ドイチェ・フースバルマイスターシャフト1942-1943とは? わかりやすく解説

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ドイチェ・フースバルマイスターシャフト1942-1943

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/26 06:56 UTC 版)

Deutsche Fußballmeisterschaft
シーズン 1942-1943
優勝 ドレスナーSCドイツ語版
(1回目)
試合数 31
ゴール数 144 (1試合平均4.65)
得点王 ヘアバート・ビンカートドイツ語版
エアンスト・カルヴィツキドイツ語版
(5点)
1941-1942
1943-1944

ドイチェ・フースバルマイスターシャフト 1942-1943 は、ドイツ国で開催された第36回目のサッカー全国大会である。ドレスナーSCドイツ語版が優勝し、1回目のドイチャー・フースバルマイスターの座に就いた[1][2][3]

概要

第二次世界大戦下における第四回目のドイチェ・マイスターシャフトは、戦争の影響・打撃がますますサッカー界を苦しめた。すでに燃料と交通手段の不足が本大会グループステージ廃止、遠征距離削減の為のガウリーガ分割等を引き起こしていた。さらに今季は、ますます頻度を増し激化する連合国軍のドイツ空爆によって、インフラストラクチャーは損害を受け、空襲警報で多数の試合が中止・延期された。

最上位のガウリーガ所属の選手でさえ徴兵されていき、深刻な選手不足に悩むクラブ同士の合併もしくは強制合併が増えた。戦時競技共同体ドイツ語版 と称されたこれらの合併クラブは、独立性を捨てる事によって選手の数をそろえ、試合に臨んだ。

この時期は軍隊系クラブが台頭した。ルフトヴァッフェン (空軍)、ヴェーアマハト (ドイツ国防軍)、ヘーレス (陸軍)、といった形容詞の付いたクラブである。彼らは民間クラブには困難な時代において、相対的に戦力・環境ともに恵まれていた。なにより、民間クラブ所属の有力選手を徴兵によって獲得できた[4]。ただしこれら軍隊系クラブは、所属部隊が突然移動する場合もあるので、これがパフォーマンスの波の激しさ、ひいてはシーズン途中離脱を招きかねない、というリスクも抱えていた[5]。                                                      

シーズン開始前、ガウリーガの構成単位となるスポーツ地域「シュポルトガウ」の区分にまたも変更があり、交通事情悪化に起因する遠征距離削減は、さらなる細分化をもたらした。

  • ガウリーガ・ニーダーザクセンドイツ語版ガウリーガ・ヴェーザー=エムスドイツ語版ガウリーガ・ズュートハノーファー=ブランシュヴァイクドイツ語版へ二分割された。

ガウリーガ・バイエルンドイツ語版もまた、北部と南部に二分割。DM出場枠は29まで拡大した。

ドイチャーマイスターはドレスデナーSC、初優勝である。3年前に準優勝を一回経験しチャマーポカールで2回優勝していたDSCは、決勝でダークホースのFVザールブリュッケンを3-0で撃破。1913年度のVfBライプツィヒ (1893)ドイツ語版以来、30年ぶりとなる中部勢のドイツ制覇だった。準優勝のザールブリュッケンは、昨季準優勝で前評判も高かったファースト・ヴィエナFCに勝った。だがそれ以上の驚きは、前回王者シャルケがベスト8で敗退したことだった。シャルケにとって、ここ12年間でワーストの成績である。そして、シャルケに勝ったホルシュタイン・キールは、次の準決勝でザールブリュッケンに敗れた。

出場クラブ[2]

