ホルシュタイン=ゴットルプ王朝による王党派
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スウェーデンでは、1751年にヘッセン家のフレドリク1世が死去した後、ホルシュタイン=ゴットルプ家のアドルフ・フレドリクが推戴されたものの、王権を著しく制約された。王妃ロヴィーサ・ウルリカは王党派と結びクーデターを謀ったが、陰謀は露見し、関係者は処罰された。 1772年、グスタフ3世は王党派の支持の下、近衛兵を用いてクーデターを起こした。グスタフ3世は王権の強化に成功し、絶対王政への道を開いた。グスタフ3世支持派は、主にブルジョワや農民からなり、貴族は少数派であった。彼は啓蒙主義的思想を持ち、貴族からの徴税も辞さなかったため、一部の貴族から恨みを買うこととなった。1789年にフランスで革命が起きると、グスタフ3世はこれに反発し、フランス王室に深い関わりを持つ貴族ハンス・アクセル・フォン・フェルセンを通じて反革命運動を起こしている。1790年にロシア帝国との戦争を終結させると、グスタフ3世はさらにこれを推し進め、フランス亡命貴族(エミグレ)と連携し、反革命十字軍の設立を目指した。一方でフェルセンは、オーストリアと通じてブルボン王家救出活動も行った(フェルセン個人の目的は王妃マリー・アントワネット救出にあった)。しかし、スウェーデンにおける反革命支持派は少数であり、1792年にグスタフ3世が暗殺されると、革命からは手を引くこととなった。 1809年、グスタフ4世アドルフがクーデターによって廃位された後、ホルシュタイン=ゴットルプ王家の断絶が決定的になると、一部の王党派はグスタフ4世の元王太子グスタフを王位に就けようと画策したが結局失敗し、ベルナドッテ家がスウェーデンの新王朝として今日まで存続することとなった。
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