ドイチェ・フースバルマイスターシャフト1929-1930
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シーズン | 1929-1930 |
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優勝 | ヘルタBSC (1回目) |
試合数 | 16 |
ゴール数 | 102 (1試合平均6.38) |
得点王 | ![]() (7点) |
ドイチェ・フースバルマイスターシャフト 1929-1930 はドイツサッカー協会によって開催された第23回目のクラブチーム全国大会である。ヘルタBSCが初優勝し、1回目のドイチャー・フースバルマイスターの座に就いた[1][2][3]。
概要
五年連続で決勝進出を果たしたヘルタBSCが、ついに悲願の初優勝を遂げ、首都ベルリンに19年ぶりにドイツ王座が戻ってきた[4]。シルバーコレクターと化していたヘルタは、久々に決勝に進出したホルシュタイン・キールに開始わずか10分間で2点を先行され、今回もやはり準優勝かと思われた。だがそこからは白熱したシーソーゲームとなり、ドイツサッカー史に残る点の取り合いの末、ヘルタが5-4で逆転勝ちした。会場の雰囲気はヘルタにとって完全アウェーであり、優勝後も帰りのバスに物が投げつけられた[4]。
そのキールが属する北部のノルトドイチェ・フースバルマイスターシャフト1929-1930では、DM常連のハンブルガーSVが出場権を逃すという番狂わせがあった。1次リーグのオーバリーガ=グロース・ハンブルクを一位通過したHSVは、さらに決勝ラウンド一回戦・準々決勝と勝ち抜いて決勝リーグに到達したが、そこで4チーム中の最下位に沈み、出場圏内の2位以内に入れなかった。
労働者体操・スポーツ協会ではTSVニュルンベルク=オストが初優勝。ドイツ体操団体が最後のドイチェ・マイスターシャフトを開催し、クルップシェTGエッセンが優勝した。また、この加盟クラブはすべてDFBに移籍した。ドイツ青年活力は全国大会を開催しなかった。
出場クラブ[2]
クラブ | 出場資格 |
VfBケーニヒスベルク | バルティッシェ・フースバルマイスターシャフト1929-1930優勝 |
FCティタニア・シュテッティン | バルティッシェ・フースバルマイスターシャフト1929-1930準優勝 |
ボイテナーSuSV | ズュートオストドイチェ・フースバルマイスターシャフト1929-1930優勝 |
フェアアイニヒテ・ブレスラオアーSpfr. | ズュートオストドイチェ・フースバルマイスターシャフト1929-1930準優勝 |
ヘルタBSC | ベルリナー・フースバルマイスターシャフト1929-1930優勝 |
テニス・ボルシア・ベルリン | ベルリナー・フースバルマイスターシャフト1929-1930準優勝 |
ドレスナーSC | ミッテルドイチェ・フースバルマイスターシャフト1929-1930優勝 |
VfBライプツィヒ (1893年) | ミッテルドイチャー・ポカール1929-1930優勝 |
ホルシュタイン・キール | ノルトドイチェ・フースバルマイスターシャフト1929-1930優勝 |
SVアルミニア・ハノーファー | ノルトドイチェ・フースバルマイスターシャフト1929-1930準優勝 |
FCシャルケ04 | ヴェストドイチェ・フースバルマイスターシャフト1929-1930優勝 |
VfLベンラート | ヴェストドイチェ・フースバルマイスターシャフト1929-1930準優勝 |
SpVggシュルツ07 | ヴェストドイチェ第三代表決定プレーオフ勝者 |
アイントラハト・フランクフルト | ズュートドイチェ・フースバルマイスターシャフト1929-1930優勝 |
SpVggフュルト | ズュートドイチェ・フースバルマイスターシャフト1929-1930準優勝 |
1.FCニュルンベルク | ズュートドイチェ第三代表決定プレーオフ勝者 |
ラウンドオブ16
開催日:1930年5月18日[5]
会場:シュポルトパルク・グリューナイヒェ (ブレスラウ)、シュタディオン・アン・デア・カストロパー・シュトラーセ (ボーフム)、シュタディオン・アム・リーダーヴァルト (フランクフルト・アム・マイン)、ポストシュタディオン (ベルリン)、ツァボ (ニュルンベルク)、シュポルトプラッツ・ホーエルフト (ハンブルク)、シュターディオン・アム・ツォー (ハレ・アン・デア・ザーレ)、リヒャルト=リンデマン=シュポルトプラッツ (シュテティーン)
