ドイチェ・フースバルマイスターシャフト1941-1942
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/26 04:30 UTC 版)
![]() |
|
シーズン | 1941-1942 |
---|---|
優勝 | FCシャルケ04 (6回目) |
試合数 | 26 |
ゴール数 | 121 (1試合平均4.65) |
得点王 | ![]() (8点) |
ドイチェ・フースバルマイスターシャフト 1941-1942は、ドイツ国で開催された第35回目のサッカー全国大会である。FCシャルケ04が優勝し、6回目のドイチャー・フースバルマイスターの座に就いた[1][2][3]。
概要
第二次世界大戦下における3回目のドイチェ・フースバルマイスターシャフトである。昨年度までのグループステージが廃止され、純粋なノックアウト方式のトーナメントに戻った[4]。原因は、その影響がますます顕著になってきた第二次大戦にあった。ドイツは1940年8月からのバトル・オブ・ブリテンで英国を降伏させられず、1941年6月にはソビエト連邦との間で独ソ戦が始まった。長期化する戦争によって、ドイツ国内に再び燃料不足・交通問題が発生し、サッカークラブのアウェーゲーム遠征を日増しに困難にしていった[5]。
かような社会情勢下、1942年2月国民社会主義体育連盟によって、50km以上の遠征を禁止する決定がなされた。ドイチェ・マイスターシャフトはその例外とされたが、それでも長距離遠征をできるだけ減らすため、グループリーグが廃止され、トーナメント方式が復活した。
大会方式変更のもう一つの理由は、ドイツの領土拡大によって大管区・総督府・保護領等を単位とする「スポーツ地域」 (Sportbereich) とガウリーガの数が、過去最大の25に達したことである。さらに前述の遠征距離規制に合致させる必要もあり、西部地域の新しい大管区、ガウリーガ・ヴェストマルクおよびガウリーガ・モーゼルラント (モーゼルラント大管区)が設置された。 ヴェストマルク・スポーツ地域は、ロートリンゲン・ザールラント・プファルツから構成され、それまで所属していた南西部のスポーツ地域から分離させられた。モーゼルラントは、ミッテルラインと1940年の侵攻で併合したルクセンブルクによって構成されていた。
これによって面積が縮小したズュートヴェストとミッテルラインのスポーツ地域・ガウリーガは、ガウリーガ・ヘッセン=ナッサウガウリーガ・ケルン=アーヘンと改名され、混同を防ぐため昨季まで「ヘッセン」という名称だったものが、ガウリーガ・クーアヘッセンとなった。反対方向の東部地域でも、やはり遠征費削減目的でシュレージエン・スポーツ地域が南北に分割され、ガウリーガ・ニーダーシュレージエンとガウリーガ・オーバーシュレージエンに分かれた。
その他の戦争の悪影響は、ピッチ上の選手の顔ぶれに表れている。軍に徴兵される選手がますます増加し、そのぶん選手の数は減っていった[5]。当初は下部リーグだけがその影響を受けたが、群・地区単位のリーグではプレーの水準が低下していった。また、悪天候によりガウリーガの日程消化が遅延し、比例して本大会の開幕も約一ヶ月遅れて、1942年5月10日にトーナメント一回戦が行われている。当初の予定ではガウリーガは3月末に終わって出場クラブが出そろい、1942年4月5日に開幕するはずだった[6]。
決勝戦は二年連続・通算三度目となる「ゲルゼンキルヒェン対ウィーン」、つまりFCシャルケ04とファースト・ヴィエナFC1894の対戦となった。試合はファースト・ヴィエナが支配し多くのチャンスを作ったが、スコアに反映できず。劣勢のシャルケが効率的に得点し、2-0で勝った[7]。内容はともかく勝利したシャルケは、実に9回目の決勝戦進出、そして1.FCニュルンベルクに並ぶ最多タイ6回目のドイツ制覇を達成した。
出場クラブ[2]
クラブ | 出場資格 |
VfBケーニヒスベルク | ガウリーガ・オストプロイセン1941-1942優勝 |
ルフトヴァッフェンSVピュトニッツ | ガウリーガ・ポンメルン1941-1942優勝 |
ブラオ=ヴァイス90ベルリン | ガウリーガ・ベルリン=ブランデンブルク1941-1942優勝 |
ゲルマニア・ケーニヒスヒュッテ | ガウリーガ・オーバーシュレージエン1941-1942優勝 |
SpVgブレスラウアー02 | ガウリーガ・ニーダーシュレージエン1941-1942優勝 |
プラニッツァーSC | ガウリーガ・ザクセン1941-1942優勝 |
SVデッサウ05 | ガウリーガ・ミッテ1941-1942優勝 |
アイムスビュッテラーTV | ガウリーガ・ノルトマルク1941-1942優勝 |
ヴェルダー・ブレーメン | ガウリーガ・ニーダーザクセン1941-1942優勝 |
FCシャルケ04 | ガウリーガ・ヴェストファーレン1941-1942優勝 |
SVハムボルン07 | ガウリーガ・ニーダーライン1941-1942優勝 |
VfLケルン1899 | ガウリーガ・ケルン=アーヘン1941-1942優勝 |
ボルシア・フルダ | ガウリーガ・クールヘッセン1941-1942優勝 |
FVシュタット・デューデリンゲン | ガウリーガ・モーゼルラント1941-1942優勝 |
キッカース・オッフェンバッハ | ガウリーガ・ヘッセン=ナッサオ1941-1942優勝 |
1.FCカイザースラウテルン | ガウリーガ・ヴェストマルク1941-1942優勝 |
SVヴァルトホフ07 | ガウリーガ・バーデン1941-1942優勝 |
SGSSシュトラースブルク | ガウリーガ・エルザス1941-1942優勝 |
シュトゥットガルター・キッカース | ガウリーガ・ヴュルテンブルク1941-1942優勝 |
1.FCシュヴァインフルト05 | ガウリーガ・バイエルン1941-1942優勝 |
ルフトヴァッフェンSVオルミュッツ | ガウリーガ・ズデーテンラント1941-1942優勝 |
ファースト・ヴィエナFC1894 | ガウリーガ・ドナオ=アルペンラント1941-1942優勝 |
HUSマリエンヴェルダー | ガウリーガ・ダンツィヒ=ヴェストプロイセン1941-1942優勝 |
SGオルドヌングスポリツァイ・リッツマンシュタット | ガウリーガ・ヴァルテラント1941-1942優勝 |
ルフトヴァッフェンSVベールケ・クラカウ | ガウリーガ・ゲネラールガヴァメント1941-1942優勝 |
予備予選
- 開催日:1942年5月10日
- 会場: Platz an der Buschstraße (デュイスブルク)、シュターデイオン・ヨハンニサウ (フルダ)、ベッツェンベルクシュタディオン (カイザースラウテルン)、アルベルト=フォルスター=シュターディオン (ダンツィヒ)、Josy-Barthel-Stadion (シュタット・ルクセンブルク)、ヴェストザクセンカンプフバーン (プラニッツ)、アンダー=シュタディオン (オルミュッツ)、シュターディオン・アム・ゲズントブルネン (ベルリン)、ティヴォリ=シュタディオン (シュトラースブルク)、ヴェーザーシュタディオン (ブレーメン)
チーム #1 | スコア | チーム #2 |
---|---|---|
1942年5月10日[8] | ||
ブラオ=ヴァイス90ベルリン | 3–1 | LSVピュトニッツ |
ボルシア・フルダ | 0–2 | SVデッサオ05 |
SVハムボルン07 | 1–1 | ヴェルダー・ブレーメン |
HUSマリエンヴェルダー | 1–7 | VfBケーニヒスベルク |
1.FCカイザースラウテルン | 7–1 | SVヴァルトホフ07 |
LSVオルミュッツ | 0–1 | ファースト・ヴィエナFC1894 |
プラニッツァーSC | 5–2 | LSVベルケ・クラカオ |
SGSSシュトラースブルク | 2–0 | シュトゥットガルター・キッカース |
FVシュタット・デューデリンゲン | 0–2 | FCシャルケ04 |
再試合
チーム #1 | スコア | チーム #2 |
---|---|---|
1942年5月17日 | ||
SVヴェルダー・ブレーメン | 5–1 | SVハムボルン07 |
ラウンドオブ16
- 開催日:1942年5月24日
- 会場:シュタディオン・アム・リーダーヴァルト (フランクフルト・アム・マイン)、マイナウ・シュタディオン (シュトラースブルク)、ヴェストザクセンカンプフバーン (プラニッツ)、シラーパルク (デッサウ)、フリートレンダー・トーアプラッツ (ケーニヒスベルク)、プラター・シュタディオン (ヴィーン)、グリュックアウフ=カンプフバーン (ゲルゼンキルヘン)、ヴェーザーシュタディオン (ブレーメン)
チーム #1 | スコア | チーム #2 |
---|---|---|
1942年5月24日[9] | ||
SVデッサオ05 | 0–3 | ブラオ=ヴァイス90ベルリン |
FCシャルケ04 | 9–3 | 1.FCカイザースラウテルン |
キッカース・オッフェンバッハ | 3–1 | VfLケルン1899 |
プラニッツァーSC | 2–1 | SpVgブレスラオ02 |
SGSSシュトラースブルク | 2–1 | 1.FCシュヴァインフルト05 |
VfBケーニヒスベルク | 8–1 | SGOリッツマンシュタット |
ファースト・ヴィエナFC1894 | 1–0 | ゲルマニア・ケーニヒスヒュッテ |
ヴェルダー・ブレーメン | 4–2 | アイムスビュッテラーTV |
準々決勝
- 開催日:1942年6月7日
