ホルヘ・ブルチャガとは? わかりやすく解説

ホルヘ・ブルチャガ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/14 02:47 UTC 版)

ホルヘ・ブルチャガ
1986 FIFAワールドカップ決勝でのブルチャガ (中央)
名前
本名 ホルヘ・ルイス・ブルチャガ
Jorge Luis Burruchaga
愛称 エル・ブル
ラテン文字 Jorge BURRUCHAGA
基本情報
国籍 アルゼンチン
生年月日 (1962-10-09) 1962年10月9日(62歳)
出身地 グアレグアイスペイン語版
身長 177cm
体重 75kg
選手情報
ポジション MF (OH) / FW
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1979-1981 アルセナル 49 (7)
1982-1985 インデペンディエンテ 146 (53)
1985-1992 ナント 140 (27)
1992-1993 ヴァランシエンヌ 32 (10)
1995-1998 インデペンディエンテ 89 (19)
通算 456 (116)
代表歴
1981 アルゼンチン U-20 2 (0)
1983-1990 アルゼンチン 57 (13)
監督歴
2002-2005 アルセナル
2005-2006 エストゥディアンテス
2006-2007 インデペンディエンテ
2008-2009 バンフィエルド
2009-2010 アルセナル
2011-2012 リベルタ
2012-2014 アトレティコ・デ・ラファエラ
2015-2016 アトレティコ・デ・ラファエラ
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ホルヘ・ルイス・ブルチャガ(Jorge Luis Burruchaga, 1962年10月9日 - )は、アルゼンチンエントレ・リオス州出身のサッカー選手、サッカー指導者。ニックネームはブル (Burru) 。メインのポジションはミッドフィールダーオフェンシブハーフ)だが、時にFWとしても起用された[1]。息子のロマン・ブルチャガはテニス選手、マウロ・ブルチャガはサッカー選手である[2]

ィンデペンディエンテでは、1984年のリベルタドーレス杯で2試合を通じての決勝ゴールを決め、優勝に貢献。1986年メキシコワールドカップでは1ゴール1アシストの活躍で[3]、アルゼンチンを優勝に導いた。

クラブ経歴

CAインデペンディエンテでは、1983年にアルゼンチンリーグ優勝、1984年コパ・リベルタドーレス1次リーグ、2次リーグで9試合5ゴールを決め[4]、決勝進出に大きな役割を果たすと、決勝のグレミオ戦で1stレグで決勝ゴールを決め[4]、これが1stレグ、2ndレグを通じて唯一のゴールとなり、優勝の原動力となった[5]、同年12月日本で開催されたインターコンチネンタルカップではリヴァプールを1-0で破り優勝を果たした。

1985年、1982年と1983年にもオファーを出した、フランスのFCナントに移籍[6]。移籍初年度はリーグ2位、UEFAカップでは準々決勝まで進出した[6]。1986年のワールドカップ後、マラドーナの所属するSSCナポリが獲得に動いたが、クラブ間合意に至らず移籍は成立しなかった[6]。1987年に膝に大怪我を負い、再起不能とまで言われたこともあった[6]。数度の膝の故障により、サンプドリアインテルへの移籍がそれぞれ破談となった[6]。その後、ナントのキャプテンを務め、1992年まで在籍した[6]

1992-93シーズンはヴァランシエンヌFCに移籍、リーグ戦で二桁ゴールを挙げる活躍をしていたが、八百長疑惑に巻き込まれ、2年間はクラブチームでの試合からの出場停止処分を受けた[7]

処分が明けてからは古巣インデペンディエンテに復帰、1996年の南米スーパーカップ制覇[8]や1995年のレコパカップの優勝に貢献し[9][10](1996年、神戸で開催されたグレミオ戦では試合には敗れたが、PKで1ゴールを決めている[4]。)、1998年のアルゼンチンリーグ前期リーグ、ベレス・サルスフィエルド戦を最後に引退した。

代表経歴

1983年から1990年にかけてアルゼンチン代表でプレーし、1983年のコパ・アメリカでは得点数は3ゴールながら[3]大会得点王になった。

1986年、メキシコワールドカップでは、グループリーグ最終戦のブルガリア戦でゴール[3]、準決勝のベルギー戦ではマラドーナの決勝ゴールをアシスト[3]、決勝戦の西ドイツ戦ではFKからブラウンの先制点をアシスト、さらに決勝点となる3点目のゴールを決めアルゼンチンに優勝をもたらした[11]

