アンドレアス・ケプケとは? わかりやすく解説

アンドレアス・ケプケ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/18 02:25 UTC 版)

アンドレアス・ケプケ
名前
ラテン文字 Andreas Köpke
基本情報
国籍 ドイツ
生年月日 (1962-03-12) 1962年3月12日(62歳)
出身地 西ドイツキール
身長 182cm
選手情報
ポジション GK
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1979-1983 ホルシュタイン・キール 6 (0)
1983-1984 SCシャルロッテンブルク 38 (0)
1984-1986 ヘルタ・ベルリン 71 (0)
1986-1994 1.FCニュルンベルク 235 (2)
1994-1996 フランクフルト 66 (0)
1996-1998 オリンピック・マルセイユ 64 (0)
1998-2001 1.FCニュルンベルク 74 (0)
代表歴
1990-1998 ドイツ 59 (0)
監督歴
2004-2021 ドイツ代表(GKコーチ)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

アンドレアス・ケプケAndreas Köpke, 1962年3月12日 - )は、ドイツ出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。現役時代のポジションはゴールキーパー。元ドイツ代表

経歴

サッカー選手としては遅咲きの部類に入る選手で、1990年に28歳で初めて西ドイツ代表に招集され、同年のFIFAワールドカップ・イタリア大会、1994年のFIFAワールドカップ・アメリカ大会の代表に選出された。しかし当時は正GKの座にボド・イルクナーが存在し重用された為、出場機会を得る事が出来なかった。

1993年にドイツ年間最優秀選手賞を受賞すると、FIFAワールドカップ・アメリカ大会後に正GKの座を掴み、1996年のUEFA欧州選手権1996優勝に貢献。特に準決勝のイングランド戦ではPK戦でガレス・サウスゲートのシュートを阻止し、ドイツの決勝進出に大きな役割を果たした。この活躍により、同年のFIFA年間最優秀ゴールキーパー賞を受賞した。

1998年のFIFAワールドカップ・フランス大会にも出場したが、準々決勝でクロアチアに0-3で敗退。そしてこの大会を最後に代表から引退し、後進に道を開いた。

クラブレベルでは選手生活の大半を1.FCニュルンベルクで過ごし、1994年からはフランクフルト、1996年からはオリンピック・マルセイユへ移籍したが、晩年は再び1.FCニュルンベルクに戻り2001年に現役を引退した。

現役引退後もサッカー界と関わりを続け、2006年のFIFAワールドカップ・ドイツ大会ではニュルンベルク市の大使を務め、2004年から2021年までは、ドイツA代表のGKコーチを務めていた。

また息子のパスカル・ケプケもプロサッカー選手であり、U-20ドイツ代表にして2019年現在はブンデスリーガ・ヘルタ・ベルリンに所属している。

代表歴

出場大会

試合数

  • 国際Aマッチ 59試合 0得点(1990年-1998年)[1]


ドイツ代表 国際Aマッチ
出場 得点
1990 1 0
1991 0 0
1992 6 0
1993 6 0
1994 6 0
1995 10 0
1996 13 0
1997 6 0
1998 11 0
通算 59 0

個人タイトル

出典

  1. ^ アンドレアス・ケプケ - National-Football-Teams.com

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