クラブ 出場資格
VfBケーニヒスベルクドイツ語版 → ガウリーガ・オストプロイセン1942-1943優勝
LSVピュトニッツドイツ語版 → ガウリーガ・ポンメルン1942-1943優勝
ベルリナーSV92ドイツ語版 → ガウリーガ・ベルリン=ブランデンブルク1942-1943優勝
ゲルマニア・ケーニヒスヒュッテドイツ語版 → ガウリーガ・オーバーシュレージエン1942-1943優勝
LSVライネッケ・ブリークドイツ語版 → ガウリーガ・ニーダーシュレージエン1942-1943優勝
ドレスナーSCドイツ語版 → ガウリーガ・ザクセン1942-1943優勝
SVデッサオ05ドイツ語版 → ガウリーガ・ミッテ1942-1943優勝
SCヴィクトリア・ハンブルクドイツ語版 → ガウリーガ・ハンブルク1942-1943優勝
ヴィルヘルムスハーフェン05ドイツ語版 → ガウリーガ・ヴェーザー=エムス1942-1943優勝
アイントラハト・ブラウンシュヴァイク → ガウリーガ・ズュートハノファー=ブラウンシュヴァイク1942-1943優勝
FCシャルケ04 → ガウリーガ・ヴェストファーレン1942-1943優勝
ヴェストエンデ・ハムボルンドイツ語版 → ガウリーガ・ニーダーライン1942-1943優勝
SVヴィクトリア・ケルンドイツ語版 → ガウリーガ・ケルン=アーヘン1942-1943優勝
シュピールフェアアイン06カッセルドイツ語版 → ガウリーガ・クールヘッセン1942-1943優勝
TuSノイエンドルフ → ガウリーガ・モーゼルラント1942-1943優勝
キッカース・オッフェンバッハ → ガウリーガ・ヘッセン=ナッサオ1942-1943優勝
FVザールブリュッケン → ガウリーガ・ヴェストマルク1942-1943優勝
VfRマンハイムドイツ語版 → ガウリーガ・バーデン1942-1943優勝
FCミュールハオゼン93 → ガウリーガ・エルザス1942-1943優勝
VfBシュトゥットガルト → ガウリーガ・ヴュルテンブルク1942-1943優勝
1.FCニュルンベルク → ガウリーガ・ノルトバイエルン1942-1943優勝
TSV1860ミュンヘン → ガウリーガ・ズュートバイエルン1942-1943優勝
ミリテールSVブリュンドイツ語版 → ガウリーガ・ズデーテンラント1942-1943優勝
ファースト・ヴィエナFC1894 → ガウリーガ・ドナオ=アルペンラント1942-1943優勝
SVノイファールヴァッサードイツ語版 → ガウリーガ・ダンツィヒ=ヴェストプロイセン1942-1943優勝
BSGDWMポーゼンドイツ語版 → ガウリーガ・ヴァルテラント1942-1943優勝
SGオルドヌングスポリツァイ・ヴァルシャウドイツ語版 → ガウリーガ・ゲネラールガヴァメント1942-1943優勝
メクレンブルク/シュレースヴィヒ=ホルシュタイン予備予選の勝者

ガウリーガ・ヴュルテンベルク1942-1943では、VfBシュトゥットガルトとシュトゥットガルター・キッカースが同勝ち点・首位タイのまま終了。その後キッカースが優勝決定戦及びDM出場権を放棄したので、VfBの出場が決まった。 ガウルーガ・ゲネラールガヴァメント (ポーランド総督府)1942-1943優勝のLSVアドラー・デブリンドイツ語版も、出場を辞退した。

予備予選

ホルシュタイン・キール → ガウリーガ・シュレースヴィヒ=ホルシュタイン1942-1943優勝
TSGロストックドイツ語版 → ガウリーガ・メクレンブルク1942-1943優勝

予備予選

  • 開催日:1943年4月11日・18日
  • 会場:ホルシュタイン=シュターディオン、TSG-Platz am Damerower Weg (ロストック)
チーム #1 合計 チーム #2 第1戦 第2戦
ホルシュタイン・キール 5–1 TSGロストック 4–0 1–1

