ガウリーガとは? わかりやすく解説

ガウリーガ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/24 23:50 UTC 版)

ガウリーガ
創立 1933年[1]
リーグレベル 第1部
下位リーグ ベツィルクスクラッセ
最多優勝クラブ FCシャルケ04 (11回)[1]

ガウリーガ (Gauliga)とは、国民社会主義ドイツ労働者党政権時代のドイツ国大管区で開催されていた最上位サッカーリーグである[1]。1940年以降、敵性言語排除の目的から「シュポルトベライヒスクラッセ」 (Sportbereichsklasse) に改名された[2]。ドイツサッカー史上初めて、名称・大会形式等が統一された最上位リーグであり、既存の様々な地方大会はガウリーガに取って代わられ、地方サッカー協会と共に廃止された。下部リーグはフースバル・ベツィルクスクラッセ (1933-1945)ドイツ語版

歴史

ガウ (ドイツ語)ドイツ語版は、サッカーリーグの開催地域を示す名称としては、特に中部ドイツ球技協会ドイツ語版の統括地域において、数多く使用された。ナチス政権発足後、大管区に「シュポルトガウ」が設けられ、その最上位サッカーリーグ・ハンドボールリーグが「ガウリーガ」と名付けられた。 1939-1940シーズンの途中から、ガウリーガ・ノルトマルクを皮切りに「シュポルトベライヒスクラッセ」 (スポーツ地域階級) という名称に置き換えられ[2]、翌シーズンには正式名称となった。その背景事情として、1938年に国民社会主義体育連盟ドイツ語版がNSDAP直属組織となった事実があり、それ以降はナチ党の大管区とスポーツ地域は、必ずしも一致させる必要は無くなった。

ヴァイマル共和制時代末期の1931-1932シーズン、ドイツには55もの地域最上位リーグ戦が存在し、ベツィルクスリーガ、ガウリーガなどと名乗っていた[3]。1932年1月、ドイツサッカー協会会長フェリックス・リンネマンドイツ語版は、国内最高レベルのクラブだけを集め、ドイチャーマイスターの王座を争う全国リーグ、「ライヒスリーガ」創設構想を発表した。1932年10月16日のDFB総会ドイツ語版で、全国リーグの骨子となる計画が提示され、基本的合意が得られた。そして1933年初頭には具体的なリーグ規約も制定される、というところまで話が進んでいたのだが、しかしNSDAPの政権掌握により、それ以上は進展しなかった[4]

1933-1934シーズンは、全国一律の大会形式で行われる最上位サッカーリーグ、ガウリーガが発足し、そしてドイチェ・マイスターシャフト (DM) も1933-1934年度大会以降、大きく様変わりした)[1]

リーグ構成

各ガウリーガを制した優勝クラブ「ガウリーガマイスター」だけが、DM本大会出場権を獲得できる)[1]。ガウリーガは、ドイツ帝国・ヴァイマル共和制時代の地方大会よりも単純かつコンパクトで、より早くすべての出場クラブを決定できた。そのぶんDM本大会の規模が大きくなり、ホーム・アンド・アウェー方式・4組編成のグループステージを導入して[1]、試合数を増やすことが可能となった。そこから先はグループ1位同士による中立地一試合制トーナメントだが[1]、さらに1936年からは三位決定戦も追加されている。しかし第二次世界大戦後期には、ガウの飽和と経済的理由から完全ノックアウト方式となった[5]

以下は発足時のガウリーガである。カッコ内の数字は大管区内のサッカークラブの数 (1933年/1937年)[6]

