ドイチェ・フースバルマイスターシャフト1938-1939とは? わかりやすく解説

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ドイチェ・フースバルマイスターシャフト1938-1939

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/24 23:42 UTC 版)

Deutsche Fußballmeisterschaft
シーズン 1938-1939
優勝 FCシャルケ04
(4回目)
試合数 55
ゴール数 213 (1試合平均3.87)
得点王 エアンスト・カルヴィツキドイツ語版
(11点)
1937-1938
1939-1940 →

ドイチェ・フースバルマイスターシャフト 1938-1939ドイツサッカー協会によって開催された第32回目のクラブチーム全国大会である。FCシャルケ04が優勝し、通算4回目のドイチャー・フースバルマイスターの座に就いた[1][2][3]

概要

第二次世界大戦前最後のドイチェ・マイスターシャフトである。1938年に入って、ドイツはかねてから要求していた領土の獲得を立て続けに実現した。3月にはオーストリアを併合、9月にはミュンヘン会談で英仏の承認を得てチェコスロバキアズデーテン地方も併合。そして、一連の領土拡張は国内サッカーにも影響を与えた。

両地域は第17・18番目の大管区 (ガウ)の地位を与えられ、ガウリーガ・オストマルク [注 1]とガウリーガ・ズデーテンラントが新たに設置された。既存のガウリーガと同じくDM出場は優勝クラブだけであり、全国大会出場クラブ数は16から18へと拡大された。また、プロパガンダ的に「グロースドイチェ・マイスターシャフト」という呼称も使われた [注 2]。DMのクラブ数は18となり、4等分できる数ではないので、南東部の6クラブが入るグループ2のみ変則的な方式となった。ここではまず3クラブずつのアンダーグループ (Untergruppe) を2つ作ってリーグ戦を行い、双方の勝者が準決勝進出をかけて対戦する。ほかの3つのグループは引き続き4クラブ編成である。

1930年代前半に世界的強豪国だったオーストリアは[4]、ドイツサッカーの中に入っても高い存在感を示した。まず1939年1月8日、SKラピート・ヴィーンがチャマーポカール1938決勝に進出し、3-1でFSVフランクフルトを破って優勝[5]。続いてドイチェ・マイスターシャフトでも、SKアドミラ・ヴィーンドイツ語版が最初のオストマルク大管区王者として出場し、いきなり決勝に進出した。しかし、こちらは決勝戦史上最大点差のワンサイドゲームとなり、優勝候補本命のシャルケが9-0でアドミラに圧勝、4回目のドイツ制覇を決めた[6]

1939年12月21日、すでに各競技の運営組織を超越していたドイツ帝国体育連盟 (DRL)がNSDAP直属組織となり、国民社会主義体育連盟ドイツ語版 (NSRL)に改名した。これによりスポーツクラブの独立性は失われ、彼らの資産はNSRLを通じてNSDAPに帰属するものとされた。ナチ党への直属は彼ら自身が望んだことであり、日増しに強くなるヒトラーユーゲント歓喜力行団SSなどの運営介入と圧力に対抗して、自分たちのスポーツ統括権を守りたいという狙いがあった。

出場クラブ[2]

クラブ 出場資格
SVヒンデンブルク・アレンシュタインドイツ語版 ガウリーガ・オストプロイセン1938-1939優勝
ヴィクトリア・シュトルプドイツ語版 ガウリーガ・ポンメルン1938-1939優勝
ブラオ=ヴァイス90ベルリンドイツ語版 ガウリーガ・ベルリン=ブランデンブルク1938-1939優勝
フォアヴェルツRaSpoグライヴィッツドイツ語版 ガウリーガ・シュレージエン1938-1939優勝
ドレスナーSCドイツ語版 ガウリーガ・ザクセン1938-1939優勝
SVデッサウ05ドイツ語版 ガウリーガ・ミッテ1938-1939優勝
ハンブルガーSV ガウリーガ・ノルトマルク1938-1939優勝
VfLオスナブリュック ガウリーガ・ニーダーザクセン1938-1939優勝
FCシャルケ04 ガウリーガ・ヴェストファーレン1938-1939優勝
フォルトゥナ・デュッセルドルフ ガウリーガ・ニーダーライン1938-1939優勝
SpVggシュルツ07 ガウリーガ・ミッテルライン1938-1939優勝
CSC03カッセルドイツ語版 ガウリーガ・ヘッセン1938-1939優勝
ヴォルマティア・ヴォルムス ガウリーガ・ズュートヴェスト1938-1939優勝
VfRマンハイムドイツ語版 ガウリーガ・バーデン1938-1939優勝
シュトゥットガルター・キッカース ガウリーガ・ヴュルテンブルク1938-1939優勝
1.FCシュヴァインフルト05ドイツ語版 ガウリーガ・バイエルン1938-1939優勝
SKアドミラ・ヴィーンドイツ語版 ガウリーガ・オストマルク1938-1939優勝
ヴァルンスドルファーFKドイツ語版 ガウリーガ・ズデーテンラント1938-1939優勝