一回戦

チーム #1 スコア チーム #2
1943年5月2日[6]
ベルリナーSV92 2–2 LSVピュトニッツ
ドレスデナーSC 2–1 SVデッサオ05
アイントラハト・ブラウンシュヴァイク 5–1 SCヴィクトリア・ハンブルク
FVザールブリュッケン 5–1 FCミュールハウゼン
LSVライネッケ・ブリーク 4–3 ゲルマニア・ケーニヒスヒュッテ
FCシャルケ04 8–1 SV06カッセル
SGOヴァルシャフ 3–1 BSGDWMポーゼン
TSV1860ミュンヘン 3–0 VfBシュトゥットガルト
VfBケーニヒスベルク 3–1 SVノイファールヴァッサー
VfRマンハイム 3–1 1.FCニュルンベルク
ファースト・ヴィエナFC 5–2 MSVブリュン
SVヴィクトリア・ケルン 2–0 TuSノイエンドルフ

再試合

チーム #1 スコア チーム #2
1943年5月9日
ベルリナーSV92 2–0 LSVピュトニッツ

ラウンドオブ16

チーム #1 スコア チーム #2
1943年5月16日[7]
ドレスナーSC 4–0 アイントラハト・ブラウンシュヴァイク
FVザールブリュッケン 5–0 SVヴィクトリア・ケルン
ホルシュタイン・キール 2–0 ベルリナーSV92
FCシャルケ04 4–1 SpVggヴィルヘルムスハーフェン
TSV1860ミュンヘン 2–0 キッカース・オッフェンバッハ
VfBケーニヒスベルク 5–1 SGOヴァルシャフ
VfRマンハイム 8–1 ヴェストエンデ・ハムボルン
ファースト・ヴィエナFC 8–0 LSVライネッケ・ブリーク
  • VfBケーニヒスベルクは一回戦のSVノイファールヴァッサー戦で出場資格のない選手を試合に出していたことが発覚したため失格となり、ノイファールヴァッサーがケーニヒスベルクの代わりに準々決勝に進出した。

準々決勝

SVノイファールヴァッサー 0 – 4 ドレスデナーSC
クーグラー  25分26分
ホフマン  63分
シャッファー  70分
エアテルプラッツ, ダンツィヒ
観客数: 20,000
主審: Kahaun

ホルシュタイン・キール 4 – 1 FCシャルケ04
リンケン  9分45分
Möschel  31分
Hain  89分
ティブルスキー  45分 (pen.)
ホルシュタイン=シュタディオン, キール
観客数: 18,000
主審: Janssen

ファースト・ヴィエナFC 2 – 0 TSV1860ミュンヘン
ノアク  38分
デッカー  60分 (pen.)
観客数: 60,000
主審: Reinhardt

FVザールブリュッケン 3 – 2 VfRマンハイム
バルツァート  6分
Dorn  62分
Baier  76分
シュトリービンガー  25分27分 (pen.)
シュタディオン・キーゼルフメス, ザールブリュッケン
観客数: 25,000
主審: Vogt

準決勝

ドレスナーSC 3 – 1 ホルシュタイン・キール
シェーン  10分
クーグラー  46分
エアドル  88分
Boller  76分 (pen.)
ヒンデンブルク=カンプフバーン, ハノーファー
観客数: 28,000
主審: Schmetzer

FVザールブリュッケン 2 – 1 ファースト・ヴィエナFC
ビンカート  20分
ゾルト  75分
シュトリティヒ  81分

三位決定戦

ホルシュタイン・キール 4 – 1 ファースト・ヴィエナFC
Boller  26分48分
O・ヴァルター  73分
Möschel  74分
シュトリティヒ  27分
観客数: 30,000
主審: Schumann