1933年の大管区とガウリーガ
  1. ガウリーガ・オストプロイセンドイツ語版 (200/250), 2グループ編成
  2. ガウリーガ・ポンメルンドイツ語版 (400/426), 2グループ編成
  3. ガウリーガ・ベルリン=ブランデンブルクドイツ語版 (700/699)
  4. ガウリーガ・シュレージエンドイツ語版 (450/464)
  5. ガウリーガ・ザクセンドイツ語版 (700/602)
  6. ガウリーガ・ミッテドイツ語版 (950/985)
  7. ガウリーガ・ノルトマルクドイツ語版 (350/372)
  8. ガウリーガ・ニーダーザクセンドイツ語版 (750/829)
  9. ガウリーガ・ヴェストファーレンドイツ語版 (850/884)
  10. ガウリーガ・ニーダーラインドイツ語版 (850/851)
  11. ガウリーガ・ミッテルラインドイツ語版 (600/646)
  12. ガウリーガ・ヘッセンドイツ語版 (600/610)
  13. ガウリーガ・ズュートヴェストドイツ語版 (750/766)
  14. ガウリーガ・バーデンドイツ語版 (550/562)
  15. ガウリーガ・ヴュルテンベルクドイツ語版 (600/543)
  16. ガウリーガ・バイエルンドイツ語版 (950/1025)

1938年にドイツが併合したオーストリアズデーテンラントも大管区となり、ガウリーガが設置された[1]

第二次世界大戦でドイツが占領・併合した地域にも、それぞれガウリーガが作られた[1]


戦争の長期化に伴って長距離の遠征は難しくなっていった。燃料は配給制となり、鉄道将兵強制収容所囚人輸送に優先的に使われていた、などの理由からである[7]。アウェーチームの移動距離を減らすため、大きなガウが細かく分割されていった。

  • シュレージエン→ ガウリーガ・ニーダーシュレージエンドイツ語版 (21.)、 ガウリーガ・オーバーシュレージエンドイツ語版 (23.)
  • ノルトマルク→ ガウリーガ・ハンブルクドイツ語版ガウリーガ・シュレースヴィヒ=ホルシュタインドイツ語版ガウリーガ・メクレンブルクドイツ語版
  • ニーダーザクセン→ ガウリーガ・ヴェーザー=エムスドイツ語版ガウリーガ・ズュートハノーファー=ブランシュヴァイクドイツ語版ガウリーガ・オストハノーファードイツ語版
  • ミッテルライン→ ガウリーガ・ケルン=アーヘンドイツ語版ガウリーガ・モーゼルラントドイツ語版 (占領中のルクセンブルクを含む)
  • ヘッセンとズュートヴェスト→ ガウリーガ・クーアヘッセンドイツ語版ガウリーガ・ヘッセン=ナッサウドイツ語版ガウリーガ・ヴェストマルクドイツ語版 (ロートリンゲン民政地区首府ドイツ語版)
  • バイエルン→ ガウリーガ・ノルトバイエルンドイツ語版ガウリーガ・ズュートバイエルンドイツ語版

このほかにも細分化されたガウが多くあったが、それらのガウリーガではDM本大会の自動出場枠がなく、ガウ同士でのプレーオフが義務付けられた。1942年にはDM出場枠が31にまで増加し、上記のごとく戦時下の経済的困難もあって、グループステージを廃止してトーナメント方式に戻さざるを得なかった[5]。その組み合わせは抽選でなく、ホームタウンが近い者同士が組まされた。

ガウリーガ時代のDM決勝

シーズン 優勝 準優勝 結果 決勝開催日 開催地 スタジアム
1934 FCシャルケ04 1.FCニュルンベルク 2:1 1934年6月24日 ベルリン ポストシュタディオン
1935 FCシャルケ04 VfBシュトゥットガルト 6:4 1935年6月23日 ケルン ミュンガースドルファー・シュタディオン
1936 1.FCニュルンベルク フォルトゥナ・デュッセルドルフ 2:1 延長 1936年6月21日 ベルリン ポストシュタディオン
1937 FCシャルケ04 1.FCニュルンベルク 2:0 1937年6月20日 ベルリン オリンピアシュタディオン・ベルリン
1938 ハノーファー96 FCシャルケ04 3:3 延長
4:3 延長
1938年6月26日
1938年7月3日
ベルリン
ベルリン
オリンピアシュタディオン
オリンピアシュタディオン
1939 FCシャルケ04 SKアドミラ・ヴィーンドイツ語版 9:0 1939年6月18日 ベルリン オリンピアシュタディオン
1940 FCシャルケ04 ドレスデナーSCドイツ語版 1:0 1940年7月21日 ベルリン オリンピアシュタディオン
1941 SKラピート・ヴィーン FCシャルケ04 4:3 1941年6月22日 ベルリン オリンピアシュタディオン
1942 FCシャルケ04 ファースト・ヴィエナFC1894 2:0 1942年7月5日 ベルリン オリンピアシュタディオン
1943 ドレスデナーSCドイツ語版 FVザールブリュッケン 3:0 1943年6月27日 ベルリン オリンピアシュタディオン
1944 ドレスデナーSCドイツ語版 LSVハンブルクドイツ語版 4:0 1944年6月18日 ベルリン オリンピアシュタディオン
1945 中止