グループステージ

グループ1

対象地域:ブランデンブルク、ニーダーザクセン、ノルトマルク、オストプロイセン[2]

チーム 得率 出場権 HSV OSN HIA BWB
1 ハンブルガーSV 6 4 1 1 22 11 2.000 9 準決勝進出 5–1 5–2 3–0
2 VfLオスナブリュック 6 2 2 2 10 12 0.833 6 4–2 0–0 1–1
3 SVヒンデンブルク・アレンシュタイン 6 2 1 3 10 12 0.833 5 1–4 3–1 1–2
4 ブラオ=ヴァイス90ベルリン 6 1 2 3 7 14 0.500 4 3–3 1–3 0–3
出典: RSSSF
順位の決定基準: 1) 勝ち点; 2) 平均得点率.

グループ1試合結果

開催日:1939年4月2日・16日・23日・30日、5月14日・21日
会場:オリンピアシュターディオン・ベルリン、シュターディオン・アム・ビショフスホーラー・ダム (ハノーファー)、ローテンバウム=シュターディオン (ベルリン)、ヴァルトシュターディオン (アレンシュタイン)、ホルスト=ヴェッセル=シュターディオン (ケーニヒスベルク)、ヴェーザーシュターディオン (ブレーメン)、シュターディオン・ホーエルフト (ハンブルク)、ブレーマー・ブリュッケ (オスナブリュック)、モムセンシュターディオン (ベルリン)

チーム #1 スコア チーム #2
ブラオ=ヴァイス90ベルリン 3:3 (2:2) ハンブルガーSV
VfLオスナブリュック 0:0 ヒンデンブルク・アレンシュタイン
ハンブルガーSV 5:1 (2:1) VfLオスナブリュック
ヒンデンブルク・アレンシュタイン 1:2 (1:1) ブラオ=ヴァイス90ベルリン
ブラオ=ヴァイス90ベルリン 1:3 (0:2) VfLオスナブリュック
ヒンデンブルク・アレンシュタイン 1:4 (0:2) ハンブルガーSV
VfLオスナブリュック 1:1 (0:1) ブラオ=ヴァイス90ベルリン
ハンブルガーSV 5:2 (2:1) ヒンデンブルク・アレンシュタイン
ヒンデンブルク・アレンシュタイン 3:1 (1:0) VfLオスナブリュック
ハンブルガーSV 3:0 (1:0) ブラオ=ヴァイス90ベルリン
VfLオスナブリュック 4:2 (4:2) ハンブルガーSV
ブラオ=ヴァイス90ベルリン 0:3 (0:2) ヒンデンブルク・アレンシュタイン
  • アレンシュタイン-ブラウヴァイス・ベルリン戦は、ヴァルトシュタディオン・アレンシュタインでの開催。

(出典: Kicker Nr. 16 vom 18. April 1939, Seite 6)

  • ケーニヒスベルクのマラウネンホーフは、当時ホルスト=ヴェッセル=シュタディオンに改名されていた。

(出典: Kicker Nr. 17 vom 25. April 1939, Seite 6)

  • アレンシュタイン-オスナブリュック戦は、ヴァルトシュタディオン・アレンシュタインでの開催。

(出典: Kicker Nr. 20 vom 16.Mai 1939 , Seite 6 )

グループ2

グループ2A

対象地域:ミッテルライン、ニーダーライン、ポンメルン[2]

チーム 得率 出場権 F95 S07 STO
1 フォルトゥナ・デュッセルドルフ 4 3 0 1 7 4 1.750 6 準決勝進出 3–2 1–0
2 SpVggシュルツ07 4 2 0 2 10 6 1.667 4 1–3 5–0
3 ヴィクトリア・シュトルプ 4 1 0 3 1 8 0.125 2 1–0 0–2
出典: RSSSF
順位の決定基準: 1) 勝ち点; 2) 平均得点率.

グループ2A試合結果

開催日:1939年4月2日・7日・16日・23日・30日、5月7日
会場:ミュンガースドルファー・シュターディオン (ケルン)、ゲルマニア=プラッツ (シュトルプ)、フリンガー・ブロイヒ (デュッセルドルフ)、ラートレンバーン (ケルン)、ラインシュターディオン (デュッセルドルフ)

チーム #1 スコア チーム #2
SpVggシュルツ07 1:3 (0:2) フォルトゥナ・デュッセルドルフ
ヴィクトリア・シュトルプ 0:2 (0:0) SpVggシュルツ07
フォルトゥナ・デュッセルドルフ 1:0 (0:0) ヴィクトリア・シュトルプ
SpVggシュルツ07 5:0 (3:0) ヴィクトリア・シュトルプ
フォルトゥナ・デュッセルドルフ 3:2 (2:1) SpVggシュルツ07
ヴィクトリア・シュトルプ 1:0 (1:0) フォルトゥナ・デュッセルドルフ
  • シュルツ-シュトルプ戦は、ケルン・ミュンガースドルフ区のシュタディオン=ラートレンバーンでの開催。シュルツのホームスタジアムである。

(出典: Fußball Nr. 17 vom 25. April 39, Seite 9)

グループ2B

対象地域:バイエルン、ザクセン、ズデーテンラント[2]

チーム 得率 出場権 DRE S05 WFK
1 ドレースナーSC 4 3 0 1 9 3 3.000 6 準決勝進出 1–0 3–1
2 1.FCシュヴァインフルト05 4 3 0 1 9 4 2.250 6 1–0 4–2
3 ヴァルンスドルファーFK 4 0 0 4 5 16 0.313 0 1–5 1–4
出典: RSSSF
順位の決定基準: 1) 勝ち点; 2) 平均得点率.

グループ2B試合結果

開催日:1939年4月7日・10日・16日・30日、5月7日
会場:シュターディオン・アム・オストラゲヘーゲ (ドレスデン)、カンプフバーン・クライシェ (アウシヒ)、フォルクスパルクシュターディオン (バンベルク)、シュターディオン・アム・ハウプトバーンホーフ (ヴァルンスドルフ)、ヴィリー=ザックス=シュターディオン (シュヴァインフルト)、グロースカンプフバーン (ケムニッツ)

チーム #1 スコア チーム #2
ドレスデナーSC 3:1 (3:0) ヴァルンスドルファーFK
ヴァルンスドルファーFK 1:4 (0:2) FCシュヴァインフルト05
FCシュヴァインフルト05 1:0 (1:0) ドレスデナーSC
ヴァルンスドルファーFK 1:5 (0:1) ドレスデナーSC
FCシュヴァインフルト05 4:2 (3:1) ヴァルンスドルファーFK
ドレスデナーSC 1:0 (0:0) FCシュヴァインフルト05
  • ドレスデナーSC-シュヴァインフルト戦は、グロースカンプフバーン・ケムニッツ (現シュポルトフォルム) での開催、観衆は50000人。

(出典 : Fußball Nr. 19 vom 9.Mai 1939 , Seite 6)

グループ2決勝

会場:シュターディオン・アム・オストラゲヘーゲ、ラインシュターディオン

チーム #1 合計 チーム #2 第1戦 第2戦
ドレスナーSC 7–4 フォルトゥナ・デュッセルドルフ 4–1 3–3

グループ3

対象地域:バーデン、ミッテ、オストマルク、ヴュルテンベルク[2]

チーム 得率 出場権 AWI SKI MAN SVD
1 SKアドミラ・ヴィーン 6 3 1 2 20 11 1.818 7 準決勝進出 6–2 8–3 5–1
2 シュトゥットガルター・キッカース 6 3 1 2 13 13 1.000 7 1–1 3–2 3–2
3 VfRマンハイム 6 2 1 3 12 16 0.750 5 3–0 1–4 0–0
4 SVデッサオ05 6 2 1 3 6 11 0.545 5 1–0 1–0 1–3
出典: RSSSF
順位の決定基準: 1) 勝ち点; 2) 平均得点率.

グループ3試合結果

開催日:1939年4月2日・16日・23日・30日、5月7日・14日・21日
会場:プラター・シュターディオン (ヴィーン)、シラーパルク (デッサウ)、アドルフ=ヒトラー=カンプフバーン (シュトゥットガルト)、ホルスト=ヴェッセル=カンプフバーン (ハレ・アン・デア・ザーレ)、シュターディオン、プラッツ・アン・デン・ブラウエライエン (マンハイム)、

チーム #1 スコア チーム #2
SKアドミラ・ヴィーン 6:2 (3:1) シュトゥットガルター・キッカース
SVデッサウ05 1:3 (1:2) VfRマンハイム
シュトゥットガルター・キッカース 3:2 (2:2) VfRマンハイム
SVデッサウ5 1:0 (1:0) SKアドミラ・ヴィーン
VfRマンハイム 3:0 (1:0) SKアドミラ・ヴィーン
シュトゥットガルター・キッカース 3:2 (1:0) SVデッサウ05
VfRマンハイム 1:4 (0:1) シュトゥットガルター・キッカース
SKアドミラ・ヴィーン 5:1 (3:0) SVデッサウ05
VfRマンハイム 0:0 SVデッサウ05
シュトゥットガルター・キッカース 1:1 (1:0) SKアドミラ・ヴィーン
SKアドミラ・ヴィーン 8:3 (3:2) VfRマンハイム
SVデッサウ05 1:0 (0:0) シュトゥットガルター・キッカース
  • デッサウ-アドミラ戦とデッサウ-シュトゥットガルト戦は、ハレ・アン・デア・ザーレのホルスト=ヴェッセル=カンプフバーンでの開催。

(出典 : Fußball Nr. 16 vom 18.April 1939 , Seite 9 und Originalprogramm vom Spiel und Kicker Nr. 16 vom 18.April 1939 , Seite 9 / Fußball Nr.21 vom 23.Mai 1939 , Seite 8 )

グループ4

対象地域:ヘッセン、シュレージエン、ズュートヴェスト、ヴェストファーレン[2]

チーム 得率 出場権 S04 VRG W08 CSC
1 FCシャルケ04 6 5 0 1 17 5 3.400 10 準決勝進出 4–0 1–2 6–1
2 フォアヴェルツRaSpoグライヴィッツ 6 4 0 2 12 11 1.091 8 1–2 5–3 2–0
3 ヴォルマティア・ヴォルムス 6 3 0 3 12 10 1.200 6 0–1 1–2 3–1
4 CSCカッセル 6 0 0 6 4 19 0.211 0 1–3 1–2 0–3
出典: RSSSF
順位の決定基準: 1) 勝ち点; 2) 平均得点率.

グループ4試合結果

開催日:1939年4月2日・16日・23日・30日、5月14日・21日
会場:ヤーンシュターディオン (グライヴィッツ)、ウニオン=シュターディオン・アム・ズュートパルク (ゲルゼンキルヘン)、ヴァルトシュターディオン (フランクフルト・アム・マイン)、シュターディオン・アン・デア・ニュルンベルガー・シュトラーセ (カッセル)、オストパルクシュターディオン (フランケンタール (プファルツ)ドイツ語版)、シュレージアーカンプフバーン・デス・ヘルマン=ゲーリング=シュポルトフェルデス (ブレスラウ)、アレマニア=プラッツ (ヴォルムス)、シュターディオン・ローテ・エアデ (ドルトムント)、グリュックアウフ=カンプフバーン (ゲルゼンキルヘン)

チーム #1 スコア チーム #2
フォアヴェルツRaSpoグライヴィッツ 5:3 (2:1) ヴォルマティア・ヴォルムス
FCシャルケ04 6:1 (2:0) CSC03カッセル
ヴォルマティア・ヴォルムス 0:1 (0:1) FCシャルケ04
CSC 03カッセル 1:2 (1:0) フォアヴェルツRaSpoグライヴィッツ
CSC03カッセル 1:3 (1:2) FCシャルケ04
ヴォルマティア・ヴォルムス 1:2 (1:1) フォアヴェルツRaSpoグライヴィッツ
フォアヴェルツRaSpoグライヴィッツ 1:2 (1:0) FCシャルケ04
ヴォルマティア・ヴォルムス 3:1 (0:0) CSC03カッセル
FCシャルケ04 1:2 (1:2) ヴォルマティア・ヴォルムス
フォアヴェルツRaSpoグライヴィッツ 2:0 (1:0) CSC03カッセル
FCシャルケ04 4:0 (1:0) フォアヴェルツRaSpoグライヴィッツ
CSC03カッセル 0:3 (0:0) ヴォルマティア・ヴォルムス
  • ヴォルムス-グライヴィッツ戦は、フランケンタールのオストパルクシュタディオンでの開催。収容人数は2万人で、観衆は5000人だった。

(出典: Fußball Nr. 17 vom 25.April 1939, Seite 16 und Kicker Nr. 17 vom 25.April 1939, Seite 11)

  • グライヴィッツ-シャルケ戦は、ブレスラウのシュレージアカンプフバーン・デス・ヘルマン=ゲーリング=シュポルトフェルデスでの開催。観衆は45000人。

(出典: Fußball Nr. 18 vom 2.Mai 1939, Seite 9)

準決勝

会場:ヴァルトシュターディオン (フランクフルト・アム・マイン)、オリンピアシュターディオン・ベルリン

チーム #1 スコア チーム #2
1939年6月4日[7]
FCシャルケ04 3–3 aet ドレスデナーSC
SKアドミラ・ヴィーン 4–1 ハンブルガーSV

再試合

会場:オリンピアシュターディオン・ベルリン

チーム #1 スコア チーム #2
1939年6月11日
FCシャルケ04 2–0 ドレスナーSC

三位決定戦

会場:シュターディオン・アム・オストラーゲヘーゲ

チーム #1 スコア チーム #2
1939年6月17日[8]
ドレスデナーSC 3–2 ハンブルガーSV

決勝

FCシャルケ04 9 - 0 SKアドミラ・ヴィーン
カルヴィツキ  7分
ウアバン  12分
カルヴィツキ  30分
カルヴィツキ  30分
ティブルスキ  53分
カルヴィツキ  61分
カルヴィツキ  81分
クツォーラ  84分
シェパン  89分
レポート
観客数: 100000人
主審: ゲアハルト・シュルツ (ドレスデン)
FCシャルケ04
GK ハンス・クロットドイツ語版
DF ハンス・ボーネマン (サッカー選手)ドイツ語版
DF オットー・シュヴァイスフアトドイツ語版
MF ルドルフ・ゲレシュドイツ語版
MF オットー・ティブルスキードイツ語版
MF ヴァルター・ベアクドイツ語版
FW ヘアマン・エッペンホフドイツ語版
FW フリッツ・シェパンドイツ語版
FW エアンスト・カルヴィツキドイツ語版
FW エアンスト・クツォーラドイツ語版
FW アードルフ・ウアバンドイツ語版
監督
オットー・ファイストドイツ語版
SKアドミラ・ヴィーン
GK エミル・ブーフベアガードイツ語版
DF ヨーゼフ・ミーアシツカドイツ語版
DF オットー・ミーアシツカドイツ語版
MF フリッツ・クラーツルドイツ語版 (52分負傷退場)
MF ハンス・ウーアバネクドイツ語版
MF フランツ・ハンライタードイツ語版
FW レオポルト・フォーグル (サッカー選手)ドイツ語版
FW フランツ・シリンドイツ語版
FW カール・シュトイバードイツ語版
FW ヴィリー・ハーネマンドイツ語版
FW カール・ドゥーアシュペクトドイツ語版
監督
ハンス・スコラウトドイツ語版

脚注

注釈

  1. ^ 既存のウィーン1部リーグをガウリーガとして改組したものであり、新たに設置されたという表現は語弊がある。また、オーストリア一部リーグのシーズンとしてカウントされている。
  2. ^ 19世紀に実現しなかった「大ドイツ」で行われる、最初の全国サッカー大会というニュアンスであろう。

出典

  1. ^ Dinant Abbink (27 Apr 2023). “Germany - Championships 1902-1945” (英語). RSSSF. 2025年2月5日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g Germany 1938/39” (英語). RSSSF. 2025年2月5日閲覧。
  3. ^ Deutsche Meisterschaft 1938/1939 » Finale” (ドイツ語). weltfussbal.de. 2025年2月5日閲覧。
  4. ^ リヒテンベルガー/秋吉 2005, 106頁
  5. ^ リヒテンベルガー/秋吉 2005, 104-105頁
  6. ^ リヒテンベルガー/秋吉 2005, 101頁
  7. ^ German championship 1939 – Semifinals (ドイツ語) Weltfussball.de, accessed: 28 December 2015
  8. ^ German championship 1939 – Third place (ドイツ語) Weltfussball.de, accessed: 28 December 2015
  9. ^ German championship 1939 – Final (ドイツ語) Weltfussball.de, accessed: 28 December 2015

参考文献

  • ウルリッヒ・ヘッセ・リヒテンベルガー 秋吉香代子訳 (2005). ブンデスリーガ ドイツサッカーの軌跡. バジリコ株式会社. ISBN 4-901784-92-7 

外部リンク




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