- 会場:プラター・シュタディオン (ヴィーン)、ヴァルトシュタディオン (フランクフルト・アム・マイン)、グリュックアウフ=カンプフバーン (ゲルゼンキルヘン)、ポストシュタディオン (ベルリン)
チーム #1 | スコア | チーム #2 |
---|---|---|
1942年6月7日[10] | ||
ブラオ=ヴァイス90ベルリン | 2–1 | VfBケーニヒスベルク |
FCシャルケ04 | 6–0 | SGSSシュトラースブルク |
キッカース・オッフェンバッハ | 4–3 | ヴェルダー・ブレーメン |
ファースト・ヴィエナFC1894 | 3–2 | プラニッツァーSC |
準決勝
- 開催日:1942年6月12日
- 会場:オリンピアシュタディオン・ベルリン、グリュックアウフ=カンプフバーン
チーム #1 | スコア | チーム #2 |
---|---|---|
1942年6月21日[11] | ||
ブラオ=ヴァイス90ベルリン | 2–3 | ファースト・ヴィエナFC1894 |
FCシャルケ04 | 6–0 | キッカース・オッフェンバッハ |
三位決定戦
ブラオ=ヴァイス90ベルリン | 4 – 0 | キッカース・オッフェンバッハ |
---|---|---|
ヘアベアガー ![]() ライ ![]() ヒーンツ ![]() クレートケ ![]() |
決勝
FCシャルケ04 | 2 – 0 | ファースト・ヴィエナFC1894 |
---|---|---|
カルヴィツキ ![]() シェパン ![]() |
レポート |
王座奪回を狙うシャルケがベストメンバーをそろえたのに対し[12]、オーストリア勢3クラブ目の決勝進出を果たしたファースト・ヴィエナFCは主力3人が欠場した。しかしファースト・ヴィエナは格上相手に臆することもなく、序盤から両サイドを使った鋭い攻撃でシャルケゴールを脅かしていく。しかし劣勢のシャルケは14分に最初の決定機をものにし、エルンスト・カルヴィツキが先制ゴール。その後も流れは変わらずファースト・ヴィエナがチャンスを作り続けるが、シャルケGKハインツ・フロートが悉くはじき出した。
同点ゴールの予感が漂う中、しかしそれでもシャルケは42分に見事なパスワークからフリッツ・シェパンが追加点、2-0で前半を終えた。後半もファースト・ヴィエナの一方的攻勢が続いたが、シャルケの堅実な守備は彼らにゴールを割らせなかった。試合開始から終了まで、ベルリンの観衆は攻撃的サッカーを披露するファースト・ヴィエナを応援し続けており、終了の笛が鳴りシャルケの6回目の優勝が決定すると、スタンドからは勝者に対する大きなブーイングが浴びせられた。
脚注
注釈
出典
- ^ Dinant Abbink (27 Apr 2023). “Germany - Championships 1902-1945” (英語). RSSSF. 2025年2月5日閲覧。
- ^ a b “Germany 1941/42” (英語). RSSSF. 2025年2月5日閲覧。
- ^ “Deutsche Meisterschaft 1941/1942 » Finale” (ドイツ語). weltfussbal.de. 2025年2月5日閲覧。
- ^ リヒテンベルガー/秋吉 2005, 100-101頁
- ^ a b リヒテンベルガー/秋吉 2005, 148頁
- ^ Deutsche Zeitung im Ostland: Еin neuer Fussball-Endspielplan“ (18. März 1942, S. 4)
- ^ リヒテンベルガー/秋吉 2005, 479頁
- ^ German championship 1942 – Qualifying Weltfussball.de, accessed: 26 December 2015
- ^ German championship 1942 – Round of sixteen Weltfussball.de, accessed: 26 December 2015
- ^ German championship 1942 – Quarter finals Weltfussball.de, accessed: 26 December 2015
- ^ German championship 1942 – Semifinals Weltfussball.de, accessed: 26 December 2015
- ^ リヒテンベルガー/秋吉 2005, 149頁
参考文献
- ウルリッヒ・ヘッセ・リヒテンベルガー 秋吉香代子訳 (2005). ブンデスリーガ ドイツサッカーの軌跡. バジリコ株式会社. ISBN 4-901784-92-7
外部リンク
- ドイチェ・フースバルマイスターシャフト1941-1942のページへのリンク