チーム #1 | スコア | チーム #2 |
---|---|---|
ドレスデナーSC | 8–1 | VfBケーニヒスベルク |
アイントラハト・フランクフルト | 1–0 | VfLベンラート |
FCシャルケ04 | 6–2 | SVアルミニア・ハノーファー |
ヘルタBSC | 3–2 | ボイテナーSuSV |
ホルシュタイン・キール | 4–3 | VfBライプツィヒ (1893年) |
フェアアイニヒテ・ブレスラオアーSpfr. | 0–7 | 1.FCニュルンベルク |
SpVggフュルト | 4–1 | テニス・ボルシア・ベルリン |
FCティタニア・シュテッティン | 2–4 | SpVggシュルツ07 |
準々決勝
開催日:1930年6月1日[5]
会場:ロンホーフ (フュルト)、プロイセン・シュタディオン (ベルリン)、ドレスデナー・カンプフバーン (ドレスデン)、ミュンガースドルファー・シュタディオン (ケルン)
チーム #1 | スコア | チーム #2 |
---|---|---|
ドレスナーSC | 5–4 | SpVggフュルト |
1.FCニュルンベルク | 6–2 | FCシャルケ04 |
ホルシュタイン・キール | 4–2 | アイントラハト・フランクフルト |
SpVggシュルツ07 | 1–1 | ヘルタBSC |
再試合
開催日:6月9日[5]
会場:ポストシュタディオン
チーム #1 | スコア | チーム #2 |
---|---|---|
ヘルタBSC | 8–1 | SpVggシュルツ07 |
準決勝
開催日:1930年6月15日
会場:プロープスタイダー・シュタディオン (ライプツィヒ)、ヴェダオシュタディオン (デュイスブルク)[5]
チーム #1 | スコア | チーム #2 |
---|---|---|
ヘルタBSC | 6–3 | 1.FCニュルンベルク |
ホルシュタイン・キール | 2–0 | ドレスデナーSC |
決勝
ヘルタBSC | 5 - 4 | ホルシュタイン・キール |
---|---|---|
ゾベク ![]() ゾベク ![]() レーマン ![]() レーマン ![]() ルーフ ![]() |
レポート | ヴィートマイアー ![]() リッター ![]() ルートヴィヒ ![]() リッター ![]() |
得点ランキング[6]
選手 | クラブ | 試合数 | 得点数 | |
---|---|---|---|---|
1. | ![]() |
1. FCニュルンベルク | 3 | 7 |
2. | ![]() |
ヘルタBSC | 5 | 6 |
3. | ![]() |
ホルシュタイン・キール | 4 | 5 |
4. | ![]() |
1. FCニュルンベルク | 2 | 4 |
![]() |
1. FCニュルンベルク | 2 | 4 |
脚注
注釈
出典
- ^ Dinant Abbink (27 Apr 2023). “Germany - Championships 1902-1945” (英語). RSSSF. 2025年2月5日閲覧。
- ^ a b “Germany 1929/30” (英語). RSSSF. 2025年2月5日閲覧。
- ^ “Deutsche Meisterschaft 1929/1930 » Finale” (ドイツ語). weltfussbal.de. 2025年2月5日閲覧。
- ^ a b c リヒテンベルガー/秋吉 2005, 69頁
- ^ a b c d e “Deutsche Meisterschaft 1929/1930 » Spielplan” [German championship 1929–30] (ドイツ語). Weltfussball.de. 6 January 2016閲覧。
- ^ “Deutsche Meisterschaft 1929/1930 » Torschützenliste” (ドイツ語). weltfussbal.de. 2025年2月5日閲覧。
参考文献
- ウルリッヒ・ヘッセ・リヒテンベルガー 秋吉香代子訳 (2005). ブンデスリーガ ドイツサッカーの軌跡. バジリコ株式会社. ISBN 4-901784-92-7
外部リンク
- ドイチェ・フースバルマイスターシャフト1929-1930のページへのリンク