バグワント・ダースとは? わかりやすく解説

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バグワント・ダース

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/07/31 08:36 UTC 版)

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バグワント・ダース
Bhagwant Das
アンベール王
在位 1574年 - 1589年
別号 ラージャ
出生 不詳
アンベール
死去 1589年12月10日
ラホール
子女 マーン・シング
王朝 カチワーハー朝
父親 バール・マル
宗教 ヒンドゥー教
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バグワント・ダース(Bhagwant Das, 生年不明 - 1589年12月10日)は、北インドラージャスターン地方アンベール王国の君主(在位:1574年 - 1589年)。バグワーン・ダース(Bhagwan Das)とも呼ばれる。

生涯

アンベール王国の君主バール・マルの息子として、アンベールで誕生した[1][2]

1562年、父バール・マルはムガル帝国の皇帝アクバルに娘ハルカー・バーイーを嫁がせ、同盟関係を結んだ[3]。これにより、バグワント・ダースは帝国の宮廷に出仕することとなった。

1567年10月、アクバルはメーワール王国の首都チットールガルを包囲したが(チットールガル包囲戦)、これにはバグワント・ダースも作戦参謀として加わっている。

1574年1月、父王バール・マルが死亡したことにより、王位を継承した[4][5]

1585年、バグワント・ダースはカシュミール・スルターン朝の征服を命じられた[6]。これはカシュミールの君主ユースフ・シャーが皇帝アクバルとファテープル・シークリーで面会し敬意を伝えること、つまり服属を拒否したからであった[7]

だが、真冬にシュリーナガルに兵を進めたため、バグワント・ダースの軍は寒さと雪、それに食糧不足に襲われた。そのため、独立を認める代わりとして、サフラン、織物、貨幣などの貢物、アクバルの名でフトバ(説教)を唱えることを条件にユースフ・シャーの申し出を受け入れた[8]

しかし、アクバルはカシュミールを征服できなかったことに激怒し、まもなくカーシム・ハーンという武将を派遣し、1586年10月15日にシュリーナガルに入城し、この地を征服した[9]。だが、ユースフ・シャーの息子らが抵抗を続けたため[10]、バグワント・ダースはその後も帝国北西部にとどまった。

1589年12月10日、バグワント・ダースはラホールで死亡し、息子のマーン・シングが王位を継承した[11][12][13]

脚注

  1. ^ JAIPUR (Princely State) (17 gun salute)
  2. ^ Jaipur (Princely State)
  3. ^ チャンドラ『近代インドの歴史』、p.252
  4. ^ JAIPUR (Princely State) (17 gun salute)
  5. ^ Jaipur (Princely State)
  6. ^ クロー『ムガル帝国の興亡』、p.141
  7. ^ クロー『ムガル帝国の興亡』、p.141
  8. ^ クロー『ムガル帝国の興亡』、p.141
  9. ^ クロー『ムガル帝国の興亡』、p.141
  10. ^ クロー『ムガル帝国の興亡』、p.141
  11. ^ Cenotaphs Of Kachhawa Rulers
  12. ^ JAIPUR (Princely State) (17 gun salute)
  13. ^ Jaipur (Princely State)

参考文献

  • アンドレ・クロー; 杉村裕史訳 『ムガル帝国の興亡』 法政大学出版局、2001年 

関連項目




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