ホルシュタイン・キールとは? わかりやすく解説

ホルシュタイン・キール

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/21 18:16 UTC 版)

ホルシュタイン・キール
原語表記 Kieler Sportvereinigung Holstein
愛称 Die Störche
クラブカラー 青と白
創設年 1900年
所属リーグ 2. ブンデスリーガ
所属ディビジョン 2部(2025-2026)
昨季リーグ順位 17位(2024-25
ホームタウン キール
ホームスタジアム
ホルシュタイン・シュタディオン
収容人数 15,034
代表者 シュテファン・シュニークロート
監督 マルセル・ラップ
公式サイト 公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

ホルシュタイン・キールHolstein Kiel)は、ドイツキールを本拠地とするサッカークラブ。総合スポーツクラブであり、サッカー以外でもハンドボール、テニス、チアリーディングなどの活動が行われている。

歴史

1900年に発足。ドイチェ・フースバルマイスターシャフトでは1910年に準優勝、1912年にはドイチャーマイスターの座を勝ち取っている。第二次世界大戦中の1943年にはベスト4に残り、3位決定戦でファースト・ヴィエナFC(当時はオーストリアもドイツ領)に勝利した。第二次世界大戦後はかつてのような成功を収めることができず、主に3部・4部リーグに在籍している。

国内カップ戦においては1941年の4強進出が最高。準決勝はシャルケ04に0対6で敗れた。その後、目立った成績はみられなかったが、2002年の1回戦では1部のヘルタ・ベルリンに勝利した。また、2011/2012シーズンDFB Pokalでは前年のブンデスリーガ王者のボルシア・ドルトムントに敗れた(0-4)ものの、準々決勝まで進出した。

2005年から2006年のシーズンにかけて、序盤より好調な成績を収めてブンデスリーガ2部への昇格を期待されたが、後半戦で急激に失速して4位に終わり、昇格は果たせなかった。

2014-15シーズンにはブンデスリーガ3部で3位となったが、2部16位の1860ミュンヘンとのプレーオフに敗れ、今回も2部昇格を果たせなかった。

2016-17シーズンで3部で2位となり、悲願だった2部昇格を果たした。

2017-18シーズンは昇格1年目ながら3位となり、1部16位のVfLヴォルフスブルクとの入れ替えプレーオフに挑んだが、2戦合計1-4で2年連続での昇格を逃し、初のブンデスリーガ1部昇格とはならなかった。

2020-21シーズンも2部で上位争いを繰り広げ、2021年1月にはDFBポカール2回戦でFCバイエルン・ミュンヘンをPK戦の末に下すというアップセットを起こした。リーグ戦は最終節にSpVggグロイター・フュルトに追い抜かれ3位転落。入れ替えプレーオフを闘うことになり、1.FCケルンに2戦合計2-6でまたしても1部昇格はならなかった。

5月11日、首位で迎えたホーム最終戦、勝点差5の3位フォルトゥナ・デュッセルドルフ戦で引き分け、ザンクトパウリに首位を奪われ2位転落とはなったものの、1試合を残してシーズン2位以上が確定、クラブ史上初のブンデスリーガ昇格を達成した[1][2][3]。最終節、アウェーでハノーファー96に2-1と勝利したものの、ザンクトパウリも勝利したため最終順位は2位となった。

2024-25シーズンは、ブンデスリーガ史上58クラブ目、シュレースヴィヒ=ホルシュタイン州のクラブとしては初参戦となり、かつハンザ・ロストックを超え、ドイツ国内最北のブンデスリーガクラブとなる[4]

タイトル

国内タイトル

国際タイトル

  • なし

過去の成績

シーズン リーグ戦 DFBポカール
ディビジョン 順位
2001–02 レギオナルリーガ 34 10 12 12 36 51 42 13位
2002–03 34 10 12 12 54 54 42 13位 2回戦敗退
2003–04 34 11 9 14 52 46 42 12位 1回戦敗退
2004–05 36 14 6 16 54 46 48 10位
2005–06 36 19 9 8 64 42 66 4位 1回戦敗退
2006–07 36 13 9 14 42 52 48 15位
2007–08 オーバーリーガ 34 20 9 5 73 28 69 1位 1回戦敗退
2008–09 レギオナルリーガ 34 21 10 3 54 22 73 1位 1回戦敗退
2009–10 ブンデスリーガ3部 38 9 11 18 43 61 38 19位
2010–11 レギオナルリーガ 34 15 10 9 65 36 55 6位
2011–12 34 24 3 7 73 31 75 2位 準々決勝敗退
2012–13 30 20 7 3 74 27 67 1位
2013–14 ブンデスリーガ3部 38 10 15 13 42 38 45 16位
2014–15 38 18 13 7 53 30 67 3位 1回戦敗退
2015–16 38 12 12 14 44 47 48 14位 1回戦敗退
2016–17 38 18 13 7 59 25 67 2位
2017–18 ブンデスリーガ2部 34 14 14 6 71 44 56 3位 2回戦敗退
2018-19 34 13 10 11 60 51 49 6位 ベスト16
2019-20 34 11 10 13 53 56 43 11位 2回戦敗退
2020-21 34 18 8 8 57 35 62 3位 準決勝敗退
2021-22 34 12 9 13 46 54 45 9位 2回戦敗退
2022-23 34 12 10 12 58 61 46 8位 1回戦敗退
2023-24 34 21 5 8 65 39 68 2位 2回戦敗退
2024-25 ブンデスリーガ 34 6 7 27 49 80 25 17位 2回戦敗退