優勝クラブ

ガウリーガ 1933/34 1934/35 1935/36 1936/37 1937/38 1938/39 1939/40 1940/41 1941/42 1942/43 1943/44 1944/45
オストプロイセン プロイセン・ダンツィヒドイツ語版 ヨルク・ボイエン・インステルブルクドイツ語版 SVヒンデンブルク・アレンシュタインドイツ語版 SVヒンデンブルク・アレンシュタイン ヨルク・ボイエン・インステルブルク SVヒンデンブルク・アレンシュタイン VfBケーニヒスベルクドイツ語版 VfBケーニヒスベルク VfBケーニヒスベルク VfBケーニヒスベルク VfBケーニヒスベルク 途中打ち切り
ポンメルン ヴィクトリア・シュトルプドイツ語版 シュテッティナーSCドイツ語版 ヴィクトリア・シュトルプ ヴィクトリア・シュトルプ シュテッティナーSC ヴィクトリア・シュトルプ VfLシュテッティンドイツ語版 LSVシュテッティンドイツ語版 LSVピュトニッツドイツ語版 LSVピュトニッツ HSVグロース・ボルンドイツ語版 途中打ち切り
ベルリン=ブランデンブルク BFCヴィクトリア1889ドイツ語版 ヘルタBSC ベルリナーSV1892ドイツ語版 ベルリナーSV1892 ブラウ=ヴァイス90ベルリンドイツ語版 SCウニオン・オーバーシェーネバイデ テニス・ボルシア・ベルリン ブラウ=ヴァイス90ベルリン ベルリナーSV1892 ヘルタBSC 途中打ち切り
シュレージエン ボイテナーSuSV09ドイツ語版 フォアヴェルツRaSpoグライヴィッツドイツ語版 フォアヴェルツRaSpoグライヴィッツ ボイテナーSuSV09 フォアヴェルツRaSpoグライヴィッツ フォアヴェルツRaSpoグライヴィッツ フォアヴェルツRaSpoグライヴィッツ フォアヴェルツRaSpoグライヴィッツ
ニーダーシュレージエン ブレスラウアーSpVgg02ドイツ語版 LSVライネッケ・ブリークドイツ語版 STCヒルシュベルクドイツ語版 途中打ち切り
オーバーシュレージエン ゲルマニア・ケーニヒスヒュッテドイツ語版 ゲルマニア・ケーニヒスヒュッテ ゲルマニア・ケーニヒスヒュッテ 途中打ち切り
ザクセン ドレスデナーSCドイツ語版 PSVケムニッツドイツ語版 PSVケムニッツ BCハルタドイツ語版 BCハルタ ドレスデナーSC ドレスデナーSC ドレスデナーSC プラニッツァーSCドイツ語版 ドレスデナーSC ドレスデナーSC 途中打ち切り
ミッテ FCヴァッカー・ハレドイツ語版 1. SVイエナ 1. SVイエナ SVデッサウ05ドイツ語版 SVデッサウ05 SVデッサウ05 1. SVイエナ 1. SVイエナ SVデッサウ05 SVデッサウ05 SVデッサウ05 途中打ち切り
ノルトマルク アイムスビュッテラーTVドイツ語版 アイムスビュッテラーTV アイムスビュッテラーTV ハンブルガーSV ハンブルガーSV ハンブルガーSV アイムスビュッテラーTV ハンブルガーSV アイムスビュッテラーTV
ハンブルク SCヴィクトリア・ハンブルクドイツ語版 LSVハンブルクドイツ語版 ハンブルガーSV
メクレンブルク TSGロストックドイツ語版 LSVレリクドイツ語版 途中打ち切り
シュレースヴィヒ=ホルシュタイン ホルシュタイン・キール ホルシュタイン・キール abgebrochen
ニーダーザクセン ヴェルダー・ブレーメン ハノーファー96 ヴェルダー・ブレーメン ヴェルダー・ブレーメン ハノーファー96 VfLオスナブリュック VfLオスナブリュック ハノーファー96 ヴェルダー・ブレーメン
ヴェーザー=エムス SpVggヴィルヘルムスハーフェンドイツ語版 SpVggヴィルヘルムスハーフェン 途中打ち切り
ズュートハノーファー=ブランシュヴァイク アイントラハト・ブランシュヴァイク アイントラハト・ブランシュヴァイク 途中打ち切り
オストハノーファー WSVネーベルトルッペ・ツェレドイツ語版 途中打ち切り
ヴェストファーレン FCシャルケ04 FCシャルケ04 FCシャルケ04 FCシャルケ04 FCシャルケ04 FCシャルケ04 FCシャルケ04 FCシャルケ04 FCシャルケ04 FCシャルケ04 FCシャルケ04 途中打ち切り
