VfLオスナブリュック
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/01 14:10 UTC 版)
VfLオスナブリュック | ||||
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原語表記 | Verein für Leibesübungen von 1899 e.V. Osnabrück | |||
愛称 | die Lila-Weißen (The Purple-Whites) | |||
クラブカラー | 紫 | |||
創設年 | 1899年 | |||
所属リーグ | ドイツ・ブンデスリーガ | |||
所属ディビジョン | 3部 | |||
ホームタウン | オスナブリュック | |||
ホームスタジアム | ブレーマー・ブリュッケ | |||
収容人数 | 15,741人 | |||
代表者 | ![]() |
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監督 | ![]() |
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公式サイト | 公式サイト | |||
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■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ |
VfLオスナブリュック(Verein für Leibesübungen von 1899 e.V. Osnabrück)は、ドイツ・ニーダーザクセン州のオスナブリュックを本拠地とするサッカークラブ。2024-25シーズンは3. リーガ所属。1933年に開場したシュタディオン・ブレーマー・ブリュッケを本拠地としている。
歴史
1899年に「FC1899オスナブリュック」の名称で設立され、1905年に同地区で活動していたオスナブリュッカーBVと合併。1924年にはライバルであったシュピール・ウント・シュポルト・オスナブリュック(SuS Osnabrück)を吸収合併し、現在のクラブ名である「VfLオスナブリュック」へと改名した。ところが翌年、クラブの内部分裂をきっかけにVfLから離脱する形で「SCラピード・オスナブリュック」という新クラブが発足。この新クラブはかつてのオスナブリュッカーBVのチームカラーであった「リラ=ヴァイセン(紫と白)」をユニフォームに採用した。分裂後のVfLとラピードはしばらく敵対関係にあったが、1938年に再合併。リラ=ヴァイセンのユニフォームは合併後のVfLに引き継がれ、1933年にラピードの本拠地としてオープンしたシュタディオン・ブレーマー・ブリュッケもVfLが引き継ぐこととなった。
1963年にスタートしたブンデスリーガの初年度の16チームにエントリーしたものの、前年(1962-63シーズン)のオーバーリーガノルトでの7位という順位の影響もあって落選。下位リーグであるレギオナルリーガ・ノルトに配属された。レギオナルリーガ・ノルトでは、1969年からリーグ3連覇を達成。72年と73年も2シーズン連続で2位という好成績を収め、5シーズン連続でブンデスリーガ昇格へのプレイオフ・ラウンドに進出するも、昇格は叶わなかった。1973-74シーズンはレギオナルリーガ・ノルト3位という成績で1974年に新たに発足したブンデスリーガ2部に編入となった。以降、1シーズンを除いて約20年間に渡り2部に在籍したが、1993年に下部リーグに降格した。2000年、2003年、2007年、2010年、2019年、2023年と度々ブンデスリーガ2部に昇格するも、いずれも1年ないし2年で降格している。
タイトル
国内タイトル
- 3. リーガ:2回
- 2009-10
- 2018-19
国際タイトル
- なし
過去の成績
シーズン | ディビジョン | DFBポカール | ||||||||
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リーグ | 試 | 勝 | 分 | 敗 | 得 | 失 | 点 | 順位 | ||
2007-08 | ブンデスリーガ2部 | 34 | 10 | 10 | 14 | 43 | 54 | 40 | 12位 | 1回戦敗退 |
2008-09 | ブンデスリーガ2部 | 34 | 8 | 12 | 14 | 41 | 60 | 36 | 16位 | 1回戦敗退 |
2009-10 | ブンデスリーガ3部 | 38 | 20 | 9 | 9 | 55 | 37 | 69 | 1位 | 準々決勝敗退 |
2010-11 | ブンデスリーガ2部 | 34 | 8 | 7 | 19 | 40 | 62 | 31 | 16位 | 1回戦敗退 |
2011-12 | ブンデスリーガ3部 | 38 | 14 | 13 | 11 | 46 | 35 | 55 | 7位 | 1回戦敗退 |