現所属メンバー

2023-24シーズン ブンデス2部 開幕戦フォーメーション (3-4-1-2)

ビヒラー
# 9
シマカラ
# 11
ローテ
# 18
イベジッチ
# 6
サンダー
# 16
ステルナー
# 32
エラス
# 4
クライネ・ベケル
# 34
ヴァシリ
# 22
2025年4月30日現在[5]

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
1 GK ティモン・ヴァイナードイツ語版
3 DF マルコ・コメンダ英語版 ()
4 DF パトリック・エラス英語版
5 DF カール・ヨハンソン英語版
6 MF マルコ・イヴェズィク英語版
7 MF スティーヴン・スクリプスキ
8 MF フィン・ポラス英語版
9 FW ベネディクト・ピヒラー英語版
10 MF ルイス・ホルトビー
11 FW アレキサンデル・ベルンハルトソン英語版
13 DF イヴァン・ネキッチ英語版
14 DF マックス・ゲシュウィル英語版
15 MF マーヴィン・シュルツ英語版
16 MF アンドゥ・ケラティ英語版 ()
17 DF ティモ・ベッカー英語版
No. Pos. 選手名
18 FW 町野修斗
19 FW フィル・ハレス英語版
20 FW ヤン=フィーテ・アルプ
21 GK トーマス・デーネ
22 MF ニコライ・レンベルグ英語版
23 DF ラッセ・ロゼンブームドイツ語版
24 MF マグヌス・クヌッセン英語版
26 DF デイヴィッド・ゼッチ英語版
28 MF アウレル・ワグべ
31 GK マルセル・エンゲルハール英語版
33 DF ドミニク・ヤヴォルチェク英語版
34 DF コリン・クライネ・ベケル英語版
37 MF アルミン・ギゴヴィッチ ()
47 DF ジョン・トルキン

※括弧内の国旗はその他保有国籍、もしくは市民権、星印はEU圏外選手を示す。

ローン移籍

in

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
33 DF ドミニク・ヤヴォルチェク英語版 (MŠKジリナ)
out

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
-- DF ティモテウシュ・プハチ (プリマス・アーガイルFC)
-- DF ヨナス・ステルナー英語版 (ディナモ・ドレスデン)
No. Pos. 選手名
-- DF ニクラス・ニーホッフ (オスナブリュック)

歴代監督

歴代所属選手

GK

DF

MF

FW

脚注

外部リンク

座標: 北緯54度20分55秒 東経10度07分27秒 / 北緯54.34861度 東経10.12417度 / 54.34861; 10.12417


ホルシュタイン=キール(1261年 – 1290年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/15 08:50 UTC 版)

シャウエンブルクおよびホルシュタイン伯」の記事における「ホルシュタイン=キール(1261年1290年)」の解説

ゲルハルト1世ヨハン1世兄弟による共同統治後、1261年ホルシュタイン分割されヨハン1世キール領した肖像治世名前 1261年1263年 ヨハン1世 ヨハン1世印璽 1263年1316年および1263年1273年 1273年まで、ヨハン2世隻眼伯)とアドルフ5世ポンメルンの兄弟共同統治し、分割アドルフ5世はゼーゲベルクを領した

※この「ホルシュタイン=キール(1261年 – 1290年)」の解説は、「シャウエンブルクおよびホルシュタイン伯」の解説の一部です。
「ホルシュタイン=キール(1261年 – 1290年)」を含む「シャウエンブルクおよびホルシュタイン伯」の記事については、「シャウエンブルクおよびホルシュタイン伯」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「ホルシュタイン・キール」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ホルシュタイン・キール」の関連用語

ホルシュタイン・キールのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ホルシュタイン・キールのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのホルシュタイン・キール (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのシャウエンブルクおよびホルシュタイン伯 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS