マリヤム・ウッザマーニー・ベーグムとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > マリヤム・ウッザマーニー・ベーグムの意味・解説 

マリヤム・ウッザマーニー・ベーグム

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/07/31 08:35 UTC 版)

Jump to navigation Jump to search
マリヤム・ウッザマーニー・ベーグム
مریم الزمانی بیگم صاحبہ
ムガル帝国后妃
マリヤム・ウッザマーニー・ベーグム
出生 1542年10月1日
アンベール
死去 1623年5月19日
アーグラ
配偶者 アクバル
子女 ジャハーンギール
ダーニヤール
ほか
父親 バール・マル
宗教 ヒンドゥー教
テンプレートを表示

マリヤム・ウッザマーニー・ベーグムウルドゥー語:مریم الزمانی بیگم صاحبہ, Maryam uz-Zamani Begum, 1542年10月1日 - 1623年5月19日)は、北インドムガル帝国の第3代皇帝アクバルの妃。同国第4代皇帝ジャハーンギールの母でもある。ハルカー・バーイー(Harka Bai)、ジョーダー・バーイー(Jodha Bai)、ヒール・クンワーリー(Heer Kunwari)とも呼ばれる。

生涯

マリヤム・ウッザマーニー廟

1542年10月1日アンベール王国の君主バール・マルの娘として生まれた。 兄弟にはバグワント・ダースがいる。

1562年、父バール・マルはムガル帝国の皇帝アクバルと同盟を結び、ハルカー・バーイーを盟約の証として皇帝に嫁がせた[1]。 同年2月6日、二人の結婚式はアンベール付近のサーンバルで執り行われた[2]

ハルカー・バーイーはムスリムと結婚したものの、ヒンドゥー教から改宗することはなかった。とはいえ、彼女はムスリム風の「マリヤム・ウッザマーニー」(時代のマリヤ)の称号を名乗った[3]

1569年8月31日、マリヤム・ウッザマーニーはファテープル・シークリーで、アクバルの皇子サリームを出産した[4][5]。これがのちの皇帝ジャハーンギールである。

1572年9月11日、マリヤム・ウッザマーニーは別の皇子ダーニヤールアジュメールで出産した[6]

1605年10月、アクバルが死亡したのちも、マリヤム・ウッザマーニーは皇太后としてジャハーンギールの治世を生きた。

1623年5月19日、マリヤム・ウッザマーニーはアーグラで死亡した[7]。死後、同年から1627年にかけて、マリヤム・ウッザマーニー廟がアクバル廟から1キロの地点に建設された。

脚注

  1. ^ チャンドラ『近代インドの歴史』、p.252
  2. ^ Delhi 4
  3. ^ Syed Firdaus Ashraf (2008年2月5日). “Did Jodhabai really exist?”. Rediff.com. 2008年2月15日閲覧。
  4. ^ Smith, Vincent Arthur (1919). Akbar the Great Mogul. Oxford, Clarendon Press. p. 102. ISBN 0895634716. 
  5. ^ Delhi 4
  6. ^ Delhi 4
  7. ^ Delhi 4

参考文献

  • サティーシュ・チャンドラ; 小名康之、長島弘訳 『中世インドの歴史』 山川出版社2001年 



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「マリヤム・ウッザマーニー・ベーグム」の関連用語

マリヤム・ウッザマーニー・ベーグムのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



マリヤム・ウッザマーニー・ベーグムのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのマリヤム・ウッザマーニー・ベーグム (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS