ドイチェ・フースバルマイスターシャフト1913-1914とは? わかりやすく解説

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ドイチェ・フースバルマイスターシャフト1913-1914

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/01 14:15 UTC 版)

Deutsche Fußballmeisterschaft
シーズン 1913-1914
優勝 SpVggフュルト
(1回目)
試合数 7
ゴール数 30 (1試合平均4.29)
得点王 カール・フランツドイツ語版
(5点)
1912-1913
1919-1920

ドイチェ・フースバルマイスターシャフト 1913-1914ドイツサッカー協会によって開催された第12回目のクラブチーム全国大会である。SpVggフュルトが初優勝し、1回目のドイチャー・フースバルマイスターの座に就いた[1][2][3]

概要

VfBライプツィヒは6回目の決勝進出だが、フュルトの属する南部ドイツサッカー協会は今回で通算8回目。南部はドイツサッカーの中心地となりつつあり、第一次大戦後はさらにその地位を上げていくこととなる。しかし1914年8月から、その第一次世界大戦のために全国的スポーツ大会は中断された。ドイチェ・マイスターシャフトが再開されるのは、1919-1920シーズンからである[4]

出場クラブ

[2] 本大会出場クラブは、地方協会王者7クラブと前回ドイツ王者、計8クラブである。ここまで首都ベルリン、北部のキール、中部のライプツィヒ、南西部のフライブルクカールスルーエがドイツ王者を輩出してきたが、この第一次大戦前最後の大会におけるSpVggフュルトの初優勝を境に、南部のニュルンベルクフュルト地域が新たに台頭していくことになる[5]

クラブ 出場資格
SVプルシア=ザムラント・ケーニヒスベルクドイツ語版 バルティッシェ・フースバルマイスターシャフト1913-1914優勝
FCアスカニア・フォアストドイツ語版 ズュートオストドイチェ・フースバルマイスターシャフト1913-1914優勝
ベルリナーBCドイツ語版 ベルリナー・フースバルマイスターシャフト1913-1914優勝
SpVgg1899ライプツィヒドイツ語版=リンデナオ ミッテルドイチェ・フースバルマイスターシャフト1913-1914優勝
VfBライプツィヒドイツ語版 前回王者
アルトナーFC93 ノルトドイチェ・フースバルマイスターシャフト1913-1914優勝
デュイスブルガーSpVドイツ語版 ヴェストドイチェ・フースバルマイスターシャフト1913-1914優勝
SpVggフュルト ズュートドイチェ・フースバルマイスターシャフト1913-1914優勝

準々決勝

開催日: 1914年5月3日:[6]
会場:ヴァルター=ジモン=プラッツ (ケーニヒスベルク)、ヴァッカーシュタディオン・デブラホーフ (ライプツィヒ)、Preussen-Platz an der Kaiserstraße (ベルリン=マリエンドルフ)、Sportplatz an der Meisenburgstraße (エッセン)

チーム #1 スコア チーム #2
ベルリナーBC 4–0 FCアスカニア・フォアスト
デュイスブルガーSpV 4–1 aet アルトナーFC93
SpVggフュルト 2–1
VfBライプツィヒ (1893年) 4–1 SVプルシア=ザムラント・ケーニヒスベルク

ドイツ王座防衛者VfBライプツィヒは、北東部王者プルシア=ザムラント・ケーニヒスベルクを4-1で下した。意外にも格下のケーニヒスベルクに25分マックス・ヴィルトの得点で先制を許したが、前半終了直前パウル・ペンプナーが同点ゴール。後半エドゥアルト・ペンドルフの逆転弾、アーデルベルト・フリードリヒの追加点で3-1とすると、最後は81分のペンプナーの自身二点目で締めくくった。

中部王者SpVggライプツィヒは初出場の南部王者SpVggフュルトに1-2で敗れた。ライプツィヒは36分にゲアハルト・シュルツが先制点を決めるが、フュルトは52分にドイツ系ハンガリー人選手フリゲシュ・ヴェイツ/フリッツ・ヴァイスが同点とし、83分カール・フランツが逆転の決勝ゴールを挙げた。

ブランデンブルク王者ベルリナーBCは、4-0で南東部王者アスカニア・フォルストに圧勝。前半25分からHTまでの間にエーリヒ・アルント、ヴィリ・ヘープラー、プロイスが得点し3-0とリードし、後半にはアルントが自身二点目をマークした。また、ベルリナーBCの主将を務めたのは、後に国際審判員として有名になるアルフレート・ビーアレムドイツ語版だった。

西部王者デュイスブルガーSpVは、延長戦の末に北部王者アルトナーFCを4-1で破った。スコアレスの前半を経て48分にアルトナーのハインツ・シッポライトに先制点を決められるが、73分ヴァルター・フィッシャーのPKで同点に追いつき、1-1のまま延長戦へ。93分にフィッシャーがまた決めて逆転すると、さらに97分アントン・ボンガルツ、106分マティアス・ブレートゲンと加点した。

準決勝

開催日: 1914年5月17日:[6]
会場:シュポルトプラッツ・ロンホーフ (フュルト)、シュポルトパルク・コンネヴィッツ (ライプツィヒ)

チーム #1 スコア チーム #2
SpVggフュルト 4–3 aet ベルリナーBC
VfBライプツィヒ (1893年) 1–0 デュイスブルガーSpV
準決勝SpVggフュルト-ベルリナーBC戦の写真。

ベルリナーBCは、開始わずか10分でDFパウル・ヴィーゼナーが膝を怪我して負傷退場し、数的不利となるが、それでも43分からプロイスの二得点で2-0と先行した。対するフュルトは、二失点目からわずか一分後にフリゲシュ・ヴェイツが一点を返し、後半に入って62分再びヴェイシュが決めて2-2の同点に追いついた。その後スコアは動かず延長戦へ。103分にフュルトのカール・フランツが逆転ゴールを決めるが、119分にはベルリナーBCのプロイスがハットトリックを達成し、3-3の同点に。最後はカール・フランツが146分にこの日自身二点目となる決勝ゴール、激戦にピリオドを打った。

対照的にもうひとつの準決勝戦はロースコアの接戦となり、VfBライプツィヒが41分のヨハネス・フェルカースの決勝点でデュイスブルガーSpVを振り切った。

決勝

SpVggフュルト 3 – 2 (延長) VfBライプツィヒ (1893年)
フランツ  17分153分
ヴェイツ  104分
レポート ペンドーフ  83分
ヘッセ  108分
Victoria 96-Platz, マクデブルク
観客数: 6,000
主審: Kurt von Pacquet
(ベルリン)
SpVggフュルト
  ヘアマン・ポレンスキドイツ語版
  ゼバスティアン・ザイデルドイツ語版
  ハンス・シュミットドイツ語版  138分
  エーリヒ・リーベドイツ語版
  ユリウス・ヒアシュドイツ語版
  カール・ブアガードイツ語版
  ゲオーク・ヴェルヘーファードイツ語版
  フリゲシュ・ヴェイツドイツ語版
  ハンス・ヤーコプドイツ語版
  カール・フランツドイツ語版
  ゲオーク・ヴンダーリヒドイツ語版
監督
ウィリアム・タウンリー英語版
VfBライプツィヒ
  ヨハネス・シュナイダードイツ語版
  アルフレート・ヘアマンドイツ語版
  ヴィリー・フェルカードイツ語版
  エドゥアート・ペンドーフドイツ語版
  パウル・ミヒェルドイツ語版
  クアト・ヘッセドイツ語版
  ゲオーク・リヒタードイツ語版
  パウル・ペンプナードイツ語版
  アーダルバート・フリードリヒドイツ語版
  ハンス・ドルゲドイツ語版
  ヨハネス・フェルカースドイツ語版
監督

ドイチャーマイスターのVfBライプツィヒは、第一次世界大戦前の12大会中6回目の決勝進出を果たした。先制したのはチャレンジャーのSpVggフュルト、前半17分にカール・フランツが決めて1-0リードでHTに入る。さらにライプツィヒは前半42分にパウル・ミヒェルが負傷退場して数的不利となるが[7]、それでも後半に入り83分にエドゥアルト・ペンドルフが同点ゴールを決め、1-1のまま試合は延長戦に突入した。ルール上、ゴールデンゴールが決まるか主審が打ち切るまで、延々と試合は続く[7]

