ADプルス・ウルトラ
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「レアル・マドリード・カスティージャ」の記事における「ADプルス・ウルトラ」の解説
レアル・マドリード・カスティージャの歴史は、1948年にアグルパシオン・デポルティーバ・プルス・ウルトラ, AD プルス・ウルトラ(Agrupación Deportiva Plus Ultra, AD Plus Ultra)というテルセーラ・ディビシオン所属の地元アマチュアチームが、レアル・マドリードの選手育成について合意したことから始まった。チームは元々1930年に創設され、チーム名をスペインの国家標語からとった。レアル・マドリードはADプルス・ウルトラに対し経済援助を行い、見返りにチームに在籍している最高の選手たちの第一先買権を得た。チームは1949年にセグンダ・ディビシオンに昇格し、1952年に正式にレアル・マドリードのBチームとなった。1954年、ADプルス・ウルトラはスペインU-19カップ決勝でエスパニョールを破り優勝。1959年にはコパ・デル・レイ準々決勝でグラナダCFに敗戦した。 1950年代、1960年代には、サラガ、マテオス、マルサル、カサード、ビジャ、ビダル、セレーナ、グロッソなどの未来のレアル・マドリードの選手たち、スペイン代表選手たちがADプルス・ウルトラでプレーしていた。またルイス・アラゴネスも短期間ながら在籍し、ミゲル・ムニョスはこのチームで監督のキャリアをスタートさせた。1972年、ADプルス・ウルトラと同名の保険会社が破産したため、チームはカスティージャCF(Castilla CF)と名称を変え、新しくレアル・マドリードのBチームとなった。
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