決勝

ドレスデナーSC 3 – 0 FVザールブリュッケン
エアドル  55分
シューバート  62分
クーグラー  84分
レポート
観客数: 80,000人
主審: ヴィルヘルム・ラスペル (デュッセルドルフ)
ドレスナーSC
GK ヴィリバルト・クレースドイツ語版
DF ヘアバート・ペーヒャンドイツ語版
DF ハインツ・ヘンペルドイツ語版
MF ヘアバート・ポールドイツ語版
MF ヴァルター・ジューアドイツ語版
MF ヘルムート・シューバート (サッカー選手)ドイツ語版
FW [注 1] ハイナー・クーグラードイツ語版
FW [注 1] ハインリヒ・シャッファードイツ語版
FW リヒャート・ホフマン (サッカー選手)ドイツ語版
FW ヘルムート・シェーン
FW フランツ・エアドルドイツ語版
監督
ゲオーク・ケーラードイツ語版
FVザールブリュッケン
GK カール・ダーハイマードイツ語版
DF ハインリヒ・シュミット (サッカー選手)ドイツ語版
DF フーゴー・デッカー (サッカー選手)ドイツ語版
MF ヴィルヘルム・ゾルトドイツ語版
MF ハインツ・プリュックハーン
MF ヨーハン・ヘアベアガードイツ語版
FW ハインツ・クーアジーファードイツ語版
FW ヘアバート・ドーン (サッカー選手)ドイツ語版
FW ヘアバート・ビンカートドイツ語版
FW ヤーコプ・バルツァートドイツ語版
FW ヘアバート・バイアードイツ語版
監督
エアンスト・ゲオークドイツ語版

互いに初優勝を狙うクラブ同士の決勝戦は、ドレスデナーSCが3-0でSVザールブリュッケンを下した[8]。前半はオープンな打ち合いとなり、後半に入るとドレスデナーの一方的展開とであった。52分には、昨季準優勝のファースト・ヴィエナFCから獲得したFWフランツ・エアドルが均衡を破り、60分には中盤から前線に進出したMFヴァルター・ジュールが追加点、そして84分にはハイナー・クーグラーが決めて3-0となり、勝負あった。

初めてドイチャーマイスターとなったドレスナーSCだが、彼らは元々中部地域で安定した成績を収め、全国常連の強豪であったし、現実的目標としてドイツ王座を狙っていた[9]ドイツ代表選手も継続的に輩出してきたのだから、DM初優勝は必然だった。また、決勝戦を裁いたデュッセルドルフの主審ヴィルヘルム・ラスペルの仕事ぶりも高く評価された[10]

脚注

注釈

  1. ^ a b ベーメン・メーレン保護領の選手。

出典

  1. ^ Dinant Abbink (27 Apr 2023). “Germany - Championships 1902-1945” (英語). RSSSF. 2025年2月5日閲覧。
  2. ^ a b Germany 1942/43” (英語). RSSSF. 2025年2月5日閲覧。
  3. ^ Deutsche Meisterschaft 1942/1943 » Finale” (ドイツ語). weltfussbal.de. 2025年2月5日閲覧。
  4. ^ リヒテンベルガー/秋吉 2005, 148頁
  5. ^ リヒテンベルガー/秋吉 2005, 148-149頁
  6. ^ German championship 1943 – First round (ドイツ語) Weltfussball.de, accessed: 26 December 2015
  7. ^ German championship 1943 – Round of sixteen (ドイツ語) Weltfussball.de, accessed: 26 December 2015
  8. ^ リヒテンベルガー/秋吉 2005, 150頁
  9. ^ リヒテンベルガー/秋吉 2005, 138頁
  10. ^ DSC. Deutscher Fußballmeister” (ドイツ語). Das Kleine Blatt (ANNO – AustriaN Newspapers Online) (1943年6月28日). 2025年2月5日閲覧。

参考文献

  • ウルリッヒ・ヘッセ・リヒテンベルガー 秋吉香代子訳 (2005). ブンデスリーガ ドイツサッカーの軌跡. バジリコ株式会社. ISBN 4-901784-92-7 

外部リンク




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