2012-13 | ブンデスリーガ3部 | 38 | 22 | 7 | 9 | 64 | 35 | 73 | 3位 | |
2013-14 | ブンデスリーガ3部 | 38 | 15 | 10 | 13 | 50 | 39 | 55 | 5位 | 2回戦敗退 |
2014-15 | ブンデスリーガ3部 | 38 | 14 | 10 | 14 | 49 | 51 | 52 | 11位 | |
2015-16 | ブンデスリーガ3部 | 38 | 14 | 14 | 10 | 46 | 41 | 56 | 5位 | 1回戦敗退 |
2016-17 | ブンデスリーガ3部 | 38 | 15 | 9 | 14 | 46 | 43 | 54 | 6位 | |
2017-18 | ブンデスリーガ3部 | 38 | 8 | 13 | 17 | 47 | 67 | 37 | 17位 | 2回戦敗退 |
2018-19 | ブンデスリーガ3部 | 38 | 22 | 10 | 6 | 56 | 31 | 76 | 1位 | |
2019-20 | ブンデスリーガ2部 | 34 | 9 | 13 | 12 | 46 | 48 | 40 | 13位 | 1回戦敗退 |
2020-21 | ブンデスリーガ2部 | 34 | 9 | 6 | 19 | 35 | 58 | 33 | 16位 | 2回戦敗退 |
2021-22 | ブンデスリーガ3部 | 36 | 16 | 10 | 10 | 56 | 48 | 58 | 6位 | 2回戦敗退 |
2022-23 | ブンデスリーガ3部 | 38 | 21 | 7 | 10 | 70 | 49 | 70 | 3位 | |
2023-24 | ブンデスリーガ2部 | 34 | 6 | 10 | 18 | 31 | 69 | 28 | 18位 | 1回戦敗退 |
歴代監督
ジョー・エノクス 2011, 2015-2017
マイク・ヴァルプルギス 2013-2015
ダニエル・ティウネ 2017-2020
マルコ・グローテ 2020-2021
マルクス・フェルトホフ 2021
ダニエル・シェルニング 2021-22
トビアス・シュヴァインシュタイガー 2022-23
ウーヴェ・コシナート 2023-2024
ピット・ライマース 2024-
歴代所属選手
パトリック・オウォモイエラ 2001-2002
ケヴィン・カンプル 2011-2012
アントニー・ジーレ 2015-2017
外部リンク
- 公式ウェブサイト
- VfLオスナブリュック (VfLOsnabrueck) - Facebook
- VfLオスナブリュック (@vfl_1899) - X(旧Twitter)
- VfLオスナブリュック (@vflosnabrueck) - Instagram
- VfLオスナブリュック - YouTubeチャンネル
VfLオスナブリュック
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 21:15 UTC 版)
「シュテフェン・ティゲス」の記事における「VfLオスナブリュック」の解説
2015年12月12日、VfLオスナブリュックでの3. リーガデビューを果たした。 FCエルツゲビルゲ・アウエ戦の76分0-0でマルコス・アルバレスに代わってフィールドに登場し90分までプレーした。 しかしながら、2015-16シーズンはその後も試合出場しているものの、ジョー・エノック監督のファーストチョイスはマルコス・アルバレスとハリル・サヴランの2トップだった。翌シーズンは主にU-19チームで起用され、ファーストチームでも実力を証明するチャンスは得続けたがゴールには絡めなかった。その後の2年間もアルバレス、マークハイダー、クワシ・オキア・ヴリードなどのライバルを乗り越えることは出来なかった。オスナブリュックではSowohl Enochsと彼の後継者ダニエル・スーンはが盤で起用されるなど若い選手は異なるポジションでも起用されており、5バックのディフェンスラインでも起用されている。また、移籍前の2017-18シーズン終盤、2度ほどゴールキーパーの兄レオンとフィールドに立った。 2019年春は3. リーガで左ウィングとしてプレーし2ゴールを挙げている。2019-20シーズンの第2ディビジョン昇格を前にクラブはティゲスとの契約を延長する意欲があったが、ティゲスは新しいクラブを探すこととした 。なお、2017年の夏学期には、デュッセルドルフのIST大学でスポーツビジネス管理の遠隔教育コースを受講している。
※この「VfLオスナブリュック」の解説は、「シュテフェン・ティゲス」の解説の一部です。
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固有名詞の分類
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