ドイチェ・フースバルマイスターシャフト1946-1947
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シーズン | 1946-1947 |
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ドイチェ・フースバルマイスターシャフトは、 1946-1947シーズンには開催されなかった。ドイツ国が第二次世界大戦に敗れ、連合国に分割占領されていたためである。米国・フランス・イギリスの占領地域と四か国共同管理地区ベルリンでは、ドイツサッカー協会最上位リーグのフースバル・オーバーリーガを兼ねて、ツォーネンマイスターシャフトが開催されたが[1]、ソ連占領地域だけは何の大会も開催されなかった。
概要
連合国占領時代における第二シーズン目である。様々な困難を抱えながらも、ドイツサッカーの再建は引き続き行われた。米国占領地域 (フースバル・オーバリーガ・ズュート) とベルリン (ベルリナー・シュタットリーガ)では、1グループのリーグ戦が行われた。域内移動規制が緩和されたフランス占領地域 (フースバル・オーバーリーガ・ズュートヴェスト (1945-1963))では、昨季より簡略された大会が開催された。英国占領地域 (ブリティッシェ・ツォーネンマイスターシャフト) の状況も大幅に改善され、郡・都市・地区レベルの小規模リーグ戦しか許可されなかった昨季とは異なり、占領地域全体の王者を決めるステージが開催された。
オーバーリーガ・ズュートは昨季より4クラブ多い20クラブ制で行われ、1.FCニュルンベルクが優勝した。
オーバーリーガ・ズュートヴェストは昨季の3グループから2グループ編成になり、北部 (ラインラント=プファルツ/ザールラント) と南部 (ズュートヴュルテンベルク/ズュートバーデン) のグループ勝者同士で、ファイナルを戦う方式である。その決勝では北部勝者1.FCカイザースラウテルンが南部勝者VfLコンスタンツを破り、優勝した[2]。
FCKは決勝戦を16-5というスコアで制し、西ドイツ時代初期まで続く黄金期の幕を開いた[2]。ベルリナー・シュタットリーガでは、昨季は三段式の複雑な大会が行われたのに対し、今季は一転して12クラブによる単純なリーグとなっている。優勝はSGシャルロッテンブルク (テニス・ボルシア・ベルリンだった。
ブリティッシェ・ツォーネンマイスターシャフトは、英国が占領する北部・西部全体の王者を決める大掛かりなものとなった。また、来季から始まるフースバル・オーバーリーガ・ノルトおよびフースバル・オーバーリーガ・ヴェストの参入権争いも兼ねていた[3]。西部では、この段階で既にオーバーリーガの枠組が形成されていた。方式は、北部・西部・下ライン・中部ラインでそれぞれリーグ戦を行った後、成績に応じて出場段階の異なる決勝トーナメントへ進出する、というものである。決勝戦では、ハンブルガーSVがボルシア・ドルトムントを1-0で下して優勝した。
ソ連占領地域では、都市・郡・地区単位の大会開催が許可されたが、それ以上広域の大会はまだなかった。ここでは、1945年の連合国管理評議会による既存スポーツ協会・スポーツクラブの活動禁止令が厳格に実行され、ブルジョワと見做された民間クラブはほぼ消滅し、都市や地区の自治体に直属する公共クラブ「シュポルトグルッペ」だけが残っていた[4][5]。
メクレンブルク=フォアポンメルンでは州規模大会を2グループ構成で開催し、SGロストック=ズュートが優勝した。ブランデンブルクでも郡単位リーグ勝者たちによる大会が開催され、SGコットブス=オストが決勝でSGフォルスト=ミッテ (TV1861フォルスト)を3-2で破り、優勝した。それ以外の州では、郡単位以上の大会は開催されていない。
ツォーネンマイスターシャフト1946-1947結果
フースバル・オーバーリーガ1946-1947
占領地域 | リーガ | マイスター |
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オーバーリーガ・ズュート | 1.FCニュルンベルク | |
フランス占領地域 | オーバーリーガ・ズュートヴェスト | 1.FCカイザースラウテルン |
ベルリン | ベルリナー・シュタットリーガ | SGシャルロッテンブルク |
イギリス占領地域決勝トーナメントは、予備予選を勝ち上がったクラブと各地域リーグ (シュレースヴィヒ=ホルシュタイン、ハンブルク、ニーダーザクセン、ブレーメン、ヴェストファーレン、ミッテルライン、ニーダーライン地方) 王者によって、8クラブで争われた。ミッテルライン優勝・準優勝クラブ、ヴェストファーレン王者、ニーダーライン王者、ニーダーザクセン優勝・準優勝クラブは直接エントリーである。決勝戦はハンブルク地区1位・予備予選から勝ち上がったハンブルガーSVが、ヴェストファーレン王者ボルシア・ドルトムントを1-0で下した。
脚注
注釈
出典
- ^ “Oberligen von 1945 bis 1963:” (ドイツ語). Deutscher Sportclub für Fußball-Statistiken. 2025年2月5日閲覧。
- ^ a b リヒテンベルガー/秋吉 2005, 169頁
- ^ リヒテンベルガー/秋吉 2005, 168頁
- ^ リヒテンベルガー/秋吉 2005, 370頁
- ^ リヒテンベルガー/秋吉 2005, 370頁
参考文献
- ウルリッヒ・ヘッセ・リヒテンベルガー 秋吉香代子訳 (2005). ブンデスリーガ ドイツサッカーの軌跡. バジリコ株式会社. ISBN 4-901784-92-7
外部リンク
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