マリヤン・プシュニクとは? わかりやすく解説

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マリヤン・プシュニク

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/15 00:59 UTC 版)

マリヤン・プシュニク
オリンピア・リュブリャナ時代のプシュニク
名前
ラテン文字 Marijan Pušnik
基本情報
国籍 スロベニア
生年月日 (1960-11-01) 1960年11月1日(64歳)
出身地 スロヴェニ・グラデツ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1976-1977 NKフジナー
1977-1978 NKルダル・ヴェレニエ
1983-1990 NKドラボグラード英語版
1990-1991 FCシュワンバーグ
監督歴
1994-1996 NKドラボグラード
1996-1997 NKコロタン
1997-1998 SAKクラーゲンフルト
1998-1999 NKドラボグラード
2000-2004 ツェリェ
2004-2005 パスルガド・テヘラン
2006-2007 マリボル
2007-2010 ルダル・ヴェレニエ
2010 SCダマーシュ・ラシュト
2012 ツェリェ
2013-2014 アビスパ福岡
2015 オリンピア・リュブリャナ
2016 ハイドゥク・スプリト
2017 オリンピア・リュブリャナ
2017-2019 ルダル・ヴェレニエ
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

マリヤン・プシュニクスロベニア語: Marijan Pušnik, 1960年11月1日 - )は、スロベニア出身のプロサッカーのコーチ・監督。

来歴

スロベニアのNKドラボグラードなどで選手生活を送り、1991年に現役を引退。1994年より指導者として、NKマリボルNKルダル・ヴェレニエなどのクラブチームの監督を歴任し、CMCプブリクム・ツェリエやNKマルボルの監督時にはUEFAカップへ出場した。また、2002年にUEFAの「国際プロ・ライセンス」を取得している[1]

2012年12月14日アビスパ福岡の監督に就任した[1]。ファンサービスを手厚く実施したことでサポーター人気は高かったものの、守備・フィジカルトレーニングの軽視や自身の立案した戦術の盲信・固執、メディアの前での個人批判を繰り返したことで選手からの信頼を得られなかった。最終的に二年間指揮を執るが、両シーズンとも中盤から成績が急降下し2014年シーズンをもって退任。エル・ゴラッソ福岡担当の杉山文宣は、選手に冷淡な態度を取り続けたプシュニクと、誰ひとりとしてリーダーシップを取り選手間・首脳陣との対話を行おうとしなかった選手の双方に落ち度があったとした上で「プシュニク監督に率いられたこの2年間、福岡にプロフェッショナルは存在しなかった」とプシュニク体制を厳しく分析している[2]。福岡在籍時にプシュニクの下でプレーした野崎雅也は、ミーティングを行った際にプシュニクがミスをし、複数の選手がそれを嘲笑する出来事があったと振り返り、自身もそれに加担してしまったとプシュニクに受け取られてしまった結果出場機会を失ってしまったと分析している[3]

選手歴

指導歴

監督歴

成績

年度 クラブ 所属 リーグ戦 カップ戦
順位 勝点 試合 ナビスコ杯 天皇杯
2013 福岡 J2 14位 56 42 15 11 16 - 2回戦
2014 16位 50 42 13 11 18 - 2回戦
J2通算 - - 84 28 22 34 - -

脚注

  1. ^ a b c d e f マリヤン・プシュニク氏 監督就任のお知らせ”. アビスパ福岡公式サイト (2012年12月14日). 2012年12月23日閲覧。
  2. ^ エル・ゴラッソJ2リーグ総集編2014、p103
  3. ^ 選手人生を変えたレンタル先での“事件” 「標的に俺が」…監督の評価を急落させたミーティング”. FOOTBALL ZONE (2025年6月6日). 2025年6月6日閲覧。

関連項目

外部リンク




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