ニーダーライン VfLベンラートドイツ語版 VfLベンラート フォルトゥナ・デュッセルドルフ フォルトゥナ・デュッセルドルフ フォルトゥナ・デュッセルドルフ フォルトゥナ・デュッセルドルフ フォルトゥナ・デュッセルドルフ TuSヘレネ・アルテンエッセンドイツ語版 ハムボルン07ドイツ語版 ヴェストエンデ・ハムボルンドイツ語版 戦時競技共同体ドイツ語版 デュイスブルガーSpVドイツ語版/TuSデュイスブルク48/99ドイツ語版 途中打ち切り
ミッテルライン ミュールハイマーSV06ドイツ語版 VfRケルン04rrh.ドイツ語版 ケルナーCfRドイツ語版 VfRケルン04rrh. SVボイエル06ドイツ語版 SpVggシュルツ ミュールハイマーSV06 VfLケルン1899ドイツ語版
ケルン=アーヘン VfLケルン1899ドイツ語版 SVヴィクトリア・ケルンドイツ語版 戦時競技共同体ドイツ語版 1. FSVケルン1899ドイツ語版/SpVggシュルツ 途中打ち切り
モーゼルラント FVシュタット・デューデリンゲン Tusノイエンドルフ TuSノイエンドルフ 途中打ち切り
ヘッセン ボルシア・フルダドイツ語版 FCハナウ93ドイツ語版 FCハナウ93 シュピールフェアアイン06カッセルドイツ語版 FCハナウ93 CSC03カッセルドイツ語版 CSC03カッセル ボルシア・フルダドイツ語版
クーアヘッセン ライヒスバーンSGボルシア・フルダドイツ語版 シュピールフェアアイン06カッセルドイツ語版 ライヒスバーンSGボルシア・フルダ 途中打ち切り
ヘッセン=ナッサウ キッカーズ・オッフェンバッハ キッカーズ・オッフェンバッハ キッカーズ・オッフェンバッハ 途中打ち切り
ズュートヴェスト キッカーズ・オッフェンバッハ FCフェニックス・ルートヴィヒスハーフェンドイツ語版 ヴォルマティア・ヴォルムス ヴォルマティア・ヴォルムス アイントラハト・フランクフルト ヴォルマティア・ヴォルムス キッカーズ・オッフェンバッハ キッカーズ・オッフェンバッハ
ヴェストマルク 1.FCカイザースラウテルン FVザールブリュッケン KSGザールブリュッケン 途中打ち切り
バーデン SVヴァルトホフ・マンハイム VfRマンハイムドイツ語版 SVヴァルトホフ・マンハイム SVヴァルトホフ・マンハイム VfRマンハイム VfRマンハイム SVヴァルトホフ・マンハイム VfLネッカーアウドイツ語版 SVヴァルトホフ・マンハイム VfRマンハイム VfRマンハイム SVヴァルトホフ・マンハイム
ヴュルテンベルク ウニオン・ベッキンゲンドイツ語版 VfBシュトゥットガルト シュトゥットガルター・キッカーズ VfBシュトゥットガルト VfBシュトゥットガルト シュトゥットガルター・キッカーズ シュトゥットガルター・キッカーズ シュトゥットガルター・キッカーズ シュトゥットガルター・キッカーズ VfBシュトゥットガルト ゲッピンガーSVドイツ語版 途中打ち切り
バイエルン 1.FCニュルンベルク SpVggフュルト 1. FCニュルンベルク 1. FCニュルンベルク 1. FCニュルンベルク 1.FCシュヴァインフルト05ドイツ語版 1. FCニュルンベルク TSV1860ミュンヘン 1. FCシュヴァインフルト05
ノルトバイエルン 1.FCニュルンベルク 1. FCニュルンベルク 途中打ち切り
ズュートバイエルン TSV1860ミュンヘン FCバイエルン・ミュンヘン 途中打ち切り
オストマルク SKアドミラ・ヴィーンドイツ語版 SKラピート・ヴィーン SKラピート・ヴィーン ファースト・ヴィエナFC ファースト・ヴィエナFC ファースト・ヴィエナFC 途中打ち切り
ズデーテンラント ヴァルンスドルファーFKドイツ語版 NSTGグラスリッツドイツ語版 NSTGプラークドイツ語版 LSVオルミュッツドイツ語版 MSVブリュンドイツ語版 NSTGブリュックスドイツ語版 途中打ち切り
エルザス FCミュールハウゼン SGSSシュトラースブルクドイツ語版 FCミュールハウゼン FCミュールハオゼン 途中打ち切り
ダンツィヒ=ヴェストプロイセン プロイセン・ダンツィヒドイツ語版 HUSマリエンヴェルダードイツ語版 SGノイファーヴァッサードイツ語版 LSVダンツィヒドイツ語版 途中打ち切り
ヴァルテラント LSVポーゼンドイツ語版 SGOrPoリッツマンシュタットドイツ語版 BSGDWMポーゼンドイツ語版 BSGSDWポーゼン 途中打ち切り
ゲネラルガヴァメント LSVベールケ・クラカウドイツ語版 LSVアドラー・デブリンドイツ語版 LSVメルダース・クラカウドイツ語版 途中打ち切り
ベーメン=メーレン MSVブリュンドイツ語版 途中打ち切り