104分フュルトはフリゲシュ・ヴェイツが勝ち越し点を決めるが、ライプツィヒも四分後クルト・ヘッセのゴールで再度追いつく。138分フュルトはハンス・シュミットが退場して10人対10人となるが、153分にカール・フランツが準決勝に続く決勝ゴールを叩き込んで、3-2で優勝した[7]。既にカールスルーアーFVで1910年に優勝を経験している、イングランド人監督ウィリアム・タウンリーとユリウス・ヒルシュにとっては、二度目のドイチェ・マイスターシャフト制覇である。

SpVggフュルトのマイスターマンシャフト

SpVggフュルト
SpVggフュルトの監督親子と選手達 (1913年6月7日)。
後列左から:カール・ブルガー, フリッツ・ラング, カール・フランツ, オットー・ミュッツェ, ハインリヒ・イーゼンマン, ゲオルク・ヴンダーリッヒ, アドルフ・リーベ, ユリウス・ヒルシュ, ハンス・シュミット, ウィリアム・タウンリー監督と息子のジミー・タウンリー。
前列左から:フリゲシュ・ヴェイツ, ミヒャエル・パハトナー, ゲオルク・ヴェルヘーファー

得点ランキング

[3]

選手 クラブ 出場数 得点数
1. カール・フランツドイツ語版 SpVggフュルト 3 5
2. プロイスドイツ語版 ベルリナーBC 2 4
3. フリーゲシュ・ヴェイツドイツ語版 (フリッツ・ヴァイス) SpVggフュルト 3 4
4. エーリヒ・アーントドイツ語版 ベルリナーBC 2 2
ヴァルター・フィッシャードイツ語版 デュイスブルガーSpV 2 2
6. エドゥアート・ペンドアフドイツ語版 VfBライプツィヒ 3 2
パウル・ポンプナードイツ語版 VfBライプツィヒ 3 2
8. ハインツ・シッポライトドイツ語版 アルトナーFC93 1 1
ゲアハート・シュルツドイツ語版 SpVgg1899ライプツィヒ 1 1
マックス・ヴィアトドイツ語版 SVプルシア=ザムラント・ケーニヒスベルク 1 1
11. マティアス・ブレートゲンドイツ語版 デュイスブルガーSpV 2 1
アントン・ボンガーツドイツ語版 デュイスブルガーSpV 2 1
ヴィリ・ヘープラードイツ語版 ベルリナーBC 2 1
14. アーデルバート・フリードリヒドイツ語版 VfBライプツィヒ 3 1
クーアト・ヘッセドイツ語版 VfBライプツィヒ 3 1
ヨハネス・フェルカースドイツ語版 VfBライプツィヒ 3 1

脚注

注釈


出典

  1. ^ Dinant Abbink (2023年4月27日). “Germany - Championships 1902-1945” (英語). RSSSF. 2025年2月5日閲覧。
  2. ^ a b Germany 1913/14” (英語). RSSSF. 2025年2月5日閲覧。
  3. ^ a b Deutsche Meisterschaft 1913/1914 » Finale” (ドイツ語). weltfussbal.de. 2025年2月5日閲覧。
  4. ^ リヒテンベルガー/秋吉 2005, 478頁
  5. ^ リヒテンベルガー/秋吉 2005, 478-479頁
  6. ^ a b Deutsche Meisterschaft 1913/1914 » Spielplan” [German championship 1913–14] (German). Weltfussball.de. 2016年1月12日閲覧。
  7. ^ a b c リヒテンベルガー/秋吉 2005, 58頁

参考文献

  • ウルリッヒ・ヘッセ・リヒテンベルガー 秋吉香代子訳 (2005). ブンデスリーガ ドイツサッカーの軌跡. バジリコ株式会社. ISBN 4-901784-92-7 
  • Geschichte des deutschen Fußballsports. Band III der Schriftenreihe des Deutschen Fußball-Bundes. Carl Koppehel, Verlag Wilhelm Limpert, Frankfurt 1954, 4. erweiterte Auflage ohne Jahresangabe.
  • Deutsche Meisterschaft (1903-1923), IFFHS-Magazin Libero Nr. 36. International Federation of Football History & Statistics, Wiesbaden, II. Quartal 2002.
  • Das Goldene Buch des Deutschen Fußballs. Hardy Grüne, Dietrich Schulze-Marmeling, Verlag Die Werkstatt, Göttingen 2015.

外部リンク




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