ルイス・ガルシア・ポスティーゴ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/10 08:01 UTC 版)
|
||||||
---|---|---|---|---|---|---|
![]() |
||||||
名前 | ||||||
愛称 | el niño artillero | |||||
ラテン文字 | Luis García Postigo | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | ![]() |
|||||
生年月日 | 1969年6月1日(55歳) | |||||
出身地 | メキシコシティ | |||||
身長 | 170cm | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW | |||||
代表歴 | ||||||
1991-1999 | ![]() |
77 (29) | ||||
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ルイス・ガルシア・ポスティーゴ(Luis García Postigo、1969年6月1日 - )は、メキシコ・メキシコシティ出身の元メキシコ代表のサッカー選手。ポジションはFW。現役時代はストライカーやウィンガーとして活躍した。
来歴
UNAMプーマスのユースに属しており、1986-87シーズンに17歳でデビューした。1992年にはスペインへと渡り、アトレティコ・マドリードやレアル・ソシエダにも属した。その後はメキシコへと戻っていくつかのクラブを渡り、2001年に引退した。メキシコリーグでは通算158得点を記録し、1991年、1992年、1997年と3度得点王を獲得した。
メキシコ代表としては77試合に出場し、29得点を挙げた。2度のFIFAワールドカップなど多くの大会に招集され、1990年代のメキシコ代表にとって重要な選手であった。
引退後はメキシコのテレビ番組でコメンテーターをしていたが、晩年に所属したモナルカス・モレリアからオファーを受け、クラブのヴァイスプレジデントに就いた。その後は再びコメンテーターとしてテレビに出演した。
所属クラブ
UNAMプーマス 1985-1991
アトレティコ・マドリード 1992-1994
レアル・ソシエダ 1994-1995
クラブ・アメリカ 1995-1997
アトランテFC 1997
CDグアダラハラ 1998-2000
モナルカス・モレリア 2000
プエブラFC 2001
代表歴
出場大会
試合数
- 国際Aマッチ 77試合 29得点(1991年-1999年)[1]
メキシコ代表 | 国際Aマッチ | |
---|---|---|
年 | 出場 | 得点 |
1991 | 8 | 1 |
1992 | 5 | 3 |
1993 | 10 | 3 |
1994 | 7 | 4 |
1995 | 15 | 9 |
1996 | 13 | 6 |
1997 | 14 | 2 |
1998 | 4 | 1 |
1999 | 1 | 0 |
通算 | 77 | 29 |
出典
- ^ ルイス・ガルシア・ポスティーゴ - National-Football-Teams.com
外部リンク
- ルイス・ガルシア・ポスティーゴ - Olympedia
- ルイス・ガルシア・ポスティーゴ - Sports-Reference.com (Olympics) のアーカイブ
- ルイス・ガルシア・ポスティーゴ - National-Football-Teams.com
- ルイス・ガルシア・ポスティーゴ - Soccerway.com
- ルイス・ガルシア・ポスティーゴ - FootballDatabase.eu
- ルイス・ガルシア・ポスティーゴ - Transfermarkt.comによる選手データ
|
---|
固有名詞の分類
メキシコのサッカー選手 |
アルベルト・ガルシア・アスペ ジョバニ・ドス・サントス ルイス・ガルシア・ポスティーゴ ヘラルド・トラード ギジェルモ・フランコ |
- ルイス・ガルシア・ポスティーゴのページへのリンク