クアウテモク・ブランコとは? わかりやすく解説

クアウテモク・ブランコ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/13 03:02 UTC 版)

クアウテモク・ブランコ
名前
本名 クアウテモク・ブランコ・ブラボ
Cuauhtemoc Blanco Bravo
愛称 クアテ
ラテン文字 Cuauhtemoc Blanco
基本情報
国籍 メキシコ
生年月日 (1973-01-17) 1973年1月17日(52歳)
出身地 メキシコシティ
身長 177cm
体重 72kg
選手情報
ポジション FW
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1992-2007 クラブ・アメリカ 333 (125)
1997-1998 ネカクサ (loan) 28 (13)
2000-2002 バリャドリード (loan) 23 (3)
2004 ベラクルス (loan) 15 (5)
2007-2009 シカゴ・ファイアー 62 (16)
2008 サントス・ラグナ (loan) 4 (1)
2010 ベラクルス 14 (5)
2010-2011 イラプアト 47 (9)
2012-2013 ドラドス・デ・シナロア 40 (14)
2013-2014 BUAP 22 (6)
2014-2015 プエブラ 19 (3)
2016 クラブ・アメリカ 1 (0)
代表歴
1995-2010[1] メキシコ 119 (39)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

クアウテモク・ブランコ・ブラボCuauhtemoc Blanco Bravo, 1973年1月17日 - )は、メキシコメキシコシティ出身の元サッカー選手、政治家。現役時代のポジションはFW(セカンドトップ)。2018年現在、同国モレロス州知事。

アステカ最後の王のクアウテモックにちなんで名付けられた[要出典]

経歴

1992年にクラブ・アメリカでプロデビュー。1995年2月1日にはメキシコ代表デビューを果たす。1998年のワールドカップにも出場し、韓国戦ではカニばさみを披露した。ベルギー戦では得点を挙げ、メキシコ代表をベスト16に導く。

2000年、レアル・バリャドリードに移籍するが、膝の故障で長期に渡って戦線離脱。2002ワールドカップ予選で窮地に立たされたメキシコ代表だったが、終盤にブランコが復帰して母国を救った。2007年、MLSシカゴ・ファイアーに移籍した。2010ワールドカップ予選で、再び窮地に陥ったメキシコ代表だったが、またしても最終予選途中からブランコが復帰して母国を救った。

2015年4月21日、現役を引退し、6月7日に行われたモレーロス州クエルナバカ市の市長選挙に当選した[2]。2016年3月、現役に復帰し、最後の1試合をプレーした[3]。2018年7月にモレロス州知事選挙にて当選し、同年10月1日に就任[4]

代表歴

出場大会

試合数

  • 国際Aマッチ 121試合 39得点(1995年-2014年)[5]


メキシコ代表 国際Aマッチ
出場 得点
1995 1 0
1996 11 4
1997 15 4
1998 15 3
1999 18 8
2000 5 5
2001 4 5
2002 7 1
2003 2 0
2004 2 0
2005 4 0
2006 1 0
2007 11 4
2008 3 0
2009 7 3
2010 14 2
2011 0 0
2012 0 0
2013 0 0
2014 1 0
通算 121 39

出典

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