンティノスでリベルタドーレスカップ優勝に貢献した。

1995年当時JFL所属の福岡ブルックス(現アビスパ福岡)の監督に就任。チームをJリーグ昇格に導いたにもかかわらず、チームからは契約延長されず解任された。

タイトル

選手時代

CAサン・ロレンソ・デ・アルマグロ
  • メトロポリターノ・チャンピオンシップ:1回(1972)
  • ナシオナル・チャンピオンシップ:2回(1972、1974)
CAインデペンディエンテ
  • メトロポリターノ・チャンピオンシップ:1回(1983)
AAアルヘンティノス・ジュニアーズ
アルゼンチン代表

脚注

  1. ^ a b トヨタカップ 1985年 大会公式パンフレット p.16-17
  2. ^ トヨタカップ 1985年 大会公式パンフレット p.40-41

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