1990年、イタリアワールドカップでは、グループリーグ第2戦ソビエト連邦戦でゴールを決めるなど全7試合に出場[3]、決勝に進出したが、西ドイツに0-1と破れ準優勝に終わった。1994年のワールドカップアメリカ大会時、アルゼンチンサッカー協会が大会メンバーに招集すべく動いたが、フランスリーグでの八百長事件により、1996年度まで出場停止であるとFIFAが結論付けたため、メンバー入りが出来なかった[12]。代表では57試合に出場13ゴールを挙げた[13]

指導者経歴

現役引退後は指導者として国内クラブの監督を歴任している。2005年、レイナルド・メルロの後継としてエストゥディアンテス・デ・ラ・プラタの監督に就任した。

2006年にCAインデペンディエンテの監督に就任したが、2007年4月に更迭された。2008年にCAバンフィエルドの監督に就任したが、2009年3月に辞任した。

プレースタイルなど

ゴール前に突如出現してゴールを奪う感覚や、サッカーセンスの高さを武器に活躍した[1]。代表ではディエゴ・マラドーナとのプレーの相性がとてもよく、マラドーナは、自分の副官の様な存在であったとしている[14]

個人成績

クラブでの成績

クラブ リーグ カップ リーグ杯 国際大会 合計
シーズン クラブ リーグ 出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
アルゼンチン リーグ カップ リーグ杯 国際大会 合計
1980 アルセナル プリメーラB 15 1 15 1
1981 34 6 34 6
1982 インデペンディエンテ プリメーラ 52 17
1983 55 23
1984 29 10
1985 10 3
1985–86 0 0
フランス リーグ カップ リーグ杯 国際大会 合計
1985–86 ナント ディヴィジオン1 36 9
1986–87 30 6
1987–88 10 2
1988–89 6 2
1989–90 27 4
1990–91 3 0
1991–92 28 4
1992–93 ヴァランシエンヌ 32 10
アルゼンチン リーグ カップ リーグ杯 国際大会 合計
1994–95 インデペンディエンテ プリメーラ 11 1
1995–96 27 6
1996–97 31 9
1997–98 20 3
小計 アルゼンチン 284 79
フランス 140 37
合計 424 116

代表での成績

出典[15]


アルゼンチン代表 国際Aマッチ
出場 得点
1983 7 3
1984 12 2
1985 9 3
1986 10 2
1987 1 1
1988 0 0
1989 7 0
1990 11 2
通算 57 13

脚注

  1. ^ a b サッカーマガジン 1986/4 P.10-15
  2. ^ 息子のウィンブルドン出場に「苦しい」、父はW杯制した元アルゼンチン代表”. afpbb. 2020年11月25日閲覧。
  3. ^ a b c d e Jorge Burruchaga Nationalteam”. transfermarket.com. 2020年11月25日閲覧。
  4. ^ a b c Jorge Burruchaga all goals”. transfermarket.com. 2020年11月25日閲覧。
  5. ^ トヨタカップ 1984年 大会公式パンフレット インデペンディエンテ対リヴァプール P.42
  6. ^ a b c d e f FC Nantes. Les souvenirs de Jorge Burruchaga : « Suaudeau m’a donné envie d’entraîner »”. OUEST France (2023年4月9日). 2023年8月29日閲覧。
  7. ^ Adams, Tom (10 March 2011). “The shame of Marseille”. ESPN FC. 11 June 2015閲覧。
  8. ^ Bobrowsky, Josef (11 April 2001). “Supercopa Libertadores 1995 – Full Details”. RSSSF. 11 June 2015閲覧。
  9. ^ Un estigma que se reitera” (スペイン語). Lá Nación. 11 June 2015閲覧。
  10. ^ Garin, Erik (3 July 2003). “Recopa 1994”. RSSSF. 11 June 2015閲覧。
  11. ^ World Cup 2014: 100 great World Cup moments – 41 days to go”. BBC Sport (2 May 2014). 11 Apr 2017閲覧。
  12. ^ CONFIRMAN LA SANCIÓN A BURRUCHAGA” (スペイン語). EL Tiempo. 2022年2月23日閲覧。
  13. ^ Mamrud, Roberto (8 January 2015). “Argentina - Record International Players”. RSSSF. 11 June 2015閲覧。
  14. ^ マラドーナ独白 東洋館出版社 248ページから
  15. ^ Burruchaga, Jorge”. National-Football-Teams.com. 2017年3月1日閲覧。

外部リンク





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