関連項目

脚注

注釈

出典

  1. ^ a b c d e f g h i リヒテンベルガー/秋吉 2005, 100頁
  2. ^ a b リヒテンベルガー/秋吉 2005, 139頁
  3. ^ Dinant Abbink: Germany – Championships 1902–1945. auf der Website von The Rec.Sport.Soccer Statistics Foundation. 17. Januar 2008.
  4. ^ リヒテンベルガー/秋吉 2005, 頁
  5. ^ a b リヒテンベルガー/秋吉 2005, 100-101頁
  6. ^ Andreas Ebner (2016). Als der Krieg den Fußball fraß: Die Geschichte der Gauliga Baden 1933-1945.. Verlag Regionalkultur. p. 128. ISBN 978-3-89735-879-9 
  7. ^ リヒテンベルガー/秋吉 2005, 148頁

参考文献

  • ウルリッヒ・ヘッセ・リヒテンベルガー 秋吉香代子訳 (2005). ブンデスリーガ ドイツサッカーの軌跡. バジリコ株式会社. ISBN 4-901784-92-7 

外部リンク


ガウリーガ

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ルールダービー」の記事における「ガウリーガ」の解説

1936年にガウリーガが発足すると、ドルトムントシャルケ04対すライバル意識はいっそう高まったシャルケ04はこの時代ドイツ盟主であり、8年間に4度国内リーグ優勝1度国内カップ優勝果たしている。16回のダービーが行われ、シャルケ0414勝1分1敗とドルトムント圧倒したが、1943年11月14日ドルトムントダービー勝利を飾っている。戦時中行われたウェストファリア・チャンピオンシップでドルトムントシャルケ043-2勝利しシャルケ04がこの地域盟主であった時代終わりを告げた

※この「ガウリーガ」の解説は、「ルールダービー」の解説の一部です。
「ガウリーガ」を含む「ルールダービー」の記事については、「ルールダービー」の概要を参照ください。

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